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震災報道を考える 若手記者座談会

  • 2023年03月29日

「心の中にずけずけと入っていいものか。葛藤があった」
東日本大震災の被災地で取材を続けている地元紙の記者のことばです。
未曾有の大災害となった東日本大震災から12年。
「テレビ離れ」「活字離れ」「ニュース離れ」と言われる今、被災地で取材を続けるテレビ、新聞の記者たちはどんなことを思い震災報道に向き合っているのか。
意見を交わしました。(放送した動画は記事下部にあります)

“祈りは何年たっても絶やしてはいけない”

岩手日報社と東海新報社、そしてNHK盛岡局が『震災報道のこれから』と題して共催した若手記者たちの座談会。NHK盛岡 釜石支局の村田理帆記者(28)。岩手日報社大船渡支局の菅原真由記者(25)。そして東海新報社の菅野弘大記者(26)と高橋信記者(35)の4人に加え、元新聞記者で釜石市に住む手塚さや香さん。陸前高田市で被災し、現在は防災士としても活動する佐藤一男さんにも参加していただきました。

はじめは震災12年となったことし3月11日の放送や紙面などを紹介。
東海新報の菅野記者は、ことしの紙面に込めた思いを話してくれました。

東海新報 菅野弘大記者

東海新報 菅野弘大記者
あれだけ多くの犠牲を出してしまった町で生きている私たち。悲劇を2度と繰り返してはいけない。そういった町づくりをしなければいけないっていう意味を込めた。自分たちがこうやって復興に向かっていろいろな1歩を踏み出せるのは、あの日生きたくても生きられなかった犠牲者の方々がいたからというのもある。そういった方々への祈りは何年たっても絶やしてはいけない。根本には追悼の気持ちがあるところを伝えたかった。

被災者取材の難しさ

これまでの3.11の報道の中、取材相手にどんな被災経験をしたのか。そう尋ねることの難しさについての意見も出ました。
東海新報の高橋記者は、もともとは震災と全く関係のない取材で知り合った夫婦に、震災の話を聞いた時の心の葛藤を話しました。

東海新報 高橋信記者

東海新報 高橋信記者
息子夫婦を亡くされてしまったという事実は、知っていましたが、あちらからそういう話をされたことありませんでした。こちらからも一切、そういう被災した経験は触れることはなく取材をしながら交流していました。
あんまり心の中にずけずけ入っていいものかどうかっていう葛藤もすごいありながら、自宅にお邪魔してすごく緊張しながら、果たして相談していいのかな、取材をお願いしていいのかなと葛藤しながら相談したことを覚えています。でも話をしたら、すごく好意的に受け入れてくれて、(話を)聞かせていただきました。話を聞けば、やはりとてもきれい事ではないな、とつくづく思いました。

岩手日報 菅原真由記者

岩手日報 菅原真由記者
仕事としての責任とは何かなと考えたときに、私個人はぐじぐじと考えるんですけれども、お願いするの嫌だな、嫌な思いをさせてしまうかもと思って取材をお願いすると取材対象者の方が、(取材対象者の)のほうがと言っていいと思うんですが、すごく報道する意義を理解してくださっていて、非常にありがたいなと思っています。

手塚さや香さん

手塚さや香さん
被災体験とは別の文脈で取材をしていて、その方々に改めて3月11日の出来事と向き合ってもらってお話を聞くという仕事は、やっぱりこの沿岸部、被災地にずっといる記者だからこそできること。この地域で取材する方々にとっては、葛藤があったりつらい部分もすごくあると思いますが、例えば15年という月日の中で高橋記者から見たこのご夫妻が、どういう変化をしていたったのかたみたいなことを読者としては読んでみたいと感じました。

“ずっとつながり続けて” 

相手につらい経験を話してもらうという取材。
そうした取材を、受ける側の思いを佐藤さんは話してくれました。

佐藤一男さん

佐藤一男さん
やらなきゃいけない、でもやりたくない取材ってあったと思います。こっちも仮設住宅の自治会長という立場にいたので、この人、何を言ってんだろうなって。いちばん思ったのは、家族を失った、お父さんを失った子どもがいないかどうか教えてくださいって。言えるわけないでしょ。
ずっとつながり続けてくれた人であれば、今まで誰にも言わなかったことも言えるようになる。私も何度かあったんですが、この人にだったら記事にしてもらってもいいって思って、今まで言えなかったことを話せるようになったことがあります。そういうところを大事にしてほしいなと思います。
あともうひとつ気になっているのが、震災当時を知らないからって、後ろに引くんじゃなくて、その疑問はぜひぶつけてほしいと思います。

NHK 村田理帆記者

NHK 村田理帆記者
ある方に言われたのは、話すことによって自分の悲しみと向き合える部分があると。逆に地元の友達だったりとかには自分の大切な家族を亡くした悲しみっていうのは共有できないし、みんな復興に向かって歩いていく中で、自分だけとどまっているというのを共有できない。でも取材であれば、ゼロベースで(話を)聞いてくれるので、すべてさらけ出せるっていうことを言ってくださった方がいて。そういう方が一人でも2人でいて私に話を聞いてほしいと思う方が少なからずいるのであれば、せめてその人たちには誠実に向き合っていこうというのが今の私の思いです。

