━ 飯山市にやってきました。飯山駅のすぐ近くに、生チョコレートの生みの親、小林正和さんのお店があります。
行ってみましょう。お邪魔します。
甘いいい香りがしますね。
もう全部手作りで、一年中出しています。
━ (チョコレートが)宝石箱みたいですね。ずっと見ていられます。
今日はチョコの話をいろいろ聞かせてください。
━ この店ふるさと飯山で今年2月にオープン。
そうですね。2月8日にオープンしました。
ことしの11月で約半世紀になるんですね。50年。
30年商売したら、その店を売ってでも、田舎に来てゆっくり余生を過ごそうかなという思いもありましたのでね。
飯山市に来て、少しお役に立てることがあれば何とか力が出せるかなという思いをずっと持っていました。
━ 小林さんがそもそもこのチョコレートの世界に入ったきっかけはなんですか?
小さい時に近所に和菓子屋さんがありましてね。
その和菓子屋さんのおやじさんがガラス張りの向こうでコツコツといろいろ作っているのを見て、
「あ、こういうことだったら俺にもできるのかなという思いがありまして。
━ じゃその子どもの頃見たその職人さんの手さばきですとか、いろんなところが 小杯少年にとって、憧れの?
そうですね。もうずっと思い続けるっていうか。
━ その時からお菓子を作ったりしていたんですか?
そうですね。和菓子屋さんからあんこをもらってきて、それで家でうどん粉を練るみたいにして生地を作って、
たい焼きの型があったもんですから、そこに流して、火鉢の上でこうやりながら。
その中にあんこを入れて綺麗にできたものだけ。農家ですので、親たちが畑や田んぼに行っているときに持っていって、
それで
「おいしい」とか、「よくできたね」とか子ども心に言われるとうれしいんじゃないですか。だからその積み重ねですよね。
━ 本格的な修行というのは学校卒業して?
そうです。学校卒業してから神奈川県の茅ヶ崎にご縁があって。
おやじさんが1人でやっていまして、おやじさんは、絶対レシピとか作り方を教えてくれない人。
昔の職人さん。見て覚えろ。盗んで覚えろと言われて、だから全部盗みました(笑)
━ 全部盗んだ!?かっこいい!
3年いる間にすべて盗みました。
━ その後、32歳で独立。ご自身のお店を持った時はいかがでしたか?
最初の頃は自分なりの勉強してきたときのお菓子は作れなかったんですよね。
ですから修業先のお菓子を並べていたから、なんかしっくりいかない。
自分自身がしっくりいかないということは、当然お客さんの方は、買いに来ても不安だと思うんですよね。
自信があって作っているものかどういうのはお客さんはお見通しなんですよね。
━ そこで、生チョコレートを生み出していくんですよね?
そうですね。ここに並んでいでるように平塚に昭和50年2月にオープンしたときは40種類ぐらいあったんですよ。
トリュフという一口タイプのチョコ。
━ 外がちょっと固めで、中が柔らかい。
それでトリュフの中身だけを食べさせる方法というかね。
思い切ってまわりを外しちゃおう。外したものを型に流して、一晩置いて、
その間、置いたものの固さを見てもう少し固い方がいいとか、もう少し粘った方がいいとか。
チョコレートに対して半分は生クリームが入ったり、いろんなチョコレートを取り寄せて配合を変えたり、
生クリームを変えたりして出来上がったのが最初の一粒ということなんですよね。
━ じゃあもうこれはいけるぞと?
はい。できたときはもう本当にあぶら汗じゃないですけれど、ぞくぞくとしました。
━ 何か、歌手のヒット曲みたいな、これはいけるという?
そう。何十年も、ヒットされなくて、その一瞬、瞬間ですよね。 最初にできたレシピは全部公開しました。
━ え?そこですよね。ふつう、自分でオリジナルで長い年月かけてできたものは自分の、
例えば特許とるなりして、もうどんどん自分だけのオリジナルにしたいじゃないですか。
それを公開しているんですか、レシピを?
多くの人に食べてもらわなくてはいけない。
それは(自分の店がある神奈川県)平塚に全員が来るわけにいかない。
だったら、友達のところとかね、声かけられたお菓子屋さんとかに行って、「こういうものを作りましたよ」と披露して、
その地域、地域で皆さんにやった方がいいんじゃないですか。
町全体、日本全国いろんなとこで、友達に教えたり、知人に教えたり、洋菓子協会の仲間に教えたり。
━ 囲い込むのではなくて、みんなで広めようよ、おいしいものだから。
あとそこにいろんな活気が生まれるじゃないかという発想ですか?
そういう思いはずっと思っていましたから、今回飯山に来たのも、偉そうなことは言えないけれど、
少し市のお役立てる、お菓子作りしかできませんけど。
このお菓子を通していろんなことを皆さんと一緒にやっていければなと思っています。
━ ふるさとでいろいろやりたいこともあるそうですね。
そうですね。自分も原点が、実家の近くのお菓子屋さんなんです。
できれば子どもたちにね、そういう遊び場みたいな感覚で、チョコレートなり、お菓子なりに携わって、
そこで作ったり、自由にやってもらうというか。
プロ意識で、「こうだよ、ああだよ」という事はない方がいいと思うんです。
子どもたちの方がものすごく想像力があって感性が豊かなんですよ。
僕はそういう子どもたちに見習って、教えていただくようなことの方が合っているかなと。
━ ここまで極められて、まだ子どもたちからも吸収しようとされているんですか?
だって未来の子ども、100年先の子どもですよ。これはね、自分ももう一度感動できるんじゃないのかなって思います。
だからそういう場、環境の場を、できれば親御さんと一緒に来てもらってもいいし、そういうことを最終的にやりたい。
━ このコーナーの最後に一つの道を極める上で大切な言葉というものを皆さん書いていただいています。よろしくお願いします。
━ 一生一命。続。 どういう意味ですか。
一生一命。一つの人生一つの命。
これを思い続けて何でもやり続けるということがとても大事かな。
こういうお客さんもいたんです。「小林さんがお菓子を作っている限りは私たちとの縁は切れません」そう言われました。
ですから、持ち続けながらおいしいお菓子、チョコレートですね、
もっともっと皆さんにたくさん食べていただきたいなと思って、もう一度集大成じゃないですけれど、
自分の生まれ故郷でこういうお店が持てたということはとてもありがたいことです。