2021/03/26(Fri) 16:00お会いしたかった方

辰野町出身でパラパワーリフティングの日本代表候補である、
馬島 誠さん(49)です。

東京パラリンピックまで半年を切った先月下旬、
コロナ禍で迎える大会について、心境をお聞きしました。

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パラパワーリフティングは、足などに障害のある選手が、
持ち上げたバーベルの重さを競います。
馬島さんは競技を始めて6年ほどですが、実力は97キロ級で国内トップクラス!
現在は東京パラリンピック出場に向けて、
出場条件の1つである165キロのバーベルを持ち上げるため、
トレーニングに励んでいます。

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(写真は先月24日に放送した時のものです。
取材に伺った日は最大140キロのバーベルを5回も上げていました!)

さて、なぜ私は馬島さんにお会いしたかったかと言いますと・・・。
きっかけは、私が大学生の時、
大学の広報誌に載っていた馬島さんのインタビューを読んだことです。
(馬島さんと私は同じ大学出身なのです!)

インタビューには、馬島さんが大学生の時、
アルバイト中に感電事故に遭い両足が動かなくなったこと。
2010年のバンクーバーパラリンピックでは、
「パラアイスホッケー」(当時の名称は「アイススレッジホッケー」)の
日本代表として、「銀メダル」を獲得したことなどが書かれていました。
どんな状況になっても挑戦して銀メダリストになった方が卒業生にいるのか!と、
何故か私が誇らしい気持ちになり、お話できたらいいなと思っていました。
実際にお会いしたら、非常に明るく優しい方で、話していて元気になりました!

そして1枚目の写真で私が首から提げているものが、
バンクーバー大会で馬島さんが獲得した「銀メダル」です!

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重かったです。500mlペットボトルくらいの重さだそうです。
しかしそれ以上に 馬島さんの人生が詰まっているようで、心にも響く重さでした。

しかし馬島さんは、2010年に銀メダルを獲得した後、
パラアイスホッケーの選手として伸び悩む時期がありました。
その他にも色々なことがあった中で、2013年に東京パラリンピックの開催が決定。
馬島さんは、
「バンクーバー大会でメダルを取った感覚を東京でも味わいたい。
東京大会に出たい!」と思ったそうです。
そして知人の紹介でパラパワーリフティングに出会い、
冬の競技であるパラアイスホッケーの選手から、
夏の競技であるパラパワーリフティングの選手に転向しました。

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しかし、新型コロナウイルスの影響で東京パラリンピックが1年延期に。
馬島さんも感染を防ぐために県外での代表候補合宿を見送るなど、
トレーニングに集中できない状態が続いたそうです。

ただ、馬島さんは、
「体が不自由な中で多くの人の支えを受けているからこそ、
コロナの状況で助け合ってみんなのことを考えるのはとても大事」だと考えています。
そして人と人が助け合った先に未来が開かれる。
パラアスリートとして、その未来を自らが示したいと意気込みました。

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馬島さんはパラパワーリフティングについて、
「自分の今の限界を見せられることが魅力であり、
色々な人の支えを受けた中で、成長した姿を見せる。
その姿を見た人が、何か感じるものがあれば」と話していました。

馬島さんは、今後も新型コロナウイルスの感染対策を徹底しながら、
6月にドバイで行われる最終選考に向けて調整を続けます。

投稿者:瀧埜ひとみ | 

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