ページの本文へ

長崎WEB特集

  1. NHK長崎
  2. 長崎WEB特集
  3. 長崎発 難病と闘う娘へ 手作りパンに込めた母の思い

長崎発 難病と闘う娘へ 手作りパンに込めた母の思い

  • 2023年03月09日

「難病で食事制限を受ける娘に私は何をしてあげられるだろうか」。1人の母親が考え抜いた末に出した答えが、特技を生かして、特別なパンを作ることでした。娘を案じる母の思いが詰まったパンに共感の輪が広がっています。

長崎放送局記者 郡義之

一見普通のパンですが…

長崎市北部の琴海地区。大村湾を望む高台に1軒の小さなパン屋があります。畳16畳ほどの広さの店内には、焼きたての食パンやあんパン、それにメロンパンなど10種類余りの手作りパンが並びます。作っているのは、店主の山川ほづみさん(51)。昔から夢だったパン屋を、おととし開店しました。

山川さんが作るこのパン。一見、普通のパンに見えますが、実はすべて脂質を抑えた「低脂質パン」です。バターの使用はすべて10g未満と、通常に比べて3分の1から4分の1をカットしています。私も取材であんパンをいただきました。中を割ると、小麦のいい香りが漂います。こしあんも甘さ控えめ。低脂質パンと言われなければ、通常のパンと比べても味や食感は全く同じもののように感じました。山川さんがそんな低脂質のパンにこだわって作るのには理由がありました。
 

山川さん

実は娘が難病で、食べると体調があまりよくなくて…。腹痛などの症状が出てくるんです

突然襲った難病

きっかけは次女の真愛さんが5年前に発症した難病でした。病名は「潰瘍性大腸炎」。大腸の粘膜が炎症を起こし、激しい腹痛や下痢を繰り返す難病で、国内には22万人以上の患者がいると推計されています。パンが好きだという真愛さんは、この病気の影響で、食べ物には細心の注意を払います。潰瘍性大腸炎の患者は、腸に負担の少ない食事が求められます。真愛さんの場合は、脂質や食物繊維を多く含む食べ物は体調を崩すおそれがあるため、あまり食べることができません。
 

真愛さん

店でパンを買う時は、裏の食品表示を見て脂質をまず確認しています。油と食物繊維がだめなので、ちょっと脂質が高い食べ物、洋食とかはちょっと控えめにするようにしています

以前は何も問題なく食事ができていた真愛さん。難病に襲われ、入退院を繰り返す娘のために、山川さんは日々の食事を記録し、体に合う食べ物と合わない食べ物を書き出すなど、闘病を日々支えました。「母として娘のためにできることはないか」。山川さんが考え抜いた末に出した答えが、特技のパン作りでした。パンを作って20年余り。家族や地域の人にも、その味は好評を得ていました。山川さんは娘のために、低脂質のパン作りに挑戦することにしたのです。
 

事は単純ではなかった

しかし、そう決断したものの、山川さんに1つの大きな問題が立ちはだかりました。それは生地から脂質をどうやって減らすかということ。確かに、バターはなくてもパンを作ることができます。しかし、多くの人が喜ぶ、柔らかくて、しっとりとした生地のパンはできません。試作では、バターの代わりにオリーブオイルを使いましたが、思うような食感にはなりませんでした。山川さん一家も、失敗作のパンを数え切れないくらい食べたといいます。
 

山川さん

バターを使わないと、やっぱり(生地が)固いとか、ぱさついてしまうんです。食べるんだったら楽しくおいしくっていうのを味わって欲しいなと思って、いろいろ試行錯誤したんですけど、やっぱりバターがおいしいです。

パソコンで配合割合を計算する山川さん


そこで、山川さんが徹底的に取り組んだのが配合割合です。粉や水などの量は、季節や室温などによって左右されると言います。山川さんは、パソコンで計算しながら、材料の量を調整。試作は2年に及びました。そして、バターの使用量を極限にまで減らし、真愛さんが安心して食べられるパンができました。潰瘍性大腸炎で食べられるものが限られていた真愛さんにとっては、日々の食事に“選択の自由”が生まれた瞬間でもありました。
 

真愛さん

食べたいものではなくて、食べられるものを食べるようにしているので、悲しい時もあります。でも、母のパンは油の量を少なめで作ってくれているので、気にせず食べたい ものを食べられるのでうれしいです

パンでつながる交流

山川さんの店は、土日のみの営業です。開店8時間前の午前2時から、山川さんはパンを1人で作ります。焼き上げるパンは約100個ほど。丹精込めて作った低脂質パンを求めて各地からさまざまな人がやってきます。健康面が気になるという男性に、子育て中の女性、中には、真愛さんのように、病気のために脂質が多いものが食べられず、日々の食事に気を遣う人もいます。山川さんによると、長崎県内には、潰瘍性大腸炎などの「炎症性腸疾患」に配慮して、低脂質の食べ物を販売する店はあまり多くないのが現状だといいます。長崎市内に住む50代の女性は、胃がんとなって食べ物に対する不安がある中で、山川さんのパンに救われたといいます。

(女性)
「私たちの病気って、油が大敵なんです。油の質がやっぱり悪いとか、油の量とかすごく 難しくて。だけど、ここはもう初めから計算して作ってくださるんで、自由に選べるというのがやっぱりいいと思います」

山川さんと談笑する朝長さん(左)

山川さんのパンをきっかけに交流を始めた人もいます。長崎市に住む朝長美紀さん(30)です。10年前、潰瘍性大腸炎と並ぶ腸内に炎症が起きる難病、「クローン病」を発症し、脂質や食物繊維の多いものが食べられなくなりました。クロワッサンが大好きで、県内のパン屋を巡ることが楽しみでもあった朝長さん。去年夏ごろ、たまたまSNSで山川さんのパンを知り、店を訪れるように。今では、料理のことを教わるなど、山川さんは頼れる存在です。パンをあれこれ選んで買う朝長さんの表情から笑みがこぼれます。
 

(朝長さん)
「なかなかこの病気になって、食べ物を選ぶ経験がなくなってたので、人生の質が上がったような気がします。山川さんと話をしながら買うというのもひとつの楽しみで、私としては心のよりどころのような感じです」

病があっても、楽しく食事をしてほしい。そんな思いで山川さんはパンを作り続けます。
 

山川さん

もともと私は、家で家族のためにパンを焼いていたので、店のパンも同じように、“家族においしいパンを”、“体に優しいパンを”と思いながら焼いてます。今みたいに人との関わりを大切にしながら、みなさんの声を聞きながら、続けていけたらいいなと思ってます。

新たな一手は…

移動販売ができるキッチンカー

山川さんは今、新たな展開を見据えています。去年3月、建築士の夫にキッチンカーを作ってもらいました。今後は、この車に低脂質パンを載せて、県内各地での出張販売にも力を入れたいと考えています。また、ことし3月からは、店に来られない人たちのために、パンの宅配サービスも開始し、潰瘍性大腸炎で闘病中の人たちを支えたいとしています。
 

(山川さん)
「低脂質パンを欲しいと言ってくれる人がまだまだたくさんいることを知りました。これからは、潰瘍性大腸炎のことを知ってもらうためにも、もっと頑張ります」。

 

  • 郡義之

    長崎局記者

    郡義之

    地方紙記者を経て、平成22年入局。前橋局、釧路局、ネットワーク報道部を経て現職。好きなパンは、カレーパン。

ページトップに戻る