伝統の祭を大絵馬で残す 学生たちの挑戦!
- 2023年06月06日

数えで7年に1度、山から木を切り出して神社の境内にある御柱を建て替える勇壮な祭、御柱祭。長野県では、有名な諏訪大社の御柱祭をはじめ同様の祭が1000か所の神社で行われているとする専門家もいます。このうち長野市にある神社4社では、祭の様子を後世に伝えるため江戸時代ごろから巨大な絵馬を描いて奉納するならわしが続いています。今回、制作の白羽の矢が立ったのは学生たち。25年前のある縁が関係していました。(橋本慎也)
約170年続くならわし

2022年9月、長野市中心部にある水内大社で行われた御柱祭は、コロナ禍だったため参加者をこれまでの4分の1ほどの約250人に制限し、建て替える御柱の数も4本から2本に減らしました。善光寺周辺の神社4社では、御柱祭を持ち回りで実施しているため水内大社で行われるのは24年ぶりのことでした。

御柱祭が描かれてきた絵馬の大きさは、縦が約1メートル、横は2メートルほどあり大きいものでは横が3.5メートルを超えています。現存する最古の絵馬は江戸時代後期の嘉永7年、1854年のもので令和2年に妻科神社で発見されました。絵馬には、まげを結った人や着物を着た人の姿などが描かれていて約170年前の様子が分かります。

小林玲子
副会長
全国で調べましたが、御柱祭を絵馬に描いて奉納するというならわしがあるのは、おそらく善光寺周辺の4つの神社だけです。どのようなきっかけで始まったのかなど詳細は明らかになっていませんが、どの絵馬も大勢の人が描かれ御柱祭が盛大に行われてきたことや、周りの町並みや見物人の着ている物などから当時の風俗を知ることもできる歴史的な資料です。
25年前の縁

今回の御柱祭の大絵馬が奉納される水内大社の拝殿には、25年前の祭を描いた絵馬が掲げられています。参加者や見物人など約400人が色鮮やかに生き生きと描かれています。制作したのは長野市内にある長野美術専門学校の学生たちで、そのことを知った郷土史家の小林さんが、若い世代に伝統を引き継いでもらいたいと神社の宮司と学校側に話をして今回も同じ学校の学生たちが制作を担うことになりました。

小林玲子
副会長
時代によって絵の雰囲気は全く違います。今の学生さんたちの感性を存分に発揮して筆を振るってもらい、私はそれを応援したり地域の人たちにも長野の文化、伝統を引き継ぐ学生たちを応援してもらえるように呼びかけたりしていきたいです。

斎藤吉睦
宮司
こちらの神社で行った前回の御柱祭は、長野冬季オリンピックが開催された半年後、オリンピックの興奮が覚めやらぬうちの祭でした。参加した約950人の氏子が若い学生たちの感覚と色使いで描かれています。今回は、コロナ禍でマスクを着用した、おそらく初めての御柱祭だと思います。その辺りをどう絵馬に描くのか、すべて学生にお任せし判断してもらいたいです。

今回の大絵馬には、樹齢120年、高さ約30メートルの杉の木から切り出され形成された縦1メートル、横3.5メートルの板が使われます。学生たちは、みずからが撮影した御柱祭の写真をもとにコロナ禍を反映した様子や見物人が祭をスマートフォンで撮影する姿などを描くことにしています。

初めて御柱祭を見ましたが想像よりも御柱が大きくて迫力がありました。制作されてきた長い歴史を考えるとプレッシャーを感じます。人の表情や動きにこだわって見る人に伝わるものが多い絵馬にしたいです。

自分の個性や持ち味を生かして制作したいです。

今回の絵馬ほど大きなものを制作したことはないので、いい経験になります。頑張ります。
制作の様子は、長野美術専門学校のサテライトキャンパスでことし5月下旬から一般公開されていて、10月の完成後に水内大社に奉納されることになっています。
取材後記
長野県内各地の神社で行われている御柱祭ですが、実は、人口減少と高齢化によって近年継続が危ぶまれている所もあります。祭を続けていくために、地域を越えて担い手を確保するという取り組みが進められていますが、今回のように若い世代が絵馬の制作に携わることで祭に関心を持ってもらうのも1つの打開策になるように感じました。美術系の専門学校で学ぶ学生たちが描く絵馬がどんなものになるのか。完成も取材しますのでお楽しみに!