“医師不合格”の石碑 だれが?なんのため? 岩手・一関
- 2023年07月11日

5月ごろから、インターネット上で、岩手県にある石碑が話題になっていた。
「松井元哉 第113回医師国家試験 不合格発表閲覧之地」
SNSより
「なんやねんこれ草」
「ユニークなんだが、いまだに謎」
笑ってしまった。 合格でも変だが、「不合格」を碑にした人がいるとは。
いったいなぜこんなことをしたのか。
「松井元哉さん」にどうしても会いたい。私は、それまで職場には戻らないと宣言し、取材を始めた。
2023年7月6日「おばんですいわて」で放送
人気のない場所にぽつん
インターネットの情報を頼りに、まずは現場へ。
岩手県南部、一関市の中心部から車で20分。人気のない道路脇の林の陰に、それはあった。

高さは1メートル、厚さは2センチほどで、ずいぶんスマートだ。
「松井元哉 第113回医師国家試験 不合格発表閲覧之地」。
間違いない。黒地に、白い文字が目立つ。これを素直に信じれば、松井さんという人が、ここで、医師国家試験の不合格の知らせを受け取った、ということになる。

写真を撮っていると、林からガサガサと音がした。
まさか、松井さんにいきなり遭遇!?

飛び出してきたのはカモシカだった。
気を取り直して、石碑から歩いて7、8分の住宅地で聞き込みだ。
地元の人たち
「俺も見たよ。なんで立てたのかなあ。ちょっと変だよね」
「あるのは知っていました。でも松井さんっていう人はこのあたりではいませんよ」
すぐにわからないからこその取材だ。これくらいであきらめる私ではない。 過去にはサケの産卵を撮るため3日間、川に入っていたり、真冬に山間部の集落に1か月住み、番組をつくったこともある。
聞き込みを続けていくと、有力な情報が。
現場から5キロほど離れた場所にある看板屋が、石碑を作ったというのだ。 一気に答えに近づいた。
はやる気持ちを抑えて、看板屋へ急ぐ。
「なんでも企画」というユニークな社名が目に飛び込んできた。 作業場をのぞいてみると、1人の男性が。社長の小野寺忠浩さんだった。

人のいい看板屋さん
おそるおそる聞いてみた。
「不合格発表閲覧之地の石碑をつくったと聞いたんですが・・・」
小野寺忠浩さん
「うん、そうそう、そうだよ」
よし。これで職場に戻れる。ではなくて、松井さんに会える。
小野寺さんによると、2月ごろ、男性から急に電話が来たという。
小野寺忠浩さん
「その場所の歴史や由来なんかを説明する解説板とかはよく作るけど、不合格の碑だなんて、変なやつだなと思ったよ」
確かに、どう考えてもあやしい。
周りの人からは、注文を受けるのはやめた方がいいと止められたという。
小野寺忠浩さん
「周りは『変な人じゃないの?』っていう感じだったんだけど、でもね、2回3回とメールが来てね。本気でやりたいんだべなぁってことがわかって。メールの文章見たりすると、結構真面目な人だなと感じて」
依頼は、あやし過ぎたが、メールの文面はいたって真剣そのもの。頼まれると断れないという性格だという小野寺さんは、石碑の設置を引き受けることにしたという。
「それで、本人はどんな人でしたか?」
小野寺忠浩さん
「いや、本人に会ったことはないんだよ。電話とメールだけ。なんか奈良県の人らしいよ」
連絡先は、すぐには教えられないという。 個人情報だからやむをえない。
しかし、重要なことがわかった。 松井元哉さんは奈良県にいる。
松井元哉×奈良県
このキーワードをもとに、私はさらに、取材を進めた。
そして、1人の人物にたどりついた。
メールで、オンラインインタビューを申し込むと、応じてくれるという。ついに対面することができた。
「不合格の石碑を建てた、松井さんで間違いないでしょうか?」

「はい、私が松井元哉です。すみません。よくわからない石碑を設置して、世の中の人に混乱を招いてしまいまして」
本人だ。
奈良県立医科大学附属病院に勤める30歳の医師だった。
そう。松井さんは無事、医師になっていた。
どうしてこんなことを?
松井元哉さん
「後輩たちを驚かせたいなという思いだけでして。そうしたらこんなふうに多くの人に見つかってしまいまして、こんな取材を受けることになり、ちょっとびっくりしています」
後輩を驚かせるため?いやいや、それだけではとても説明がつかない。
私の疑念を感じ取ったのか、松井さんは、高校時代から話をひもといてくれた。
誰もやったことがないことを
大阪府出身の松井さん。 子どものころから、誰もやったことがないことをしたいと思っていたという。
松井元哉さん
「高校生になると、文化祭とかイベントでリーダー役をすることが多くなりました。文化祭でアート作品を作ることになって、どうせだったら変わったものを作りたいと。当時、僕が調べた限りでは立体のモザイクアートというのは、世界で作られていなかったので、もしかしたら世界初じゃないのかなと思って挑戦することに。サッカーボール型の地球儀を作って、それにつまようじで世界の地図を表現していきました」

