震災関連
2021/04/02

復興を伝えた被災地の新聞
最後の記事に込めた思い

東日本大震災の直後から被災地で地域の情報を届け続けた新聞があります。「復興釜石新聞」、10年間発行を続けてきましたが先月いっぱいで幕を閉じました。地域に根ざして取材を続けた記者に最後の新聞に込めた思いを取材しました。

被災地・釜石市の復興を記録してきた地元紙、「復興釜石新聞」。広さ20畳ほどの事務所に
社員10人で、新聞の制作をおよそ10年間続けてきました。

編集長は川向修一(かわむかい・しゅういち)さん(68)。釜石市で44年間取材を続けてきたベテラン記者です。創刊は2011年6月11日。震災からわずか3ヶ月後のことでした。川向さんは自宅が流され、さらに当時勤めていた新聞社も被災。輪転機は壊れ、同僚を2人なくしました。

川向さん

「ああもう無理だと。新聞記者としての仕事はもうあの時点で終わったなと」

絶望していた川向さんをもう一度奮い立たせた出来事がありました。震災後、市役所から臨時の広報担当を任されていた川向さんは、あるイベントの取材で、被災者から切実な訴えを聞きます。

川向さん

「何をやってるんだと、みんな新聞待ってるんだぞと。自分たちに向かってる情報がないんだと。自分たちがほしい情報はないと。外から来てるマスコミさんは全部外向け。釜石市民向けではないと、それをやるのはおまえだろといわれたんです」

すぐにかつての同僚に声をかけます。みずからも家族を亡くした同僚も、川向さんの思いに応えます。新聞作りの再開に向けて動きだしました。

行政から補助金を受け、市内全世帯にあたるおよそ1万9千世帯に配布。目指したのは、地域のどんなに小さな日常でも記録し、人と人をつなげること。

被災者からはこんな声が。「うれしいですね、まさかこんなに早く作ってくださると思わなかった」「地域だけのやつはなかなか、ほかの新聞にはない面がありますからね。生活新聞には最高ですね」

川向さん

「いろんなたいへんなことがあったけれどもスタートしてよかったとそのとき感じました」

3年後に補助金はなくなりましたが、有料化し発行を続けました。紙面には、おなじみのマラソン大会。地元で愛される夏まつり。そして、東北で唯一開催会場となったラグビーW杯。復興へと進む被災地を、まさに現場から伝えてきました。

川向さん

「とにかくこの10年間この地域のいろんな記録を空白にしなくてよかったなというのが一番の思い」

しかし、去年の春。新型コロナウイルスの影響を大きく受けます。記録できる日常の出来事が減り、発行回数も減少。人と人をつなぐ役目が果たしづらくなります。さらに社員の多くが年齢を重ね、体力的にも発行が困難に。これ以上続けるのは難しい。川向さんはことし2月上旬、廃刊を決断しました。悩み抜いての選択でした。

最後の紙面の記事を書くにあたって、心に決めていたことがあります。これまで被災者などに執筆を依頼してきた名物コラム。初めてみずから筆をとり、未来への思いを込めました。

川向さん

「紙面に刻まれた『何でもない日常』は今後10年、20年を経たときに大きな意味を持つことになると願っている。」

最終号となった930号。一面には、盛岡市の災害公営住宅へ入居した釜石市民の思いを伝える記事。そして、感謝の言葉と共に社員ひとりひとりの似顔絵を載せました。

紙面ができあがった直後。川向さんは長年連れ添った社員に向けて、最後の挨拶をしました。

川向さん

「10年間走り切ったわけではないけれども、一つの区切りを迎えられたのは感慨深いものがあります。地域に日記をつけるつもりで1日を重ねてきた。この10人でなければおそらくこんなことできなかったし、10年続かなかった。復興釜石新聞一つの歩みにピリオドを打たさせていただきたいと思います。本当にありがとうございました」

多くの社員が涙ぐみながら、川向さんのひと言ひと言に耳を傾けていました。挨拶のあと、川向さんも涙を拭います。10年間、懸命に被災者に情報を届け続けた新聞社の姿がそこにありました。

翌朝。社員自ら一軒一軒周り、最後の新聞が届けられました。被災者からはねぎらいの声がかけられました。

感謝の言葉は市内や県外からも多く届きました。
「釜石人としての教科書でした。」
「釜石新聞とともに育ってきた子どもたち。後継者は確実に育っています。」

被災地で伝え続けた10年間。伝えることの意味とは何か。川向さんはこう振り返りました。
「つながるってことですよね結局。それは人と人がつながる。時代と時代がつながる、世代と世代がつながる。伝えることっていうのはつながることだと思います」

取材を終えたあと、川向さんは自身も被災者であることから、被災者にきつい質問をできないこともあったと振り返りました。新聞づくりを続けられず申し訳ないと話しながらも、これから被災地を取材する人たちには“忘れないで発信を続けてほしい”と話してくれました。

今後、釜石新聞の一部の社員は「釜石まちづくり会社」でネットを使って地域の話題を発信するということです。

市毛記者

盛岡放送局釜石支局記者

市毛裕史

2015年入局 佐賀局を経て
釜石支局で震災取材を担当

休日の楽しみは釜石ラーメン店巡り