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岩手取材ノート

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動画でみる東日本大震災13年|岩手

  • 2024年03月11日

 

いつかこの海をこえて

震災の翌年に作られ
先輩から後輩へと受け継がれている歌があります

「いつかこの海をこえて」

復興への願いがたくさん届きますように

鎮魂と復興

釜石市の根浜海岸では花火を打ち上げ
震災で犠牲になった人たちを悼み
能登半島地震で被害を受けた北陸の復興を祈りました

じいちゃんも俺も好きだった高田松原

じいちゃんも俺も好きだった高田松原

勉強頑張ってくるよ
じいちゃんが愛したものを確かめに毎年帰ってくるよ

幾子さんWith Love! Always

「元気出せよという意味だと思います」
震災で夫を亡くした後、高校の同級生 “大滝詠一” からCDが届いた吉田さん
「車の中でかけるとぐじゃぐじゃの心がほぐれて元気が出る」

本当にやばいと思ってくれたらな

震災後10年以上公開されなかった映像
“津波の怖さを知ってほしい”
能登半島地震をきっかけにNHKへ提供されました

陸前高田の宝もの

松原を守る活動を続けてきた鈴木善久さん
「陸前高田の宝ものにふさわしい松原になっていくだろう」

応援しててね 空から見ててね

震災後に抱いた夢をかなえ
祖母とよく訪れた釜石市の根浜海岸で報告しました

「応援しててね 空から見ててね」

震災の年に生まれた子が中学生に

「震災の年に生まれた子が中学生に」

午後2時46分
津波で亡くなったおばあちゃんの遺影を手に
海に向かって黙とうをささげました

宮古市田老地区の祈りです

神戸から虎舞を

「神戸から虎舞を」

阪神・淡路大震災の被災地 神戸市で
岩手県大槌町の団体から指導を受けたグループが海に向かって虎舞を披露しました

さみしさばかりが残る13年

「さみしさばかりが残る13年」

午後2時46分
岩手県陸前高田市での祈りです

きょうもパンを焼く

きょうも午前3時から
パンの焼けるいい香りがしていました

釜石市片岸町の小笠原さん夫妻は
被災した店舗を再建し
地元の人たちのためにパンを焼いています

5歳だった子が 大学に受かったよ

「5歳だった子が 大学に受かったよ」

岩手県陸前高田市では
13年たったいまも行方が分かっていない娘に
両親がサクラの枝を供え
当時5歳だった一人息子が大学に合格したことを報告していました

忘れたいけど 忘れられません

「忘れたいけど 忘れられません」

宮古市田老地区の高台にある常運寺では
おばと、消防団員だったおいを
津波で亡くした男性が墓参りに訪れていました

きょうも走る三陸鉄道

岩手県 釜石市鵜住居の朝です
きょうも走る三陸鉄道です

心配しないで 守ってね

「心配しないで 守ってね」

釜石市鵜住居地区の「釜石祈りのパーク」には
犠牲者を悼む人が訪れています

怒られもしたし 一緒に喜びもしたし

「怒られもしたし 一緒に喜びもしたし」

新日鉄釜石ラグビー部の選手だった石山次郎さん
震災で亡くなったラグビー部の先輩を悼みました

陸前高田市の朝

岩手県 陸前高田市の朝です

まちづくりを考えて 前に

「まちづくりを考えて 前に」

津波で181人が犠牲になった宮古市田老地区で
自宅が全壊したという男性に話を聞きました

復興への願いを込めた けんか七夕

「やっぱり気仙町に戻りたいのさ」

陸前高田市の伝統の祭り「けんか七夕」
津波で山車が1台だけになりましたが
復興への願いを込め綱を引きました
#東日本大震災から13年

90年続く宮古市の銭湯

「好きなんでしょうね、ここが」

宮古市で90年続く銭湯「福島湯」
津波の被害を受けました
3代目の志賀政信さんはいまも湯を沸かしています

仮設住宅の暮らしを大学生が体験

「寒くて眠れなかった」
