インタビュー
2021/12/14

パラリンピックを目指す高校生アスリート
小野寺萌恵さん

東京パラリンピックで、日本は前回リオ大会の24個から2倍以上となる史上最多51個のメダルを獲得し、パラアスリートの活躍に注目が集まりました。

そして3年後のパリ大会に向けて努力を続ける期待のアスリートが、岩手にもいます。
紫波町出身の高校3年生小野寺萌恵さんは、陸上競技でパラリンピックへの出場を目指しています。

地方は大都市に比べ指導者や競技人口が少ないことに加え、新型コロナウイルスの影響もあり、競技を続けていく環境が十分に整っているとはいえません。
そんな中でも努力を続けるアスリートと、娘を支える母親の思いを取材しました。

2021年09月28日『おばんですいわて』で放送

【パラ陸上競技選手 小野寺萌恵さん】

パラ陸上競技には障害の程度に応じた「クラス」が決まっていて、2桁の数字にT(Track種目)かF(Field種目)の文字を組み合わせて、T○○と表記します。
小野寺萌恵さんは〈脳性まひにより車いすで競技〉する、〈T34〉というクラスの選手です。
(10の位は障害の種類、1の位は障害の程度を示します。)
中でも100メートルから800メートルまでの短距離から中距離種目が得意で、タイヤをこぐピッチの速さを強みとしています。
萌恵さんにとって陸上競技の魅力とは?

小野寺萌恵さん 「カーブの時に遠心力を使って走る感覚と、風を切って速く走る感じが一番楽しいです」

【萌恵さんが陸上競技と出会うまで】

小さな頃から活発で体を動かすことが大好きだったという萌恵さん。
しかし4歳の時、急性脳症を発症し半年間入院。
後遺症で足に強いまひが残り、その後は車いすで生活することになりました。

萌恵さんが陸上競技に出会ったのは小学6年生の時。
学校の先生から陸上競技体験会に誘われ、そこで初めて競技用車いすに乗りました。
ふだん乗る車いすとの違いやスピードに最初は戸惑ったそうですが、徐々にその魅力にひかれ、楽しくなっていったといいます。

小野寺萌恵さん 「初めて競技用車いすに乗ったとき、選手たちはどうやって上手に、スピードを出して進んでいるんだろうと思いながらこいでいました。意外とスピードが出る車いすだったんだ、知らなかったと思って乗っていました」

少しずつ陸上の世界にのめり込んでいった萌恵さんは、中学2年生の時に出場した岩手県の障害者スポーツ大会を機に、本格的に競技を始めました。

【娘の練習を支える 母・尚子さん】

陸上競技の車いすの選手が1人で練習するのは決して容易ではありません。
練習場所への移動や競技用車いすの運搬にも多くの手間がかかります。
萌恵さんの練習をさまざまな面からサポートするのは母の尚子さんです。

学生時代は吹奏楽部だった尚子さんは、陸上競技の知識や運動の経験はほとんどありません。それでも娘の夢を応援したいと、試行錯誤を重ねながらいっしょに練習に取り組んできました。同じ障害のクラスでパラリンピックを3連覇した選手の映像を繰り返し見るイメージトレーニングや、県外で行われる練習会に参加して学んだことを練習メニューに取り入れたりしてきました。
お母さんについて尋ねた時、萌恵さんはてれ隠しからか素直になれないようでしたが、そのやりとりから2人の温かな関係性を感じることができました。

Q. 萌恵さんにとってお母さんはどんな存在ですか?
萌恵さん 「ありがたいような、ありがたくないようなですね」
母・尚子さん 「なんでー?どっちなのって聞かれてるでしょ 」
萌恵さん 「大会にいるのはありがたいですかね。平日は母親が仕事でいないので、いつも聞きたいときにいないし、聞きたくない時にいるんですよね(笑)」
母・尚子さん 「ああ、確かにね」

【実った努力と新たな課題】

ことし3月、2人の努力が実を結びました。パラリンピック代表選手も出場する国内最大規模の大会、《第32回日本パラ陸上競技選手権大会》に出場。100メートルを20秒69のタイムで走り優勝しました。
同じクラスの競技で東京パラリンピック4位の選手のタイムは19秒06。
競技歴わずか4年で、パラ出場選手の記録にあと1秒あまりというところまで迫っています。

100m・400m・800mの3種目で優勝した萌恵さん。この大会で日本パラ陸上競技連盟の定める強化育成指定標準記録も突破し、将来を期待される若手選手の1人として注目されるようになりました。
いっぽう母の尚子さんは、萌恵さんが選手として成長するにつれて、これからの練習を自分だけで支えていくのは難しいと感じていました。

母・尚子さん 「もともと私は陸上をやっていたわけではないので、競技についても、車椅子のプレイヤーとしても素人なんですよね。さらに速くなるためにどうしたらいいかとか、障害に対して身体をこう動かしたほうがいいというようなことは、専門家の意見を聞きながらやりたいというのが正直なところです」

【まだまだ整わないパラ陸上競技の環境】

しかし、萌恵さんのような地方のパラ競技選手が専門的な指導を受けるのは難しいのが実情です。パラ陸上競技連盟員によると、指導者も選手も設備の整う大都市に偏ってしまい、地方の競技人口が少ないことから各地で定期的に競技会や練習会を行うことが難しいということです。また、職業としてではなくボランティアのような形で選手指導や大会運営のサポートに関わる人が多く、遠方に足を運びにくいこともあり、地方の若手の育成までなかなか手が回りきらないといいます。

【これからの未来に向けて】

9月中旬、萌恵さんは香川県で行われたパラリンピック出場を目指す選手たちの合宿に参加しました。専門家の指導を受けながら、同世代の有望な選手たちと切磋琢磨する初めての経験に、萌恵さんは大いに刺激を受けたようでした。

合宿を終えた萌恵さんは、専門家のアドバイスをもとに新たな練習に取り組んでいました。一こぎあたりで進む距離を伸ばす練習です。例えば30メートル進むのに17回こいでいたのを15回で進めるように、具体的な数字を意識します。萌恵さんの持ち味であるタイヤをこぐピッチの速さに加え、1回こぐごとに進む距離を伸ばすことで記録更新を狙います。

これまで萌恵さんを隣で支え続けてきた母の尚子さん。成長する娘の姿に、これからも自分にできることを考えながらサポートを続けていこうと、思いを新たにしていました。

母・尚子さん 「実はまだまだ私たちもしっかり考えていなかった部分がたくさんあります。本人の楽しい、やりたいという気持ちを尊重しながら、続けていけるようにサポートできたらいいのかなと思います」

合宿を経て、萌恵さんもまた自らの意思で前に進んでいこうとしていました。

萌恵さん 「専門のコーチに教えてもらえていい勉強になったし、タイムを測った時に年下の選手に負けたりもして、悔しいなと思いました。速い人たちのこぎ方を見ていろんな経験をしていきたいと思いました。まずパラリンピックに出られるような選手になっていきたい。いろんな選手に注目される選手になりたい」

小野寺萌恵さんは、12月にバーレーンで行われたアジア地区の20代以下の選手が集う国際大会“アジアユースパラ競技大会”の陸上競技日本代表として出場。100メートルを自己ベストとなる20秒56で走り、金メダルを獲得。今後は20秒を切るのが目標と話していました。

地方から世界に羽ばたく選手が育つことで、よりパラ競技への関心が高まり、選手の育成環境が充実することを願いたいと思います。

中本カメラマン

盛岡放送局 カメラマン

中本 祐太

2019年入局

大学時代はアメフト部。

人知れず頑張っている人たちを応援したい。