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“医療的ケア児”支援 見えてきた岩手の現状と課題

  • 2023年05月31日

重い障害や病気で日常的に医療的な介護が欠かせない「医療的ケア児」は、去年の岩手県の調査では、県内に253人と5年前から58人増加しています。
県は去年9月に支援センターを設置し、こうした子どもたちや保護者を支援しようと個別に相談を聞くなどしていますが、難しい課題があることが分かってきました。
(NHK盛岡 大船渡・陸前高田報道室 記者 村上浩)

家庭訪問にて

医療的ケア児の家庭訪問

岩手県沿岸北部にある宮古市の住宅で行われていたのは、医療的ケア児の家庭での面談です。
野澤百花さん(15)は生後3か月で腸の病気で病院に搬送中に心停止し、一命をとりとめたものの  脳に重い障害が残りました。歩くことも話すこともできず、ふだんから医療的ケアが欠かせません。

野澤百花さんと母・千都子さん

野澤さん一家は百花さんの両親と中学生の弟、祖父母の6人家族。百花さんの送迎もあって母親の千都子さんは日中、外で働くことができず、夜は会社員の父親・雄一郎さんが百花さんをみています。地元には預けられる施設がほとんどありません。百花さんは現在、市内にある特別支援学校の高等部に在籍していて、学校に行っている間は預けておけますが、卒業後の預け先は無く将来に不安を抱えています。
 

百花さんのように日常的に医療的な介護が欠かせない医療的ケア児は、医療技術の進歩などに伴って全国的に増加傾向で、岩手でも2022年8月に公表された調査では253人と5年前から58人増加。介護を担う家族の負担をどのように解消するかも課題です。

母・千都子さん

嘔吐物を詰まらせるのが怖いし目を離せません。父親も常に寝不足。医療的ケア児でなければ受け入れてくれる施設はあるんです。支援学校にお世話になっている間はみてもらえるので、買い物などに行けますが今から預ける所を探しておかないと。

父・雄一郎さん

卒業すると県の療育センターのリハビリなどが使えなくなるので、宮古で紹介して欲しいとお願いしたが、それ以降は連絡が無いので難しいのかなと。

県医療的ケア児等コーディネーター 大力聡美さん

両親からの聞き取りをするのは看護師で県医ケア児支援センターのコーディネーターの大力聡美さん。ひとつひとつの疑問や訴えに耳を傾け助言します。

悩みを話すだけで気持ちが整理できたり楽になったりします。百花さんの卒業に向けて宮古市内で預け先の開拓を進めましょう。

地域の支援体制が十分でない中、子どもをどう支えていけるのか。母親の千都子さんはこんな切実な思いを口にしました。

母・千都子さん

できる限り親がみて、その後に面倒を見てくれるところを今から探しておかないと。弟には負担をかけずに自由に生きてもらいたいし。ずっと長生きで元気でいて欲しいけど、私より先に死んだ方が、この人はいいんじゃないかと思っています。私が最後を見届けてから、そのあと死んだ方がいいんじゃないかと。

相談対応は3人で

みちのく療育園メディカルセンター

大力さんの職場は県内陸部の矢巾町にある「みちのく療育園メディカルセンター」です。去年9月に設立された県の支援センターから委託を受けて相談業務にあたっています。

(左から)小山耕太郎医師・大力さん・小笠原綾子さん

スタッフは施設長の小山耕太郎医師と大力さん、社会福祉士の小笠原綾子さんの3人。県内一円の
保護者や関係機関からさまざまな内容の相談が寄せられています。
 

大力聡美さん

業務内容はかなり多岐にわたっていますが、大事なのは会ってみないと分からないことがたくさんあるということ。どんなに忙しくても現地に赴いてお話をうかがいたいと思っています。

オンライン意見交換の参加者

センターの会議室ではこの日、県内の医療的ケア児の家族で作る団体のメンバーとのオンラインでの意見交換が行われ、参加者からは子どもの状況に応じた支援が十分でないなどの不満や日々の悩みが次々に出されました。

今の受けているケアと子どもの発達具合とが合っていなくて、預かってもらうのが難しくなってきている。

うちの子は導尿と酸素吸入があるのに、介護の人から看護師でないとできないと言われた。ど素人の親たちがやってることなのに。

ケアを行う人の育成は大切。看護師が研修する場所をもっと確保して

大力聡美さん

看護師の育成には課題はある。お母さんたちの力を借りながら、ふだんこういうケアをしていますとか、この子の特徴はこういう所と教えてもらいながら一緒にケアに携わる看護師にレクチャーしていく必要があります。

2022年9月に県の支援センターが設立されてから2023年3月までに大力さんたちに寄せられた相談は156件に上り、3分の1を占める保護者からの相談は「退院したあとの子どもの預け先」や「休息を取りたい」「仕事に戻りたい」など切実な声が寄せられています。

