【2017年8月28日(月)放送 ゆる〜り信州 「防災の話」より】


小谷村大網地区の取り組み 


22年前の夏、平成7年7月11日、長野県北部は、記録的な豪雨災害に見舞われました。姫川流域内の各所で、土石流や地滑りが多発しました。実に、74件の土石流、69件の地滑りが発生しました。国道148号は土石流で埋没しました。また、家屋や交通網の被害も甚大でした。家屋の全壊が46棟、半壊107棟、床上浸水が131棟、床下浸水466棟という記録が残っています。これだけの災害であったにも関わらず、死者・行方不明者は一人も出ませんでした。小谷村大網(おおあみ)地区在住で、この豪雨災害の時に、小谷村の消防団副団長を務めていた原俊司(はら・しゅんじ)さん(73歳)です。
平成7年の豪雨災害では、原さんのお住まいの小谷村の大網地区でも、被害は甚大だったそうですね?


原さん:平成7年の7月11日、12日の二日間、経験したことのない雨が降り続きました。小谷村の大網地区は、姫川という川から車で5分ほどの高台にあります。他の地区に移動する場合には、姫川にかかっている橋を渡る必要があるのですが、姫川にかかる橋が流され孤立しました。電気や電話も通じない状態になったほか、食料も届かない状況になりました。


Q:原さんは、当時、小谷村の消防団副団長を務めていらっしゃいました。あの時、どんな行動を取られましたか?


原さん:姫川の警戒をしながら、小谷村役場や発電所と連絡を取り続けました。また、姫川温泉に来ていた100人ほどが孤立したため、大網地区の公民館や民家に避難してもらいました。また、当時は、長野県に防災ヘリがなかったため、新潟県とアマチュア無線で連絡を取り、防災ヘリを出してもらい、大網地区の高齢者や病人の搬出にあたってもらいました。


Q:74件の土石流、69件の地滑りが発生する大きな自然災害となりましたが、死者・行方不明者が出ませんでした。人的被害を最小限に食い止められた背景には何があったと思いますか?


原さん:地域住民が、役場からの警戒を呼びかける放送に従い、適切に避難行動をとったことが大きかったです。また、この地域は、平成7年の豪雨災害が起きる前から、大雨や大雪の経験があり、自然の怖さを知っている人が多いと思っています。あの時も、「これ以上、雨が続くと本当にまずいぞ」といった意識、「絶対に、川の近く に行ってはならない」といった意識を多くの地域住民が持っていたと感じました。また、小谷村の大網地区では、40世帯、60〜70人が住んでいるのですが、日頃から声を掛け合う関係性があります。何か異変があったら、連絡を取り合い、必要に応じて集まるような関係です。日頃から近所で声の掛け合うことが、いざというときに有効でした。


Q:平成7年豪雨災害を経験した小谷村では、その後、どんな防災対策が取られていますか?


原さん:小谷村役場が「避難所マップ」を作成し、全戸配布されています。また、「防災計画」や「ハザードマップ」も各地区に配布されています。また、土石流の対策として、姫川砂防事務所が、姫川流域の人が住んでいる地域には、砂防えん堤の工事をしました。そのほか、地区のメンバーで、改めて、地域の地形を細かく分析したり、連絡体制を随時確認したりしています。


Q: 最後に、これからの防災・減災を考えるうえで、原さんはどんなことが重要だと思いますか?


原さん: 災害を語り継ぐことだと思います。今でも、大雨が降ると、この地域の人々は、平成7年の豪雨災害のことを話します。あの時の姫川はどうだったとか、ここで土砂崩れが起きたとか、あそこで地滑りが起きたとか、そういったことを振り返ります。また、2年前(平成27年)には、平成7年豪雨から20年ということで、シンポジウムも開かれ、250人ほどが参加しました。次にいつ、記録的な豪雨となるか分かりません。過去の災害から得た教訓を、地域住民みんなで、しっかりと共有すること、忘れないこと、次の世代へ語り継いでいくこと。こういったことが大切だと思っています。


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