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なぜ長野はおやきが有名?その理由を調べました

  • 2023年04月03日

「なぜ長野はおやきが有名なのか」
長野市に住む20代からこんな身近な疑問が寄せられました。おやきは、小麦やそばを粉にして作った皮にあんや野菜などを包んで焼く長野県の代表的な郷土食の1つです。
恥ずかしながら、長野で暮らしているといつの間にか“当たり前”の食べ物になっていて、疑問に感じたことはありませんでした。
調べてみるとその誕生には歴史や風土、そして関係者たちのある取り組みが今につながっていることが見えてきました。
(川口由梨香・及川利文)

おやき知ってる?

投稿者から寄せられた疑問を何度か読み返すうちに2つの疑問がわいてきました。
1つは「なぜ長野でおやきを食べるようになったのか」、もう1つは「なぜ長野のおやきが有名=知られているのか」です。
そこでまず、全国から観光客が訪れておやきが食られている場所へ向かいました。

善光寺仲見世通り

長野市の善光寺の本堂へと通じる200メートルほどの善光寺仲見世通りです。
土産物店や飲食店、旅館など50以上の店舗があり、確認できただけでもおやきを扱う店が5つあります。週末になるとおやきを買い求める人で列ができていることも珍しくありません。

取材は平日でしたが、埼玉や茨城、神奈川、京都など全国から観光客が訪れていました。さっそく、なぜ長野のおやきを知っているのかと尋ねてみました。

埼玉の女性

「ネットで長野のおみやげや観光地を調べたら、おやきの情報がいっぱい出てきました」

神奈川の女性

「大学で長野出身の子が多くて、みんな『おやきがおいしい』と言うから長野に来たら絶対食べたいと思ってました」

やはりおやきは人気のようです。

なぜおやきを食べることに?

では、なぜ長野でおやきを食べるようになったのか。

この疑問を調べるにあたりある村の存在が頭に浮かびました。それは県北部の小川村で、おやき作り体験をしたことがあったからです。
実は小川村はおやき発祥の地をうたっているのです。村でおやき専門店をやっている店長の大西隆さんに尋ねました。

縄文おやき村 大西隆 店長
川口由梨香アナ

「なぜ小川村でおやきを食べるようになったのですか?」

大西店長

「米が食べられなかったからです。急な傾斜地に昔の人は小麦を栽培し、それを粉にしておやきを作っていました。それぞれの家庭でみんなでいろりを囲んでおやきを食べていました」

おやきを作るようになったのは、村の急しゅんな地形や寒冷な気候が稲作に向かず、代わりに小麦や雑穀を栽培するようになったからだというのです。

小川村

さらに、食文化を研究する長野県立大学の中澤弥子教授は、おやきが日常的に食べられるようになったのには別の理由もあると指摘します。

長野県立大学 中澤弥子 教授

「小麦や雑穀を使った同じ粉ものでも、おやきは麺と比べて、粉を水で溶いて生地にして、中に具材を包んで加熱すればいいので、手間がかかりません。それが日常食として食べられてきた理由として大きいです」

中澤教授によると、おやきは日常食であった一方で、お盆に仏前に供えられるものでもあったということです。
長野市の一部では、夏の時期に採れる丸なすを使ったおやきをお供えしていたといいます。
また、最近では年玉おやきといって、「1年が丸くうまくいくように」という願いを込めて正月におやきを食べることもあるそうです。

丸なすおやき(写真提供:つち茂物産店)

おやきのルーツは縄文時代!?

小川村郷土歴史館に展示されている土器

おやき発祥の地をうたう小川村では、おやきにまつわるある説があります。
それは、縄文時代中期におやきのルーツにつながるものを食べていたというものです。
そのときに使っていたとされる土器が筏ヶ原という場所から出土しています。

小川村郷土歴史館 北田耕治 館長

「どんぐりとか栗を土器で煮て柔らかくして実をすりつぶし、それを焼いて薄焼き、もしくはクッキーのようなものにして食べていたと考えられます。その粉文化がおやきのルーツに通じていると見ています」。

真相は定かではありませんが、縄文時代の人たちがおやきに通じるものを食べていたと想像すると、おやきがなんだかありがたい食べ物に感じるのは私だけでしょうか。

なぜ有名になった?