小さな写真などを寄せ合わせて、ひとつの大きな絵を作る「モザイクアート」。
平面に並べて作り上げるのが一般的だが、松井さんは球状の地球儀につまようじを並べていくという、立体のモザイクアートに、クラスの仲間と挑戦した。使用したようじは5万本におよび、作品は校内でグランプリに輝いたそうだ。
医師を志して・・・
10年前、奈良県立医科大学医学部に進学した松井さんは、入学早々、自転車で全国を回るツーリングサークルを立ち上げた。

全国各地を仲間たちと回る一方で、発起人としてサークルを大きくしたいと、勧誘にも力を注いだ。
走破したルートをデザインしたクリアファイルやサークル活動をまとめた動画を制作。「一流の作品」を目指して、ドローンまで駆使し、撮影と編集に明け暮れた。
その甲斐があってか、当初3人だったメンバーは、松井さんが6年生のころには50人ほどまでふくらんでいった。

サークル活動に情熱を注いだ学生生活。
さて、勉強はというと・・・。
医師国家試験は、どんなに遅くても、試験1年前の5年生の時から本格的に準備を始めるそうだが、松井さんは6年生の夏からとりかかることに。
迎えた本番。自己採点の結果は、予備校が発表する予想合格点のボーダーラインちょうどだった。
松井元哉さん
「合格する確率は半々。内心ではドキドキしていましたが、学生時代もぎりぎりでやってきたので、最後も大丈夫だろうと。いけるだろうと思っていました」
あの地にたどりつく
そして、合格発表を待たずして、松井さんは学生最後の自転車旅行に出た。
2019年3月18日。合格発表の日は、その道中で、岩手県平泉町にある世界遺産「中尊寺」を目指していたという。
松井さんたちは、人気のない道路脇に自転車を止めた。それがあの場所だった。
スマートフォンを開いた先に、自分の受験番号はなかった。

松井元哉さん
「ある程度覚悟はしていたとはいえ、やはりショックでした。応援してくれた親だったり、大学になんて連絡しようという感じで。1年間迷惑をかけることを考えるとそれが一番つらかったですね。一緒に旅行していた同級生は合格していて・・・。親に電話で報告すると『落ち込み過ぎて、一緒に旅行している友達に迷惑をかけないでね。でもつらくなったらいつでも帰ってきてね』とやさしい言葉をかけてもらったんです」
この親の言葉に、かえって松井さんは決意した。
来年は必ず合格する。
不合格の知らせを受けた、あの地、あの感情を思い出しながら、猛勉強を重ねた。1年後、松井さんは見事合格を手にした。
しばらくして、後輩たちと「あの場所へ行こう」という話になった。
ここで、松井さんにわきおこったのは、いたずら心とみんなを笑わせたいという気持ちだった。
「不合格閲覧之地」のしるしを建てることを思いつき、仲間たちと木の板を買って作った。


この時は、不合格を確認した場所に板を立てて写真を撮っただけで、すぐ撤去して帰った。
これで話は終わるはずだった。
もっと面白いことを
その後、松井さんは2年間、研修医として経験を積んだ。忙しく充実した日々だった。そして、いまの職場である奈良県立医科大学附属病院に配属され、1年が経過した、ことし3月のこと。
また仲間たちと東北をめぐる旅行が企画され、松井さんは思いついてしまった。
松井元哉さん
「あの場所に木の板ではなくて、本物の石碑が立っていたら、かなり面白いんじゃないかと」
さっそくインターネット上の地図で、請け負ってくれる業者を探した。電話をかけた先が、看板屋の小野寺さんだった。
「石碑を建てたいんですが・・・」。
これが「松井元哉 第113回医師国家試験不合格発表閲覧之地」が建てられた理由だった。
看板屋の小野寺さんは、知り合い石材店に頼み込んで、あのあやしい石碑を完成させ、わざわざ土地の所有者に許可を取ってくれていた。

何も知らない後輩たちは、石碑を見て、目を丸くし、大笑い。その反応が本当にうれしかったという。
かかった費用は約10万円と安くはなかったが、不合格の発表を一緒に見た同級生も半額を出してくれたそうだ。
内輪で楽しむだけの石碑だったが、インターネット上の地図に「史跡」として登録されたことから、話題を集め、石碑の写真がSNSに投稿されるようになった。
思わぬ反響もあった。
松井元哉さん
「国家試験に落ちたという人から『石碑を見て勇気づけられた』というメッセージをもらったんです。だいぶおおげさですけど、何かに失敗しても、再起を誓えるような場所になってくれたら、とてもうれしいです」
“旅行医”の夢
現在、松井さんはリハビリテーション科で患者と向き合う日々を送る。

大学時代、サークルの仲間を自転車の旅に連れ出し、かけがえのない思い出をつくったように、将来は、本来なら遠出が難しい患者の旅行に同行する「旅行医」として、誰かの旅をサポートができたら、という夢も抱いている。
あの場所は、松井さんにとって、長く続いていく医師人生の原点とも言えそうだ。
松井元哉さん
「友人とか後輩をよろこばせようとしていたことを、これからは患者さんに医学の知識と臨床医として働く経験を生かして、還元していきたいと思います。あそこは、たまたま通った場所ではありますが、いまとなってはこれからもしょっちゅう行くであろう思い出の土地です」

思わず二度見してしまう奇妙な石碑は、きょうも人気のない道路脇にひっそりと建っている。
草が生い茂る季節だが、土地の所有者が草刈りをしてくれ、埋もれることはない。
夏の日差しを跳ね返し、一瞬光ったように見えた。