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若竹千佐子さん 6年ぶりの新作に込めた思い

  • 2023年06月05日

若竹千佐子さん 6年ぶりの新作に込めた思い

遠野市出身の作家・若竹千佐子さんがことし5月、「おらおらでひとりいぐも」から6年ぶりとなる新作「かっかどるどるどぅ」を発表しました。内面との対話を通じて“ひとりで生きる”姿を描いた前作から変わり、今作では孤独を抱えた人たちが寄り添って“みんなで生きる”姿が描かれています。新作に込めた若竹さんの思いをお聞きしました。
※この記事は6月1日の番組インタビューなどから構成されています。
※放送された動画はこちら。↓

若竹さんのこれまで

2018年1月 受賞後の会見

遠野市出身で千葉県在住の作家、若竹千佐子さん。55歳で夫を亡くしたことをきっかけに小説講座に通いはじめ、6年前・2017年に発表したデビュー作の「おらおらでひとりいぐも」は翌年、芥川賞を受賞しました。63歳での受賞は芥川賞では2番目に高い年齢でした。

作品のテーマは『孤独』。夫に先立たれて1人で暮らす70代の女性が、老いと孤独に直面しながら
自由に生きようとする様子を随所に東北弁を交えて描き、68万部を超えるベストセラーになりました。

その若竹さんがことし5月、6年ぶりとなる第2作を発表しました。
タイトルは「かっかどるどるどぅ」。テーマは前作から一転、「みんなで生きる」。
社会から孤立した5人の男女がともに関わり合うことで、
生きる喜びを感じるようになっていく様子を描いています。

作品に込めた思いなどを番組への生出演でうかがいました。(聞き手:菅谷鈴夏アナウンサー)

6月1日 「おばんですいわて」に出演

前作からの6年間

(菅谷アナウンサー)
今作のテーマは「みんなで生きる」ですが、若竹さんはこの6年間にどんな経験をされたのでしょうか。

(若竹さん)
この6年は結構長くて、芥川賞を頂いた当時は孫は1人もいなかったのが、いまは0歳から5歳まで
4人の孫がいますし、病気をして100日間入院したこともありますし、台風で千葉の我が家もやられたり、いろんなことがありました。

(菅谷アナウンサー)
そうした中で、「みんなで生きる」につながったのはどんなご経験だったのですか。

(若竹さん)
リハビリ専門病院に入院することもあり、介護の大変さとかありがたさを患者の側で体験することになりましたけど、手厚くてあたたかい介護の様子を見て、こういうことは生きる上で本当に大事なことなんだと感じました。お金を稼ぐとか、ただ自分で金を稼いで儲ける、それを目標にするような生き方よりも、こうやって人間の弱ったときに手を携えられる、そういう世の中が本当は大事なんだよなということを痛感しまして、なんとか小説にも込めたいと思いました。

(菅谷アナウンサー)
若竹さんご自身も大変な時期があった一方で、この間、世界に目を向けても新型コロナや紛争といった困難がありました。若竹さんにはどのように映っていたのですか。

(若竹さん)
まさか戦争が起こるなんて思わなかったし、それにコロナでますます人が孤立して、バラバラになっているような気がして、特に憤りを感じるのは非正規雇用の人がものすごく多いということです。女性では4割だと聞きます。生活のためのお金や自分の未来が描けない中で生きている人たちが多いということ。家族を持てない、持ちたいのに結婚もできない、子どもも作ることができない人が大勢いるという世の中に私はいちばん憤りを感じています。だから私は小説の形で、そういう人たちの思いを書きたいし、それは私自身が体験したことでもありましたから。40年くらい前、20代のときに私も非正規のような形で働いていた時期がありましたので、つらさは本当によく分かるんです。自分が情けない、悔しいという思いを内に込めてぐっと我慢して、小さくなって生きていたかつての私もいましたし、だからその人たちの思いを書きたいと思いました。

老いについて

(菅谷アナウンサー)
前作と変わった点もあれば、似た点もありますね。今作にも高齢の女性が3人出てきますが、
若竹さんにとって老いというものは大きなテーマになっているのでしょうか。

(若竹さん)
そうですね。それは私の緊々の問題ですから、どうやって最後まで飽きないで生きていられるかというのは。飽きないでいきいきと、死ぬまで生きるというか、どうやったらそういったことができるだろうかというのは常に、ぼんやりとでも考えていることです。

東北のことばについて

(菅谷アナウンサー)
また今作も、心情を深く表現するときに東北弁が効果的に使われていますが、若竹さんにとって東北弁は大切なものになっているのでしょうか。

(若竹さん)
どの人にとってもそうでしょうけど、私はこの言葉で大きくなったんだと。父や母や友だち、
周りのみんながこの言葉を使って、この言葉がやっぱり私は、自分の本当の底の底の思いを語れる言葉なんです。だから標準語は身構えた、いい格好しいの言葉でちょっと違うんですよね。
やっぱり私は話し言葉で書きたい。話し言葉のリズムで小説を書きたくて、話し言葉といえば私の言葉は東北弁だから、自然とそうなりますよね。どうやってそれを、東北弁を知らない人たちに知らせるというか不自然じゃなく表現できるかと。だからあえて、東北弁を知らない人に対して「今こう言ったんだよ」というふうにすることで東北人の生き方を語ろうとしたり、ちょっと大げさに言えばそんなことも考えています。

今後について

(菅谷アナ)
あっという間にお時間が近づいてきましたが、最後に、これからどんな作品を書いていきたいと考えていますか。ぜひ岩手へのみなさんへのメッセージもお願いします。