では、「長野の名物といえばおやき」ともいえるような今の状況になったきっかけは何なのか。
中澤教授は次のようなエピソードを教えてくれました。

中澤教授

「昭和56年に知事や教育委員会、関係者で懇談会を行ったときに、食文化を県の無形文化財として定めておく必要があるという話になりました。2年間にわたって議論や調査をして、その結果5つの食べ物が選ばれました」

選ばれた5つは、手打ちそば、御幣餅、スンキ漬、野沢菜漬、そして焼き餅(おやき)でした。

中澤教授によると、当時は長野県でも食生活が変化していて、長野ならではの郷土食が消えてしまうことが危惧されていたそうです。

そして、県はおやきを文化財に選んだことをきっかけに全国で物産展を開き、おやきを販売する機会を作って知名度を上げようとしたのです。

物産展の様子

また、長野県出身者で作る全国各地の県人会を通じておやきをアピールしてくれるようにお願いもしたというのです。

ただ、当時を知る小川村のおやき専門店の大西さんは、今のようにおやきが知られるようになるまでは簡単な道のりではなかったと振り返ります。

大西店長

「おやきを知らないお客さんのなかには、試食用に渡したものをゴミ箱に捨てた人もいました。おばあちゃんたちが作ったおやきの味を知っていただければと思っていたんですが、そういう人を見たときには、『どうして食べてくれないのか』と悲しくなりました。ですから、おやきが知られて定着するまでというのは本当に並大抵なことではありませんでした」

それでも地道な取り組みを続け、おやきは知名度が少しずつ上がって売れるようになりました。
それまでは県内にもあまりなかったおやきを販売する店も出現し始め、おやき専門店の大西さんによると、調理の工程が似ていることから当初は和菓子店がおやきを扱うようになり、だんだんと専門店が増えていったそうです。
そして、専門店が増えた結果、全国から集まってくる観光客にも親しまれるようになったのでした。

なぜおやき?の答え

今回の調査でおやきについて分かったことです。
▼地形や気候が稲作に向かず、代わりに栽培された小麦や雑穀を使っておやきが作られた。
▼同じ粉ものでも麺を作るより調理時間が短く、日常食となった。
▼県が無形民俗文化財に選び、全国で物産展を企画、県人会を通じてPRする中で、おやきを販売する店が増えた。

取材後記

県民の食卓や、観光のお土産として日常に当たり前にあるおやき。県外出身の私でも、長野といえば「そばとおやき」というイメージがありました。
そんな当たり前の裏には、米がなかなか作れなかった環境下で人々の工夫や知恵から生まれたこと、そしておやきの魅力を全国に伝えた人たちの努力がありました。
今ではおやきのあんは野沢菜やなすなどが有名ですが、当時はそれぞれの家庭の余ったおかずなどで作ることが多く、各家庭のオリジナルの味があったそうです。おやきだけでなく、みそやつけものなど、長野には昔から伝わる家庭の味・伝統の食文化があふれています。
食文化に関する疑問、ぜひお寄せください!

身近な疑問はこちらから投稿できます。

https://www.nhk.or.jp/nagano/eve/gimon/index.html

  • 川口由梨香

    元長野局アナウンサー・現在は東京アナウンス室所属

    川口由梨香

    2019年入局。初任地が長野局。2023年3月まで平日夕方の「イブニング信州」のキャスターを担当。

  • 及川利文

    長野放送局 記者

    及川利文

    2012年入局。
    千葉局、国際部、アメリカ総局を経て2021年から長野局。

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