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おもしろい盛岡城 “石垣だけ”なのに ② 現代修復編

江戸時代さながらの難工事とは
  • 2023年07月25日

東北では珍しい、石垣が築かれた盛岡城。

「その1 歴史編」では、豊臣秀吉重臣からの助言や、現場監督顔負けの細かすぎる指示を出していた殿様・南部利直などをひもといて、歴史をたどってきました。

その石垣、いま300年ぶりに修復工事が行われています。

取材で見えてきたのは、築城当時の江戸時代に負けないほどの苦労と情熱。

“石垣だけ”なのにおもしろい盛岡城 その2 現代修復編です。

(取材 盛岡放送局 記者 髙橋広行/ディレクター 大北啓史)

「その1 歴史編」はこちら

「根石」は動かせない

盛岡城跡北西部にある「三ノ丸石垣」。

外側にせり出すようにふくらみ、崩落する可能性が出てきたため、修復工事が行われることになりました。

2021年から石垣を解体して343個の石を取り出し、ついにことし5月から本来の傾きになるよう積み直しが始まりました。総工費およそ7億5000万円に上るビッグプロジェクトです。

今月、現場を訪ねると、石垣の隙間に小さな石を積めていく「間詰め」と呼ばれる工事が行われていましたが・・・肝心の石垣の積み直しはストップしていました。
いったい何が起きているのでしょうか。

盛岡城跡の発掘調査や工事に関わって10年余り。“ミスター盛岡城”こと、盛岡市公園みどり課の佐々木亮二文化財主査に話を聞きました。

盛岡市公園みどり課 佐々木亮二 文化財主査

盛岡市 佐々木亮二 文化財主査
「石垣を2段分まで積み直してみたんですが、どうしても、江戸時代当時の傾きにならず、大きくずれてしまうんです。これは、一番下の石『根石』が、長年の重さにより、角度が変わってしまったことが考えられます。なので、いまは作戦会議中です」

それならば、根石を動かせばいいのではと思いましたが「根石は動かせない」といいます。

実は、石垣を修復すると言っても、動かせる石は、あらかじめ決めた一部だけです。石1つ1つが貴重な文化財という観点から「江戸時代のオリジナルの石垣にはできる限り触れない」という文化庁の基準が設けられているのです。

さらに、根石は石垣の土台にあたる重要な石なので、動かせば全体が安定しなくなるなど、影響が広範囲に及びます。手をつける部分を最小限にするため「根石を動かさない」のが最善の策なのだそうです。

今後は、根石の上の石を、詳細な検討を重ねてわずかに削ることで、本来の勾配を実現するといいます。

“ものすごく難しい現場”

さらに、佐々木さんは、盛岡城ならではの特徴があるといいます。

盛岡市 佐々木亮二 文化財主査
「解体したことでわかったことなんですが、今回の現場は、築城当初よりも技術が進んできたころの石垣です。にもかかわらず、石はあまり加工されず、自然のまま面が多いんです。ここまで石の形が、バラエティあふれるものというのは意外でした」

「自然のままの面が多い」とは、どういうことでしょうか。

丸みを帯びた石

この時代、石垣を築くには、まず石ノミと呼ばれる道具で大きな岩に長方形の穴をいくつも開け、岩を割って、平らな面をつくります。そして、できるだけ隙間ができない状態にして積み上げていきます。

ところが、今回の現場では、加工されず自然の面のまま積み上げられていて、隙間に数センチから数十センチ大の石を、他の城よりも数多く敷き詰めることで強度を保っていました。

さまざまな形の石がある

佐々木さんによると、江戸時代の積み上げにあたっては、石を加工するよりも、こちらの方が手間が少なかったと考えられますが、現代では、調整の難しさに拍車をかけているのです。

ベテランの石工も、この表情です。

この道30年の石工 諏訪匡さん
「他の城と比べると、石1つ1つもかなり大型で、ごくわずかな不具合でも積み重なると、大きなずれにつながってしまい、縛りの多い、ものすごく難しい現場です。私と同世代や年上の職人さんも仲間内でいますが、みんな盛岡城の現場は嫌がると思いますよ。それだけ手強いし、くせがある」

今回の修復工事は、スタートから難問続きでした。
というのも、城の石垣修復ができる職人を抱える会社は、全国に10社ほどしかありません。熊本城や香川県の丸亀城など、災害によって緊急の工事を要する城もあり、盛岡市が2018年から行った入札は6回も不調に終わりました。
当初の見込みから予算を2倍以上に増やして、ようやく業者が決まった経緯があります。

“300年後に笑われないように”

佐々木さんは、ひとつの石を指し示しました。よく見ると何か掘ってあります。

宝永二 乙酉歳 九月二日
奉行 野田弥右衛門 
   川守田弥五兵衛

普請奉行名石

現場の石垣は1705年、いまから300年前に一度修復されていて、担当した奉行の名前が刻まれているのです。徳川幕府からの借り物とも言える城の石垣に、一家臣の名前が刻まれているのは、全国的にも極めて珍しいそうです。

佐々木さんは、工事にあたって、常にこの石を意識しているといいます。

盛岡市 佐々木亮二 文化財主査
「この現場は、江戸時代人のたちが当時の技術で、300年間持たせた石垣で、この奉行名石がその何よりの証拠です。今回の修理も、数百年持たせたい。200年後、300年後の人たちから『令和の時代は、こんなレベルの修復をしていたのか』と笑われないように、未来に残せる石垣に仕上げていきたいと思っています。盛岡城は、石垣しかないと言われることもありますが、いやいや、盛岡城はしっかりとした石垣があると思われるようにしたいです」

石垣の修復工事は来年中に完了する予定です。
いくつもの困難を乗り越えて、組み上げられた石垣の姿がいまから楽しみです。

取材後記

最後に、佐々木さんから「よく勘違いされるので、ぜひ知らせてほしいことがある」と言われました。

いま、石垣を取り外した後の盛土は、モルタルで固められ、鉄骨が挿さっています。

これは、あくまで盛土が崩れないようにするための措置。徐々に取り外してから、石垣を積んでいくとのことで「こんな現代の代物が中に紛れ込んだ状態で直していたら、それこそ、未来の人に笑われてしまいます」と話していました。

歴史ある石垣の修復がどのように進むのかは、いましか見ることができません。何度も見ている盛岡市民のみなさんも、一度も盛岡に来たことがない人も、ぜひ足を運んで、石垣を味わって欲しいと思います。

 “石垣だけ”なのにおもしろい盛岡城 その1 歴史編 はこちら

  • 髙橋 広行

    盛岡放送局 記者

    髙橋 広行

    埼玉県川越市出身。2006年入局。広島局、社会部、成田支局を経て、2019年から盛岡局。8歳と6歳の父親。「300年後に笑われない仕事を」。胸に刻みました。

  • 大北 啓史

    盛岡放送局 ディレクター

    大北 啓史

    東京都出身。2020年入局。盛岡局が初任地で4年目。石垣修復工事の行方について今後も注目していきたいと思います。

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