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問題だらけの土地で逆転の農業 岩手 大船渡

  • 2023年02月24日

買い手も借り手も見つからない、人気のない土地。しかも、災害のリスクが非常に高い。
そんな“お荷物”だと思っていた場所から、利益が生み出されているとしたら、ワクワクしませんか?
夏涼しく、冬も寒過ぎない。岩手沿岸ならではの気候と決断力を武器に、マイナスをプラスに生まれ変わらせた経営者の物語です。
(盛岡放送局 記者 髙橋広行)

“岩手人として立ち上がらないといけない”

岩手県大船渡市の海沿いを車で走ると、1.5ヘクタールもある、ひときわ大きな建物が目に止まります。中では、トマトが栽培されていました。

最新型の農業ハウスで、温度・湿度・日射量などを24時間、コンピューターが自動で制御。どのレーンの収穫作業にどのくらいの時間がかかったか、従業員が身につけているスマートフォンですぐに把握することもできます。
リフトに乗って、高いところの収穫もらくらく。和気あいあいとした声も飛び交い、私のイメージにあった、担い手を遠ざける”農作業”とはだいぶ違いました。

この農業法人を経営する橋本幸之輔さん(42)に、くわしく話を聞いてみました。

いわて銀河農園 社長 橋本幸之輔さん

橋本さんは盛岡市出身。大学卒業後は、都内に本社がある青果の卸売会社で働いていましたが、東日本大震災で何もかも流された光景を見て、ある感情がわき起こりました。

「岩手人として立ち上がらないといけない」

たびたび帰省するようになり、2013年に会社をやめ、故郷に戻ることに。そして、実家で行っていたトマト栽培を、被災地で大きく展開できないか、考え始めます。
まず注目したのが、岩手沿岸ならではの気候です。

▽日照時間が長い
▽夏場も海からの風“やませ”が吹いて涼しい

トマト栽培にはぴったりの条件でした。
さらに、民間の農業研修に参加して勉強を重ねているうちに、岩手には少ない大規模なハウスを建て、農業のイメージを変えたいという思いが芽生え始めました。

賃料は10円/㎡なのに

県や自治体の担当者とも面会を重ねる中、たどりついたのが、大船渡市のいまの場所でした。
津波で浸水し、その後、手つかずとなっている「被災跡地」です。
市から示された年間の賃料は1平方メートルあたり、たったの10円。
しかし、この土地、すぐには使えないやっかいな状態だったのです。

当時の土地の図面です。

白い部分は市の土地(公有地)ですが、黄色い部分は民間の土地(民有地)で、虫食い状態になっています。
これでは、橋本さんがのぞむ大規模なハウスは建てられません。

なぜこんなことになってしまったのか。
原因は、ある復興政策にありました。

津波で住宅地が浸水した場合、復興にあたって、大きく2つの方法があります。

①かさ上げ(区画整理事業)
②自治体に浸水地を買い取ってもらい、高台に住宅を建てる(防災集団移転事業)

②の場合、自治体が買い取った土地やその周辺は、安全のために「災害危険区域」に指定され、新たに住宅を建てることはできなくなります。
市の中心部からも離れた現場は、こちらが採用されていました。

実は②で、買い取りの対象としているのは「住宅があった土地だけ」。
つまり駐車場や倉庫、畑だった場所などは、持ち主は変わらず、そのまま。
これは国の復興予算で買い取れるのが事実上、宅地に限られていたためですが、当時、かさ上げしなかった土地については、自治体が将来の活用まで考える余裕がなかったことも背景にあり、こうした被災跡地は、東北沿岸の被災地に、いまも広がっています。

使ってほしいと紹介されたのに、使えない土地。
橋本さんは、大船渡市に土地をまとめられないか持ちかけますが、返ってきた答えは…

「予算編成が難しい」

ここで橋本さんは大きな決断をします。自ら民間の土地を買い取ることにしたのです。

橋本幸之輔さん
「当然、初期投資は抑えたかったです。金額的には重くのしかかるものではありましたが、走り出さないと、このままでは何も進まないという気持ちもありました。本当に自分が買うべきなのか、このモデルでいけるのか、というのはかなり悩みました。最後は、買い取っても利益が出せると。被災地のために1日も早くできることをやろうと。それから、新しい農業の先例になりたいという思いもあって、買い取りを決めました」

