車いす避難 逃げ遅れをなくせ

【2014年3月13日(木)放送 ラジオ「防災特集」より】

Q:東日本大震災から3年がたちました。
震災をきっかけに県内では新しい福祉器具が開発され、いま、注目されています。
この福祉器具とはどんなものなのでしょうか。


A:坂道などで車いすを引っ張る器具です。

Q:車いすは押すというイメージですが?

A:車いすは押すというのが当たり前だったので、その常識をひっくり返すような器具です。 移動するときにはこの原理を使って前輪を浮かせて引っ張るので、車いすを押すときよりも軽い力で楽に移動させることができます。



A:人力車や大八車の引き手が持つ部分をイメージして下さい。
コの字型をした金属製の棒のようなものです。


取り外しが可能な器具で、車いすに取り付けて使います。
車いすは大きさがまちまちなので、幅を調節してどんな車いすにも取り付けることができます。
車いすの前輪の少し上の部分に取り付けて、人力車のように引っ張ります。



Q:どなたが開発したのでしょうか?

A:箕輪町で会社を経営する中村正善さんです。


この器具を売り出すためにおととし、会社を立ち上げました。
中村さんは、子どものころ、車いすの生活を送る弟さんがいました。
いつも弟さんと遊んでいた中村さんは重くて扱いにくい車いすをもっと簡単に動かせないか考えていたということです。

Q:では、この器具の開発を子どもの頃から考えていたんですか?

A:中村さんは大人になるにつれて、いつしか車いすのことは忘れていました。
しかし、再び車いすのことを思い起こさせたのが、3年前の東日本大震災でした。当時、津波におそわれた東北では、 車いすを利用している人など、多くの障害者が津波から逃げ切れずに亡くなりました。
中村さんはそのことを新聞の記事などで知って、子どもの頃、弟さんと遊んでいたころの記憶がよみがえったといいます。
「自分がもっとこれに早く気付いて商品化していれば、このうちの何人の方の命を救うことができたのかな」と悔しさが込み上げてきたということです。

Q:そうすると具体的に開発に取り組みだしたのはいつ頃でしょうか?

A:震災の1ヶ月後です。
務めていた会社を辞めて、災害が起きた時に車いすの人たちをすばやく非難させる方法はないか考え始めました。

Q:開発にあたってはどんな苦労があったのでしょうか?

A:中村さんはものづくりの経験がなかった点が苦労したと話しています。
一番初めはホームセンターで農業用ハウスのパイプを買ってきて、自分で手で折り曲げて作ったそうです。
それでも、昔から重いものを運ぶ道具、人力車やリヤカーがみんな同じ形をしていると気づいたのでそのイメージを元に、
1年間試作を作り続け、去年商品化にこぎつけました。


Q:この器具を販売して反応はいかがでしょうか?

A:発売されて1年たちますが4000個以上売れています。
障害のある車いす生活の方はもちろん自治体や福祉施設からの注文も相次いでるということです。

Q:自治体なども注目しているんですね。
具体的には、どう活用されているのでしょうか?

A:三重県の南伊勢町では2014年1月、
この器具を使って、車いすの方々の避難訓練を初めて行いました。


Q:南伊勢町では、なぜこの器具に注目したのでしょうか?

A:三重県の南伊勢町は太平洋に面していて、海岸線が複雑に入り組んでいます。
南海トラフの巨大地震では、高さ20メートルの大津波が押し寄せると予測されています。


このため2013年、町の避難所場所をすべて高台に引き上げました。
しかし、町では住民の半数近くがお年寄りです。
足腰の弱い人や車いすで暮らす人が、津波が来る前に避難所までたどりつけるかが課題です。


Q:実際の訓練の様子はどうでしたか?

A:避難場所までの道は想像以上に坂が急でした。
普通に車いすで上ると大人3人がかりでやっと上れたという感じでした。
しかしこの器具を使ってみると、大変ではありますが1人でも避難場所まで引っ張っていくことができました。


Q:使ってみた人の反応はいかかでしたか?

A:「押すよりも引く方が楽だ」ということで、有効な手段だと話していました。
その一方で、「津波から逃れるためには1秒でも早く非難したいので、車いすへの取り付けがもう少し簡単に短い時間でできるようになるといい」とも話していました。


Q:今後について、中村さんはどんな展望を持っていますか?

A:南伊勢町での反応はもちろん器具を使った方々の感想などを取り入れて、これからも改良を進めたいということです。
またアメリカなど海外からも注目されているということで、障害者の介助を飛躍的に簡単にするツールとして今後は世界に向けても販路を広げる計画です。
中村さんは、この器具を使うことで、被害が少しでも少なくなる可能性は十分ある、器具の開発は自分の天命だとも話していました。