ページの本文へ

長崎WEB特集

  1. NHK長崎
  2. 長崎WEB特集
  3. 長崎ねずみ島の寒中水泳2023!100年以上の歴史を誇る日本泳法

長崎ねずみ島の寒中水泳2023!100年以上の歴史を誇る日本泳法

  • 2023年01月06日

長崎市にある”ねずみ島”。この海岸で100年以上前の明治時代から行われている寒中水泳があります。NPO法人長崎游泳協会が行っているもので、参加者が古式泳法「日本泳法」の様々な技を披露するということです。いったいどんな寒中水泳なのか?水着を持参して訪れました。

NHK長崎放送局アナウンサー 池田耕一郎

1月3日 "ねずみ島"に集合

長崎港の玄関口である女神大橋の南西に位置する"ねずみ島"。正式には皇后島という名前です。中央のこんもりと木が生えた部分が"ねずみ島"です。現在は本土との間が埋め立てられて地続きとなっています。

2023年は穏やかな天候の新年でした。この日の空は快晴。海は透明度が高く、澄んでいます。気温6度で水温13度。日ざしもあり、まずまずの寒中水泳日和です。

"ねずみ島"の海岸には下は小学生から上は77歳まで約40人が集まりました。長崎游泳協会の会員の皆さんは揃いの水泳帽をかぶっています。

長崎游泳協会は日本泳法の十三ある流派の一つ、小堀流踏水術を継承しています。この寒中水泳では会員の皆さんが寒さをものともせず、古式泳法を披露するのが伝統です。

「水書(すいしょ)」

始めに行われた「水書」では、巻き足や踏み足を使って立ち泳ぎをしながら筆で文字を書きます。紙と筆を持ち、水に濡らさないよう身体を浮かせながら沖合に移動します。

文字を書くためには両手を水面に出す必要があります。子どもたちは優雅な佇まいで立ち泳ぎをしながら、筆を動かして次々と文字を書いてました。

書かれた文字は「祝・令・和・5・年・泳・初・式」!

「水弓(すいきゅう)」

つづいて行われた「水弓」は、立ち泳ぎをしながら弓で矢を射るというものです。日本水泳連盟の「教士」の資格を持つ浅岡泰彦さんが堂々とした所作で青天に向かって矢を放ちました。

「早抜游(はやぬきおよぎ)」

早抜游(はやぬきおよぎ)は、あおり足を行いながら、顔を進行方向の水面から上げ、腕をかいて進みます。俊敏に移動できるので、5mほどの短い距離であればクロールより断然速いです。

「御前游(ごぜんおよぎ)」

最後に披露された御前游(ごぜんおよぎ)は身分の高い人の前で披露されるものです。同じポーズでシンクロしながら移動します。片手を上げて上体を傾けながら進んでいきます。アーティスティックスイミングの原型は日本泳法にあるのかもしれませんね。

水球女子と初泳ぎ

そして、番外編として長崎水球クラブの女子チームの皆さんが初泳ぎ。そこに私も混ぜてもらいました。実は私、学生時代は水球選手でした。

海に入るとキーンと冷たさが伝わってきて、身体が清められる感じがします。小学生や中学生の皆さんと青空の下、冷たい海に浮かびながら、水球のパス回しをする不思議なお正月を迎えたのでした。

最後は参加者の皆さんが勢揃いで万歳三唱を行い、今年一年の健康を祈願しました。

参加者の方々は寒さに震えながらも、今年一年の目標を新たにしていました。

参加者

「文字を書くときに手が震えて書きにくかったです。今年も夏は水泳教室で頑張りたいです」

最年長77歳の参加者

「昭和30年から参加しています。今年も現状維持で健康でいられれば。普段は子どもたちと泳いでいるので、子どもたちのスキルアップができればと思います。80歳過ぎても来るつもりです」

 

寒中水泳の歴史を探る

さて、長崎市の"ねずみ島"の寒中水泳ですが、いつごろ始まったのでしょうか?正確には分かっていませんが、古い記録では1911年(明治44年)の東洋日の出新聞に記事が掲載されています。少なくとも110年以上前には行われていたことになります。それではNHKにも古い映像が残っていないかと探してみました。すると、1959年(昭和34年)の寒中水泳のニュース映像を発見しました。

ということで、64年前のお正月にタイムスリップ!