相手と話し「聴く」こと

元記者の手塚さんは「聴く」ことの大切さを話してくれました。

手塚さや香さん
取材というか、ジャーナリスト、報道の仕事って細かく考えると、聴くことと、聴いたものを文書なり映像の形にする、伝えるって言うことの両方から成り立っていると思う。聴く。耳を傾けることと伝えること。そう考えたときに、聴くっていう行為自体の意味っていうのは、すごく大きいことがあって 私みたいに外から来た人だから言えるんだよねっていうふうに言われたときに、何か聴くこと、耳を傾けることによって何か少しでもその人たちの整理がつくようなことができたら、それはそれで自分がここにいる意味ってあるのかもしれないなっていうふうに感じました。なので多分みなさんが聴いたことを書く、書かない。聴いたことを何か企画にするしないっていう判断もあると思うんですけど、何か聴くこと自体の価値っていうのは、大事にしてもらいたいなと感じました。

“思い出したくない”と“伝える使命”

いまの震災報道について地元の人たちはどう受け止めているのか。聞き取り調査の結果をもとに考えました。

震災報道に関心があるか。
復興状況や次の災害への備えに関心があるという答えがあった一方で、「当時のことを思い出したくない」という回答もありました。

NHK 村田理帆記者
何度か取材を試みてやっぱりだめだった。できなかったことも何度かありました。どうしてもお話をすることに対して怖さだったり、あるいは自分の悲しみ自体を表にさらしたくないっていう方がいらっしゃるのも事実だと思います。

東海新報 高橋信記者
(取材)頼まれたからいいよ。その(返事の)中には本音では言いたくないことだけど、答えるよっていう人はいるんじゃないかなと思っています。それが、震災に関する話だったときにはさらに際立つだろうなと思っています。自分の中ではあんまりこう直視できないものであっても、聞かれたから答えるよとう人は間違いなくいるだろうなと思います。

手塚さや香さん
やっぱり何が起きたかっていうことを伝える使命はあると思いますし、その意味では、もちろんトラウマを、PTSDを抱えていらっしゃる方がいるってことは知っておかなきゃいけないことですけれども、一方でやっぱり今伝えていかないと10年後20年後に伝えていく素地もなくなってしまうと考えると、そこは報道の使命として今伝えるべきことはあるんじゃないかなとは思いますね。

教訓を次の世代へ

聞き取り調査ではメディアに対し、「震災の教訓を次の世代に伝えていってほしい」といった声も多く聴かれました。

東海新報 菅野弘大記者
たくさん犠牲者を出してしまったこの町だからこそ、もう2度とそういった悲しみは繰り返さないっていうところで、子どもたちがこれから大人になった時に避難所の運営だったりとか、そういった防災・震災の教訓を伝える立場になるっていうところも踏まえて、すごく学校での取り組みは私も興味深く取材しています。

佐藤一男さん
毎年のように大学生が来て、話をしていますけど、今までは(相手が)震災当時の揺れとかニュースとかを見た記憶がある前提で話していたんですけど、その記憶がない前提で、いま話をしなきゃいけない時期が防災士としても来てしまった。伝える側、受け取る側、それからそれを引き継ぐ側という3点の目線で、防災をちゃんと考え直さなきゃいけない。じゃないと東日本大震災の話って単なるデータでしかなくなってしまいます。
伝え続けること、それから自分や自分より先輩の方が話した内容は、皆さんにアーカイブされてるんですよね。それをどんどん生かしてほしいと思います。

発信側と受け手側

震災報道については、「お涙ちょうだいはやめてほしい。マスコミが求めている 被災者像と実際は違う」「マンネリ化している」という厳しい意見も寄せられました。

岩手日報 菅原真由記者
被災者像を求めてしまっている、と言われたら、もしかしたらそういう側面も否定できないかもしれない。ですが、立ち直れない姿がないということではないと私自身は思っている。難しいところなんですけど、目にうれしくない耳にうれしくないニュースになってしまうのかもしれないですけど、必要な報道でもあるのかなと思っていました。

東海新報 高橋信記者
決してそういう御涙ちょうだいとか、そういうつもりではやっていない。3.11に合わせて報道が集中的に加熱してしまうみたいなそういったところは、それだけ、例えば東海新報であればそれを新聞として記録として残さなきゃいけないっていう使命感もあってやっていたりする。情報発信側の使命感と、でも受け手側がどう感じているかとか、そういったところはちょっと考えながら冷静に、ちゃんと向き合いながらやらないといけないと、いまこの意見を見て改めて思いました。

震災報道のこれから

およそ2時間にわたって震災報道について考えた記者たち。
何を感じたのでしょうか。

東海新報 高橋信記者
ふと自分の仕事を顧みたりとか、ほかの人はどういうこと考えてどういうふうに仕事に望んでるか、あまりなかなか考えられる余裕が時間的にも精神的にもないっていうところが実際あった。そういう中でみなさんの意見とか考えを聞かせていただき、またそれをどう受け取るかっていうところも聞かせていただいて本当に勉強になりました。

東海新報 菅野弘大記者
被災地に生きる一人として、地域の方からいろいろ教えていただきながら学ばせていただきながら、何かを与えていく記事を書いていければなと思いました。

岩手日報 菅原真由記者
伝えるべきことがあって、伝える役割の人間として伝える係の人間として、ここにいるということをきちんと再認識して、じゃあその方法をどうしたらいいのかというのを地域の皆さんと一緒に考えていきたいなと思う機会となりました。

NHK 村田理帆記者
災害は東日本大震災で終わりではなく、また次いつ来るかわからない恐怖感を地元の方々は抱いてます。次来る災害にどう備えていくかっていうところも1つ取材テーマとして今後も発信していきたい。
どうやったら、関心のない人にも、あるいは被災地じゃない全国の方に見てもらえるかっていうところも役割としてあると思います。

「震災報道のこれから~若手記者座談会~」 第1部

 

「震災報道のこれから~若手記者座談会~」 第2部

 

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