飯田市平和祈念館 「731部隊」どう伝える
- 2023年03月16日

戦時中、細菌戦などの研究を行っていたとされる、旧日本軍の特殊部隊、通称「731部隊」。去年開館した飯田市平和祈念館では、この731部隊の元隊員らの証言をまとめたパネルの扱いが議論となっています。(長野放送局 記者 篠田祐樹)
飯田市平和祈念館とは

JR飯田駅からほど近い場所にある、飯田市平和祈念館。市の教育委員会が運営する施設です。市内出身の兵士が持ち帰った千人針や、アメリカ軍による空襲の爆弾のかけらが貫通した服など、地元に残る戦争の遺品1800点ほどが展示されています。
戦争の記憶を後世に伝えようと、20年以上前に市民から市議会に出された請願をきっかけに、去年5月、ようやく開館しました。しかし、その展示内容がいま議論を呼んでいます。

焦点となっているのは、戦時中、細菌戦などの研究を行っていたとされる「731部隊」に関する展示。現在、祈念館には、県内出身の元隊員が持ち帰った医療器具などが展示されていますが、実は、展示が見送られた資料もあるのです。

それは、県内出身の元隊員4人の証言などをまとめたパネルです。祈念館の多くの展示品を集めた市内の有志団体「平和資料収集委員会」が制作しました。

「捕虜の生体解剖を行った」などとする生々しい記述があります。平和資料収集委員会の原英章さんに話を聞きました。

ほかの展示品とあわせて、開館に向けてパネルも制作していましたが、直前になって市の教育委員会から『これは展示できない』と言われました。
パネルに証言を寄せた元731部隊員が県内にいることを知った私は、さっそく会いに行くことにしました。
旧日本軍の特殊部隊 通称“731部隊”とは

宮田村に住む清水英男さん(92)です。

昭和20年4月、中国・ハルビンで撮影された731部隊の集合写真には、14歳で入隊したばかりだった清水さんの姿がありました。清水さんは部隊で細菌に関する勉強をしていたと証言します。

(清水さん)「病原菌の基礎の知識、細菌検査法、滅菌消毒、こういった科目を勉強していました。ただ、勉強したことを何かに書き残したりしてはいけないと言われていました。すべて秘密ですから。頭で覚えていました」。
入隊から2か月がたったころ、清水さんは上官に連れられて「標本室」と呼ばれる場所を見学しました。そのときの体験がいまだ脳裏に焼き付いて離れないといいます。
(清水さん)「“標本室”には、子供や大人を解剖したものがたくさん並べられていました。すべてホルマリン漬けです。断ち割られた頭部や臓器、お腹に入ってる子どもまでありました。『マルタ(捕虜)を解剖したものだ』と上官から言われました。なんでこんなひどいことをしているのかと言葉を失いました」。
昭和20年8月に日本は敗戦。清水さんは故郷に戻ることになりました。その際、上官から部隊のことは口外しないよう命令されたといいます。その後、部隊のことは家族にも話しませんでしたが、戦後70年以上がたち、みずからの体験を次の世代に伝えなければならないと思い直しました。
(清水さん)「子どもたちに731部隊のことを説明して分かるようにしてやらないといけないと思います。マルタ(捕虜)や犠牲になった隊員の冥福を祈るということが一番大事です」。
なぜ飯田市教育委員会は展示を見送った?
清水さんたちの証言パネルの展示を見送った飯田市教育委員会。その理由などを問い合わせたところ、書面で回答がありました。

(市教委)「731部隊に関しては、ほかの公共施設での展示の前例が見当たらず、部隊の解説等については、高次な研究・検討を要するものであり、どのような解説がふさわしいかについて判断は難しいものだった」。
「部隊の解説等については、高次な研究・検討を要する」というコメントは、731部隊をめぐって、司法と政府で見解が一致していないことを念頭に置いたものとみられます。

731部隊をめぐっては、2002年に中国人被害者らが日本政府に賠償を求めた裁判で、東京地裁、続く東京高裁が部隊による細菌戦などを事実として認定しました(賠償請求は棄却)。一方、その翌年には、小泉純一郎首相(当時)が国会で「細菌戦を示す資料は確認されていない」などと答弁しています。

地方自治体としてどこまで踏み込めばよいか悩んだ末、証言パネルの展示を見送った飯田市教育委員会。その判断は各方面に議論を呼び、パネルの展示を求める意見が寄せられる一方、「過激な展示にならないよう配慮してほしい」といった要望も寄せられました。
展示内容を再検討へ

反響の大きさを考慮して、飯田市教育委員会は開館から8か月がたったことし1月、展示内容を改めて検討する委員会の設置を決めました。

検討委員会には平和資料収集委員会のメンバーや市内外の教育関係者など計13人が名を連ねました。

2月には委員会の初会合が飯田市内で開かれました。
出席した委員からは「731部隊の説明が不十分だ」とか「小中学生でも理解しやすいように展示に注釈を増やすべきだ」などの意見が出されました。
終了後、取材に応じた委員の1人、飯田市歴史研究所の田中雅孝さんです。

(現状の展示内容では)731部隊について説明がなく、さまざまな誤解を生む可能性がある。一方で証言パネルには残虐的な内容も含まれているので、教育的な立場からもどんな展示が適切なのか考えなければならない。
飯田市教育委員会の熊谷邦千加 教育長は。

いろいろな立場のみなさんにどんな展示がよいのか意見をいただく。そうした声を受け止めて整理し、731部隊の展示も含めて祈念館をよりよいものにしていきたい。
いまだベールに包まれた部分も多い731部隊。地方自治体が日本の負の歴史にどう向き合い、平和への願いを伝えていくのか。今後の議論に注目が集まっています。
取材後記
柔和な笑顔で私を迎えてくれた元731部隊の清水さんですが、その話しぶりとはあまりにギャップの大きい壮絶な経験の数々に衝撃を受けました。子どもたちに戦争の実態を知ってほしいという清水さんの思いに共感を覚える一方、地方自治体が旧日本軍の活動を評価することへの戸惑いも感じられ、問題の難しさを実感しました。祈念館の意義がさらに高まることを願いつつ、検討委員会の取材を続けていこうと思います。(NHK長野放送局 記者 篠田祐樹)