大力聡美さん

家族は24時間365日休み無くケアしているので想像を絶する大変さだと思います。そうした中でお母さんたちはベストを尽くしていると思うので、あとは支援センターとして何ができるのかを問い続ける必要がある。

支援の“地域格差”で転居も
 

二戸市から盛岡市に転居 樋口麗以奈さん・優太郎さん夫妻

地元では十分な支援が見込めないと、転居を余儀なくされた家族もいます。樋口麗以奈さんと優太郎さん夫妻は4月に県北の二戸市から長女を連れて盛岡市に転居してきました。

次女・菜乃花ちゃん(3)

次女の菜乃花ちゃんは重い心臓病を抱えて生まれ、気管の切開を受けた影響もあって体調を崩しやすく入院しがちな状況です。隣の八戸市の医療施設でリハビリを続けていて、今は食べる練習もしています。保育士の資格を持つ母親の麗以奈さんは育休を経て、菜乃花ちゃんを受け入れてくれる保育所を探しましたが、市では「受け入れ体制の構築ができない」などとして見つからず離職。深夜のコンビニでのアルバイトに明け暮れるなど夫婦ともに疲労困憊。親が妹の菜乃花ちゃんにつきっきりになりがちの中、長女のストレスも考慮して、小学校の入学のタイミングに合わせて盛岡への転居を決断しました。

樋口麗以奈さん

本来なら夫の実家のある二戸で楽しくやりたいと思って2、3年奮闘したんですけど周囲から理解が得られなかったので心が折れてしまった。通所の施設が無いので保護者が休めない、保育園も使えない、医療的ケア児は親がみるのが当たり前で、親が倒れたらおじいちゃん、おばあちゃんがみる、おじいちゃんおばあちゃんが倒れたら施設に行ってください、というような対応でした。

菜乃花ちゃんの画像を見せる樋口夫妻

樋口さん夫妻は菜乃花ちゃんを八戸の施設に預けたまま、菜乃花ちゃんを迎え入れる準備を進めながら盛岡で生活の基盤を固め、3年後に矢巾町にある支援学校への入学を目指すことにしています。
 

樋口優太郎さん

生活の土台ができていないと下の子が戻ってもどうにもならないので、今からが本番というか頑張りどき。こっちだと頑張れると思います。

その上で樋口さん夫妻は支援の地域格差の解消を訴えます。

樋口麗以奈さん

保護者や医療的ケア児やきょうだい児に格差のないケアをして欲しい。盛岡とか矢巾とか主要な都市だけ頑張ってもダメです。県の支援センターができましたが、形だけのものにならないで欲しいです。「あなたの子どもは障害を持って生まれてきます」とか、「あなたの子どもは障害があります」とか言われたときに、誰に相談すればとパニックになってしまう保護者が減ってくれればいいと思います、センターを通じて。

大力聡美さん

県の支援センターはできたばかりなので土台を固めていく段階で、地域の皆さんにご協力いただける体制づくりを進めて行きます。医療だけでなく地域のコーディネーターや行政、福祉がチームを組んで1人の子どもに関わっていけるのが理想ですが、先進的な取り組みをしている東海3県でも担当者からは「ここまで来るのに10年かかった」という話を聞きました。そうした地道な取り組みは岩手でも始まっていて、目立たないながらも確実に“連携の芽”は出てきています。急に何かが変わると言うよりは、地道につないでいく作業が今の支援センターにできることだと思います。

取材後記

医ケア児と家族の支援に関する法律が2021年に施行され、2022年には県の支援センターも設立され、支援の取り組みは本格化しています。しかし取材を通して見えてきたのは家族の苦悩と支援の地域格差などの課題です。特に宮古市の野澤千都子さんが娘の百花さんの将来への不安から思わず発した「こんな状態だけど娘は本当にかわいくて。元気で長生きして欲しいけど、私より先に亡くなったほうがこの子はよいのでは」という言葉が突き刺さりました。
ただこの発言についてどう感じたか、支援する側の大力さんに尋ねたところ、「自分の子どもの将来を考えたときに、それがいちばんの選択と思った言葉で、お母さんとしてはベストなのかなと思います」と淡々と受け止める一方で「それが本当にベストなのか。ご両親の亡き後もその子が地域でその子らしく生きるために何ができるのか支援者として私もベストを尽くします」と言い切っていたのが印象に残りました。
大力さんも認めているとおり、看護職や介護職の人手不足の一方で医療的ケア児が増加している中、支援の地域格差が解消できるのか、解消するにしてもどのくらい時間がかかるかはなかなか見通せない状況ですが、15歳の娘を前に親が「この子は私より先に亡くなった方がよい」と話さなくてよくなる社会にしていくために、社会の一員としての自分にできることは無いのか、改めて考えさせられる取材でした。
 

  • 村上浩

    NHK盛岡放送局 大船渡・陸前高田支局

    村上浩

    1992年入局
    2012年から宮城・福島などの被災地取材を続け
    2020年から現任地

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