(若竹さん)
ちょっぴり漠然と考えているのは、私は遠野生まれなので遠野物語というか、遠野とはなんなのか。どうして遠野物語がそこまでみんなの注目を浴びたのか、どこに魅力があったのか、みたいなのを小説を通して書いてみたいかなと考えています。漠然とした考えで、まだまだだから時間かかります。あんまり詳しく言うとまた新たな“借金”を作るようなので、気長にゆっくり書いていきたいなと思っています。

(菅谷アナウンサー)
若竹さんの視点で見る遠野物語が楽しみです。お忙しい中、本当にありがとうございました。

タイトルについて

生出演を終えた若竹さんに、番組の中では質問しきれなかったことをいくつかうかがいました。
(取材:矢野裕一朗記者)

(記者)
タイトルの「かっかどるどるどぅ」ですが、どういった意図や意味があるのでしょうか。

(若竹さん)
子どもの頃に「ひょっこりひょうたん島」を見ていたんですけど、その中で登場人物が「ドイツのニワトリはかっかどるどるどぅと鳴くんだ」と言っていたんですね。それが印象に残っていまして、最初は「円陣を組む女たち」みたいなタイトルも考えたんですけど、それじゃ説明的すぎるんじゃないかと。逆に抽象的なものがいいと思って、それでなんとなくぱっと思い浮かんだのが「かっかどるどるどぅ」だったんです。そこに特別な何かを込めようとかはなくて(笑)

作品に込めた思い

(記者)
「みんなで生きる」をテーマに書こうと思われたのは、病気のご経験が大きかったのですか。

(若竹さん)
いえ、孫が4人生まれて、何事もなければ人生80年で2100年まで生きるんだなって思って、そのときにどんな社会なんだろうか、この子らは幸せに生きていけるだろうかと思ったんです。私が子どもの頃は、お金持ちの家にしか黒電話がなくてそこに借りに行ったんですよね、テレビも夜8時頃ですけどよそのお家で見せてもらって、10人くらい集まって1つのテレビ番組を、そこの家の漬物とか食べながら見てたんです。本当に今となっては信じられないですよね。今の私たちは携帯電話を持ってて、図書館を背負って歩いているようなものですよね。本当に便利になったんだなってしみじみ思うし、幸せな要素はいっぱいあるけど、それとは別にずいぶん人と人との距離が離れたなという気もしていて。ということは私の知っている60年のこの変化だったら、孫たちの60年はもっと変化するだろうと思うし、その間にこの子たちは幸せになれるんだろうかと。それがいちばんの書きたいと思ったことです。やっぱり孫ってかわいいんです本当に。でも孫たちの未来はどういうものかと思うと、なんか不安材料しかないよなって。人間が幸せな社会というのは、自分がいちばん弱くなったときに助けてくれる社会のことだと思うんです。非正規雇用の人がいるとか老後の金が心配だとかじゃなくて、学校だって安心して通える、学費の心配もないみたいな、そういう世界は無理なのだろうかと思うとそうじゃないと思います。結構無駄なお金ってありますよね。これから軍備を拡大するのとかって、誰が戦うのって感じですよね。そういうことを聞くとじっとしてられないというか。そういうことを考えながら書きました。

「人が変化する形を書きたい」

(記者)
今作では登場人物は5人いて、それぞれ孤独で不安な日々を送っていたけれど、他者との関わりを通じて変わっていく様子を描いていますね。

(若竹さん)
実は私、30歳くらいの時に木村保(→今作の登場人物の1人)という20代の男の主人公で、題名が「もっちゃん」という小説を書こうとしたことがあったんです。登場人物1人1人は私の分身でもありますけど、私は小説で、人が変化する形を書きたいんです。変わるというかある瞬間、こういう風に生きていた人間があることを通してこういう風に変わるみたいな。人が変わるということ、どうしたら変わるんだかということをテーマに小説を書こうと若い頃から思っていたんです。でも「もっちゃん」は全く書けなかった。やっと私もいろんな経験をして、今回木村君のことを書けたのは30歳の時よりは70歳近くになって成長したんだなって。言葉に内実が込められたというか、頭でっかちだった私がいろんな経験を通して、言葉の1つ1つに体験という重みが加わっていろんなことがわかるようになって、やっと書けたような気がします。あのとき書けなかったものがやっと書けるようになったことは嬉しかったです。

「やっぱりずっと書き続けよう」

(記者)
前作を発表して、またペンをとろうと思ったのはいつ頃だったんですか。

(若竹さん)
退院してちょうどコロナ禍になったあたりで、いくらなんでものろまだってそろそろ何かしないといけないだろうなと思っていたときに、たまたま出版社にお話をいただいて。締め切りがなかったら書けませんでした。大変でしたが、それでも書くのが楽しいなって思いました。ああでもないこうでもないと考えるのが楽しいことなんだなって、こういうのが私は向いてるんでしょうね。小説を書くのが面白いから、好きだから続けられたというのが一番なのかなと思います。前作の「おらおらでひとりいぐも」のときは書き終わったときに「これ1作でもいいな」という思いもあったんですが、2作目は書いたら「やっぱり私、ずっと書き続けよう」という思いになりました。「私にはまだ書く必要がある」みたいな。前作のときは私の全てをこの作品で出し切った、みたいな思いがありましたけど、まだ「共同体ってなんなんだろう」とか「どうして私たちはいまここに、こういう世の中にいるんだろう」みたいな視点も、まだ私なりに書いていけるんじゃないかとか。「まだやれる、まだやりたい」と思っています。

  • 菅谷 鈴夏

    NHK盛岡 アナウンサー

    菅谷 鈴夏

  • 矢野裕一朗

    NHK盛岡放送局 記者

    矢野裕一朗

    2018年入局。警察・司法取材を担当し、現在は県政全般・医療・選挙などの取材を担当。

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