橋本さんは、地権者18人と連絡を取り、あわせて数千万円を支払いました。
起業にあたっては、橋本さんの熱意を受けて、山梨県の農業法人との共同出資が実現したことも大きな助けになりました。水耕栽培のノウハウに長け、すでに各地に販路を持っていたからです。

その後、国の補助金も使い、2018年にハウスが完成。
現場で働くのはパートスタッフを含め、40人以上。職場は活気に満ちています。

従業員
「緑に囲まれているというのがすごくいいなと思ったし、トマトがなったときが楽しくて」
「こうやって働く場所があって、よい商品を多くの人に提供できる。この中に私もいるんだなって思うと、やり甲斐があります」

雇用を生み出す

さらに2つ目の農場の整備も進んでいます。

2023年度中に市内の別の被災跡地に3棟のハウスを建て、最大で80人を雇用する計画です。

この土地も、市有地と民間の土地が混ざっていたのですが、今度は、市が独自に1億7000万円もの予算を確保し、買い取りを進めてくれたのです。橋本さんのハウスを市や市議会議員たちが視察し、評価を得たからでした。個人の挑戦が実を結び、やがて行政全体が応援団になった好例と言えます。

第2農場の敷地は、4.8ヘクタール。これだけで大船渡市の被災跡地の5分の1が活用されることになります。

橋本幸之輔さん
「燃料費高騰の影響はもろに受けていますが、おかげさまで増収が続いています。自分でも思っていた以上に、被災跡地を活用することの意味を感じていて、第2農場も「早くつくって」「早くつくって」とという声をたくさんいただいています。いまの願いとしては、一度ここを離れた若者が戻ってこられるような場にしたいなと。外で学んだ若者が、それを生かして大船渡のため、岩手のために帰ってきて、その知恵や技術、経験を生かせる職場にしたいと思っています」

稼げる栽培モデル

被災跡地を農地によみがえらせたのは、橋本さんだけではありません。大船渡市の被災跡地では、ある果物も栽培されているんです。

いちごはいちごでも、「夏いちご」と呼ばれる品種です。

スーパーに冬から春にかけて並ぶのは「とちおとめ」や「あまおう」といった「冬いちご」と呼ばれる品種。一方の夏いちごは、6月から11月にかけて収穫されますが、暑さに弱く、まとまった産地は北海道や長野県に限られていて、市場にはほとんど出回っていません。ですが、ケーキ用などで高い需要があり、価格は冬いちごの2倍にはね上がります。

ちょっとぜいたくな「夏いちご」が、なぜ栽培されることになったのか。
太田祐樹さん(45)に話を聞きました。

リアスターファーム 社長 太田祐樹さん

太田さんは、新潟県出身で、10年以上にわたって新潟大学で野菜の細胞の研究をしていました。岩手に縁はなかったものの、9年前に、岩手県農業研究センターが、復興に関わる研究員を募集していたため、経験を生かせればと応募、即採用されます。

当時、センターが掲げていた研究テーマの1つが、いちごでした。
太田さんに課されたミッションです。

【目的】被災地の農業を再生させるため、新たな担い手を呼び込みたい
【方法】メジャーな冬いちごとマイナーな夏いちご、それぞれを栽培して年中いちごを収穫できる「稼げる栽培モデル」をつくる

太田さんは、岩手県沿岸に設けられた研究用のハウスで、この難題に挑みましたが、やがて大きな壁にぶつかります。

それは、どちらも育てれば、確かに年中、収穫はできるのですが、土地や施設の整備費が2倍になってしまうため、コストの回収に時間がかかり過ぎることでした。
収穫時期は異なりますが、収穫しない時期には、それぞれ植え替えや準備もあるため、同じ農地で、どちらも育てることはできません。

太田祐樹さん
「正直言うと、かなり早い段階で、これは絶対無理だろうと思っていました。毎日、どうしよう、どうしよう。こんな感じで悩んでいました」

冬でも“夏いちご”

答えが見つからない太田さんは、仕方なく、本来秋にはやめてしまう、夏いちごの栽培を続けたそうです。

すると…

2014年11月末の様子

11月末になっても、たくさんの実をつけ続けたのです。

太田さんは「これだけたくさん実がなれば、12月でも1月でも収穫し続けられるのではないか」と直感。事実、その通りとなりました。

いちごの栽培に適した温度は、5度から28度とされています。実は、岩手県沿岸であれば、ほぼ年中、気温がこの間におさまります。

つまり、冬いちごと夏いちごを両方栽培する必要はなく、夏いちごだけを年中育てればいいことがわかったのです。夏いちごは夏場に価格がはね上がり、ライバルもほとんどいないため、十分な売り上げも見込めます。農学博士でもある太田さんにとっても、驚きの結果でした。

