【2017年5月29日(月)放送 ゆる〜り信州 「防災の話」より】


茅野市金沢青柳地区の取り組み    


茅野市金沢青柳(かなざわあおやぎ)地区の取り組みをご紹介します。
テーマは、「自主的な避難所づくり」です。平成26年2月、記録的な大雪が降りました。長野地方気象台によりますと、このとき、特に県の東側の地域で大雪となり、軽井沢では99pの積雪を記録しました。この99pという数字は、観測史上、一番の記録だそうです。2番目の記録が72pということで、平成26年2月の大雪は本当に記録的なものだったわけです。この大雪によって、茅野市などを通る国道20号と、軽井沢町の国道18号などで、一時900台あまりの車が立ち往生しました。このとき、国道20号近くの青柳公民館に避難所を設営し、被災された人たちを受け入れたのが、当時、茅野市金沢青柳地区の区長を務めていた、田中正彦(たなか・まさひこ)さん(56歳)です。
まず、茅野市金沢青柳地区についてご紹介下さい。


田中さん:茅野市と富士見町の境に位置する、標高880メートルほどにある集落です。宮川(みやがわ)という川が流れ大沢山(おおさわやま)があります。現在、56世帯、180人ほどが暮らしています。想定している災害としては、水害や川の氾濫、地震、そして、平成26年に大きな被害を受けた雪害です。


Q:平成26年の大雪は、2月14日の早朝からの雪によって、夕方、国道20号が通れなくなり、多くの車が立ち往生しました。田中さんは、当時区長を務めていらっしゃいましたが、どのように行動したか教えて下さい。


田中さん:雪が降り始めた2日目の2月15日(土)の早朝から、沿道の区民による炊き出しをはじめました。 その後、数日間は復旧できないと判断し、午後3時に青柳公民館を避難所として設置することを自主的に決めました。そう判断した背景としては、車の中での待機時間が20時間を超え限界が来ていたこと、炊き出しも 数軒で行っていたため限界が来ていたこと、体調不良を訴える人が出始めたことなどがあげられます。避難所の運営を開始してからは、区民のボランティアスタッフ15人で、50人ほどを受け入れました。その後、18日(火)の朝10時に閉鎖するまで、4日間、暖をとれて安全に休める環境を維持するとともに、食事の提供を行いました。


Q:避難所をどのように運営していったのでしょうか?


田中さん:まず、ルール作りに取りかかりました。避難所のルールに関しては体調不良の人、病気の人、お年寄り、女性、子どもを最優先にする環境を整えました。公民館には部屋が3つあるのでこれを大部屋・女性部屋・家族部屋に分けて、プライバシーにも配慮した部屋割りにしました。食事に関しては、開設当初は区の倉庫に常備してある非常食を提供し、その後は、地域のお母さんたちが、朝・昼・晩と食事担当のローテーションを組んでくれました。各家庭の野菜などを持ち寄って、カレーなどをふるまいました。もうひとつ有効だったのは、避難所を利用した人の名簿を作成したんです。時間がたつにつれて車で帰れる人が出てきます。避難所を出る前に、私が、どういうルートでどこへ帰るか、車の航続距離や性能はどうかを聞きました。そして、目的地についたら、道や雪の状況がどうだったか、どれくらいの時間がかかったか、私に電話で教えてほしい、とお願いしました。そこで得た情報をこれから同じ方向に帰る人に伝えていきました。


Q:様々な工夫と配慮の中で、4日間、無事、避難所を運営されたわけですね。この避難所の運営は、自費、いわゆる手弁当だったんでしょうか?


田中さん:はい、この雪害は、災害救助法が適用されました。その結果、避難所で提供した物や経費は、後日、茅野市から補填されました。ただ、当初は、まさに、自費で、私たちが持っているものを提供したというのが実情です。


Q: いてもたってもいられない、という思いがあったわけですね。避難所を運営する上で、地域の人たちの、防災への準備が生きたそうですが、日頃、どんな準備をしていたんでしょうか?


田中さん: たとえば開設当初に提供した非常食は、区の倉庫に常備されているものです。青柳公民館の近くに倉庫が2つあります。ひとつは食料の備蓄。水や乾パンのほか、お湯を入れると食べられるご飯などを常備しています。もう一つの倉庫には災害が起きた時に役立つ様々な道具を常備しています。例えば、鍋、釜、毛布、スコップ、懐中電灯、発電機など、50種類ほどの道具を入れてあります。この2つの倉庫が非常に役立ちました。もうひとつ、日頃の備えとして有効だったのは、毎年秋に行っている防災訓練です。青柳地区には、56世帯、180人ほどが暮らしているんですが、この防災訓練には、必ず、1世帯最低1人は参加してもらっています。 訓練の中では災害の際の役割と担当者、具体的には、消火班長・救護班長・給水給食班長・避難誘導班長の確認をします。更に、倉庫の備品の確認、食べ方・使い方の確認・非常食の賞味期限の確認、などをしています。


Q: 実践的な防災訓練が、もしものときに、生きてくるわけですね。大雪のとき、避難所となった青柳公民館で過ごした人たちから、お礼の手紙やメールも数多く届いたそうですね。


田中さん: これはうれしかったです。特に子どもからの感謝の手紙は胸にこみあげるものがありました。「避難所は旅行先と同じくらい楽しかった」と書いてくれた子どももいて、あの冬の大雪と、避難所で過ごした夜が、一生の思い出になったかなとも思いました。


Q: 最後に、これからの防災・減災を考える上で、田中さんはどんなことが重要だとお考えですか?


田中さん: 危機意識を常にもっておくことだと思います。自分たちの住む地域で何かが起きた時、地域を守るのも、家族を守るのも、自分たちだと思います。もしものときのために自分たちで準備すること、自分たちで確認することが大事だと、いつも思っています。また、今回の経験を踏まえ、世代を超えたボランティア活動の輪が広がることを期待しています。ありがとうございました。


↑ ページの先頭へ