昭和34年(1959年)の寒中水泳

昭和34年1月2日に行われた寒中水泳。当時、"ねずみ島"は海水浴場として賑わい、長崎游泳協会が水泳指導の拠点としていました。

まだ、埋め立ては行われておらず、"ねずみ島"に行くためには長崎市の大波止から船で渡っていたそうです。

こちらは当時の寒中水泳に参加した子どもたちです。小学生から中学生くらいだと思われますので、現在は70代のおじいちゃん、おばあちゃんたちということになります。

当時も「水書」が行われていました。男の子たちが書いた文字を見てみましょう。

書いた文字は「祝・昭・和・三・十・四・年・度・稽・古」!今年の寒中水泳の様子とそっくりですね。一方、女の子たちは和傘を手に海に入り、立ち泳ぎで傘を広げる演技を行っています。

最後は参加者全員で万歳三唱を行っていました。こちらも現代と同じですね。変わらぬ伝統を感じます。

焚火にあたる様子は寒そうですが、今も昔も子どもたちの達成感ある表情は変わりませんね。

 

昭和35年(1960年)の大名行列

さて、映像を探す中で、別の古い資料も発見しました。こちらは毎年夏に行われてきた長崎游泳協会の名物行事「大名行列」です。

江戸時代、細川藩の参勤交代の行列が大井川を渡る様子を再現しています。長崎游泳協会が継承している日本泳法の流派、小堀流踏水術の起源は熊本の細川藩にあります。そのため、大井川の逸話を題材にした行事が行われるようになったそうです。

この「大名行列」が始まったのも1911年(明治44年)。昭和の頃は大人気イベントだったようで、"ねずみ島"が多くの人々で埋め尽くされています。

「水書」「水弓」など今に続く日本泳法の技も披露されていました。

そして、メインの「大名行列」。ふんどし姿の屈強な姿の男性たちが、お殿様とお姫様が乗ったそれぞれの輿をかついで海に入っていきます。

二十人くらいが立ち泳ぎで輿を支え、一斉に担ぎ上げると、殿様があっぱれと扇子を開きます。お姫様の輿はやや傾いていてスリル満点ですね。

ちなみにこの「大名行列」ですが、現在は長崎市市民総合プールを会場に行われています。コロナ禍で中止が続いていましたので、今年8月の再開が楽しみですね。

 

市民皆泳を目的に120年

"ねずみ島"には長崎游泳協会の顕彰碑があります。立派な胸板に水泳帽をかぶった胸像は故・田中直治氏です。地元の鼠島出身で協会創立初期の頃、30年以上、主任師範を務めました。

1902年(明治35年)に創立された長崎游泳協会は去年120周年を迎え、横には新たな記念碑も作られました。

長崎游泳協会は創立の翌年から70年間「ねずみ島水泳道場」として水泳指導を行い、その後は長崎市市民総合プールの運営に携わりながら50年間「水泳教室」を続けています。また、「大名行列」「寒中水泳」「遠泳大会」など様々な活動も行っています(コロナ禍は中止や規模縮小で開催)。

理事長の田中直英さんに長崎游泳協会が目指すことを聞きました。

長崎游泳協会理事長 田中直英さん 

「目的は『市民皆泳』です。夏休みの水泳教室には毎年2000人を超える児童・生徒が参加しています。そして、連絡をせずとも40人~50人くらいの指導員がボランティアとして集まり、子どもたちを教えてくれています」

「将来的には海洋県・長崎として海で活動する”海の道場”を作りたいです。本当の泳力は自然の中で試されます。潮、風、波を感じて泳ぎが身につくと思います」

今回、寒中水泳をきっかけに長崎游泳協会の活動の歴史の一端を知ることができました。今後も長崎游泳協会の様々な活動を通して、長崎の子どもたちが水と遊ぶ喜びを知って、水での事故をなくし、長崎の豊かな海を愛してくれればと思いました。

  • 池田耕一郎

    NHK長崎放送局アナウンサー

    池田耕一郎

    2000年入局
    大学時代は水泳部の水球面。
    巻き足が得意です

ページトップに戻る