「音が全部響いてしまうのがすごく怖い」
仮設住宅体験館に宿泊した大学生の感想です。
泊まってみて初めて気づくことがありました。

三陸鉄道 ー車窓から見たまちの変化ー

「車窓から見える景色が変わった」

震災の5日後には運行を再開し、多くの人々を運び続けてきた三陸鉄道。乗客たちが見てきた景色には被災地の移ろいがありました。

山田町 ー豊漁を願い海へ ”海上渡御”ー

明治時代初期に始まったこの祭り、みこしを担いで海を練り歩きます。
東日本大震災の津波でみこしなどが被害を受けましたが、2014年に4年ぶりに復活しました。

(2010年9月撮影)

田野畑村 ー三陸鉄道 島越駅ー

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青い屋根が特徴の三陸鉄道、島越駅の駅舎です。
震災の津波で全壊しましたが、2014年に赤いレンガ風の建物に再建されました。

(1997年3月撮影)

野田村 ー野田観光まつりー

野田村の「野田観光まつり」。
東日本大震災で被害を受け2011年は中止となりましたが、現在は「野田まつり」と名前を変え、毎年賑わっています。

(2010年8月撮影)

洋野町 ー“ナニャドヤラ”ー

「ナニャドナサレノナニャドヤラ」
独特の唄にあわせて踊りながら洋野町・大野地区の街を練り歩きます。
方言が元? 起源は外国語??
「ナニャドヤラ」の由来はよくわかっていません…。

(2001年8月撮影)

久慈市 ーもぐらんぴあー

1994年4月オープンの「もぐらんぴあ」。
東日本大震災で壊滅的な被害を受けましたが、「まちなか水族館」での再開を経て、現在は震災前と同じ場所で営業しています。

(1994年4月撮影)

陸前高田市 ー長部漁港の「土曜市」ー

漁が盛んになる5月ごろから12月末まで毎週開かれ、にぎわいをみせていました。 
用意された700キロあまりの魚介類が1時間足らずで完売するほどの盛況ぶりだったようです。

(2001年5月撮影)

岩泉町 ー3000本の松林ー

岩泉町小本地区の海沿いに、かつて防潮林として3000本植えられていた松の木。
津波で流されるなどして1本だけが残りました。現在は「未来につなぐ希望の松」として、地元の人々に生きる勇気を与えています。

(1985年6月撮影)

大槌町 ー蓬莱島ー

NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったとされています。
灯台は昭和28年に建てられ、島と共に漁師たちの安全を見守ってきました。

(2004年1月撮影)

宮古市 ー田老の防潮堤ー

「万里の長城」と呼ばれた世界最大級の防潮堤。
東日本大震災の津波はこの防潮堤を乗り越えて町に押し寄せました。

(1981年5月撮影)

大槌町 ー浪板海岸~鯨山ー

海抜0mの浪板海岸から標高610mの鯨山山頂までを辿りました。
大槌町の浪板海岸は東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けましたが、去年12年ぶりに海開きが行われました。

(2010年11月撮影)

大槌町 ー吉里吉里駅ー

大槌町 旧国鉄山田線の吉里吉里駅にやってきたのはキハ52。
吉里吉里駅は震災による休止をへて、現在は三陸鉄道リアス線の駅となりました。

(1982年11月撮影)

陸前高田市 ーけんか七夕ー

陸前高田市気仙町の夏の伝統行事です。 およそ900年の歴史があるといわれています。
東日本大震災で山車が流されるなどの被害を受けましたが、若者たちが勇壮な祭りを盛り上げています。

(1999年8月撮影)

2011年3月11日の記録映像          

<地震・津波の映像です> 
NHK盛岡放送局では
災害の実態を改めて知ってもらう必要があると考え 
2011年3月11日、岩手県内で撮影された記録映像を公開します。

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