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柴田アナの遠くへ行きたい!~千曲市・森将軍塚古墳~

  • 2023年07月05日

九州出身で、信州は初心者の私。鉄道・バスで歴史スポットなどを訪ねるのが大好きで、地理的にも時代的にも“遠くへ行きたい!”と、信州の各地を公共交通機関でふらりと訪ねた様子をつづります。風の吹くまま、気の向くままに・・・。

 古墳時代の王を感じる?!森将軍塚古墳(千曲市)

屋代駅

 休日は、のんびりと鉄道旅!長野駅から電車に揺られ、南へおよそ20分。
 千曲川をわたりしばらくすると、進行方向の左前方、緑の木々に覆われた山の尾根沿いに茶色っぽい
石積みが見えてきました。国の史跡「森将軍塚古墳」です。
北陸新幹線の上り、「長野」と「上田」の間で、トンネルに入る直前の車窓からも確認できますよね。速すぎて、あっという間ですが・・・。 しなの鉄道「屋代駅」で下車。歩いて25分ほど、途中、
新幹線の高架をくぐって歩いていくと、少しずつ古墳の姿が近づいてきます。 

科野(しなの)の里歴史公園

「科野(しなの)の里歴史公園」に到着です。山の上に見える森将軍塚古墳をはじめ、長野県立歴史館の周辺一帯を千曲市が公園として整備しました。公園内には、かやぶきの家や倉庫など7棟の建物をはじめ、田んぼや畑が復元された「科野のムラ」もあります。 ちなみに、私、この春まで九州、佐賀放送局にいました。佐賀といえば「吉野ヶ里遺跡」ですよね。平成の初めの大ブーム、覚えている方もおられるのでは?最近の発掘調査も、話題になりましたよね。吉野ヶ里歴史公園には弥生時代の環ごう集落が復元されているのですが、私たちのはるか祖先が生活していたであろう環境に身を置くと、なんとなく落ち着きませんか。彼らの遺伝子を、私たちも受け継いでいるからでしょうか。
さあ、古墳時代の人々の暮らしのイメージがわいてきて、今回の目的地、森将軍塚古墳への期待感が
いやが上にも高まってきました! 

 木々が茂る小道を20分ほど登ってきました。視界が開けると、ついに、その姿が目に飛び込んできました。 全長100mの前方後円墳。4世紀の築造とされています。高さ10mの後円部に沿って進みます。やはり、写真で見るのと違い、そのスケールに圧倒されます。前方部の横から、いよいよ古墳へと上っていきます。古墳を覆うふき石、なんと80000個も使われているそうです。 高さ4mの前方部から、一段高い後円部へ。ここには、竪穴式石室が設けられ、この古墳の主が埋葬されていました。
石室は長さ7.6m、幅2m、高さ2mで、日本最大級なんだそうです。ちなみに、ふもとの
「森将軍塚古墳館」では、竪穴式石室や出土した副葬品・埴輪などについて、実物や模型、映像などによって、詳しく展示されていますよ。

埴輪と眺望

 写真は、後円部の端から撮ったものです。どうですか?この眺め!善光寺平(長野盆地)が一望できます。左奥には、飯縄山も見えています。1650年以上前、当時の科野のクニを治めていた王の墓と考えられています。 森将軍塚古墳といえば、ずらりと並ぶ埴輪も特徴的ですよね。つぼ型、朝顔型、円筒埴輪など、27種類、157個の埴輪が並んでいます。 

古墳全景

 この古墳の保存整備事業は、およそ10年かけて平成3年まで行われました。発掘調査に基づき、正確に復元されたんだそうです。今、この景色を見ることができるのは、古墳を復元したいという関係者の思いがあったからなんですね。 それにしても、古墳の大きさ、ふき石や埴輪の数、石室の大きさ、そして善光寺平の眺め!当時の科野のクニの王の力の大きさを実感すること、間違いありません! 後円部が、きれいな丸ではなく、山の尾根に沿う形で少し曲がっているんですよ。
ぜひ、現地で確認してみてくださいね。 ちなみに、古墳の名前の由来は、「森」という地域にある
「偉い人のお墓」という意味で、古くから「森の将軍塚」と呼ばれてきたんだそうです。

お田植えまつり

 森将軍塚古墳のふもとの「科野のムラ」では、6月11日(日)に「お田植えまつり」が開かれました。地元の屋代南高校の生徒が早乙女にふんし、古代米の田植えを行いました。地域のシンボルを、
皆さんが大事にしているって、素敵ですね。秋の稲刈りも楽しみです。

 ※今回の旅の料金 
 長野-屋代(JR信越本線・しなの鉄道) 片道430円(往復860円) 
 「千曲市 森将軍塚古墳館」 観覧料300円

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