あの日放送は何を伝えたか 第12回

2023年6月16日

【1943年6月5日】山本五十六元帥国葬中継

80年前の5月21日夜7時半、通常のニュースに続いて連合艦隊司令長官・山本五十六海軍大将が南方戦線視察中に戦死したことが初めてラジオで伝えられました。番組表によると軍歌「海ゆかば」に続いて大本営海軍報道部長による「山本元帥を偲びて」という項目が放送され、その後黙とう、再び「海ゆかば」で30分の番組が終わっています。

実は山本大将の搭乗機がソロモン諸島上空で撃墜されたのは4月18日のことでした。軍人のみならず国民から厚い支持を受けていた山本の戦死は全軍の士気にも関わるということで1か月以上秘匿されていました。事程左様に山本大将の戦死は軍部にとって大きな衝撃でした。

ラバウル航空基地を視察する山本五十六大将(1943年4月5日)
この約2週間後、米軍機の攻撃によって戦死した

そして6月5日、戦死によって「元帥」の称号を受けた山本元帥の国葬がラジオで中継されました。当時の国葬令では国葬の対象は皇族・華族に限られており、一般人の国葬は初めてのことでした。

この日の放送は午前9時10分から始まった日比谷公園での葬儀の模様をはじめ、放送開始から終了までほぼ国葬関連の特別番組一色でした。
さて、軍人の戦死に対しては異例であるこの国葬は、前述の通り国民の動揺を危惧した軍部が、国の英雄を悼むという理由の一方で、山本元帥の戦死を戦意高揚の一大イベントとして利用したという面は否めません。そこには優秀な指揮官を失った悲しみを、国を挙げて敵国への怒りに変えて戦争完遂に邁進しようというムードを醸成したい軍部の目論見が垣間見られます。

日比谷公園に設けられた葬場での国葬の様子
(1943年6月5日)

実際にこの国葬を報じた「日本ニュース第157号」では「予備学生志願者一日入隊」という項目も報じられていて、そのニュースの中で「山本元帥の精神を受け継ぎ、決然起って海の荒鷲を志願し、報国国防のために尽力せられんことを熱望する次第である」というコメントがつけられています。なおこの映像はNHKアーカイブスの以下のサイトで見ることができます。

⇒山本五十六元帥国葬|NHK放送史|NHKアーカイブス

国葬の時間にあわせて銀座の街頭で黙とうする市民

あたかも国中が山本元帥の国葬にあおられていたように見えます。果たして一般の市民がどれほど本気で我も我もと戦地に行くことを希望していたのかは今でははっきりしませんが、少なくとも軍部とメディアが一体となって「戦争邁進ムード」を全面的にあおっていたことは確かなようです。

(館長 川村 誠)

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