太田祐樹さん
「自分が新潟出身なので、日本海側とこちらの太平洋沿岸の気候の状況が、全くわからない中で、研究を進めていたんです。冬場でもよく晴れているときは、ハウスの中にいると、暑くて暑くて、半袖でも仕事できるくらいあたたかい。これなら、夏の品種が冬もずっと採れるなって。世間は冬でも、ここではいちごの花は咲くし、実はなるし、味もいい。なんだ、できるじゃんって(笑)」

 夏いちごを、冬も育ててみる。

一般の農家がこれを確認するには、あまりにリスクが大きく、失敗が許される県の研究員である太田さんだったからこそ、発見できたと言えます。

さらに、夏いちごを冬に育てると、夏よりも時間をかけて実が大きくなるため、熟成して、甘みが増すことが判明。さらに、日照時間を調整すれば、栽培にあたっての最大の手間となる株の植え替えをすることなく、2年続けて同じ株から収穫できることもわかりました。太田さんに次々と追い風が吹く状況に。

太田さんは研究員の任期4年をめいっぱい使って、各地でこの栽培モデルの発表を重ねました。しかし、実践したいという農家は、なかなかあらわれません。それならば自らやるしかないと、2018年、太田さんは金融機関から5000万円の借り入れをして、農家に転身。
そして、格安で借りられる、大船渡市の被災跡地に目をつけました。

ピンチに強力な味方

民間の土地と市有地が混在している問題は、太田さんにもふりかかりますが、ここに心強い“助っ人”があらわれました。

地元の公民館長です。
この公民館長、太田さんの事業計画を聞きつけ、地権者の人たちを回って説得。ほどんどの地権者が、市が持っている他の土地との交換に応じてくれて、低コストで1つの大きな土地にまとまったのです。
必要な敷地が、橋本さんのトマトと比べれば、狭くて済んだことも功を奏しました。

太田さんは「これほど早くまとまるとは思わなかった。地元の人の協力には感謝しかない」と話していました。

いま13人が働いています。ことしに入り、販路は県内外の洋菓子店など50を超えました。去年は病害虫に悩まされたといいますが、いちご生産量日本一の栃木県を超えたいという大きな夢を掲げています。

太田さんの夏いちごが使われたタルト

“使われていない土地”

復興庁のまとめによると、自治体が買い取った被災跡地は、岩手、宮城、福島の3県で2100ヘクタール以上。このうち、約600ヘクタールが未活用ということです。東京ドーム128個分にあたります。これだけも相当な広さですが、実際には、自治体の集計が進んでいなかったり、活用を予定していた企業が新型でコロナの影響で事業を延期していたりするので、“使われていない土地”は、これを大きく上回ると見込まれています。

そして、ほとんどの被災跡地では、お伝えした通り、民間の土地が虫食い状態で残されたままです。橋本さんや太田さんのように、市が独自の予算で買い取ってくれたり、地元の人が他の土地との交換に応じてくれたのは、進出の強い意志や実績があったからで、あくまでレアケース。いつまとまるかもわからない土地に手を出す企業はいませんし、自治体は自治体で、企業が誘致できるかどうかわからないのに、先に予算をつけて、土地をまとめる決断はしづらいジレンマがあります。

それから、被災跡地は、大半が野ざらしの土地で、活用する場合は、整地・造成をする必要があります。震災から10年までは、国の復興交付金から補助が出ていましたが、この交付金はすでになくなってしまいました。自治体は、草刈りなど土地の管理もしなければならないため、放っておいても経費はかかります。

では、この2人の経営者に、さらなる拡大を頼めないのか期待してしまいますが、施設整備にあたっては、国の補助金もフル活用した上で、すでに億単位の借り入れをしているので、当面は難しい状況です。

まちづくりが完成したいま、被災地にとって比較的新しい課題と言えます。各自治体では、土地を活用してもらえる“プレーヤー”を県内外から呼び込めないか、模索を続けています。

取材後記

私は被災地での取材の度に、繰り返し「課題」という言葉を使って原稿を書いてきましたが、「好例」こそ、もっと発信すべきなのではないかと考えを改めるようになったのが、今回の取材でした。それほど、自ら道を切り開き、行政や地域の人たちを味方にした、橋本さんと太田さんの決断に驚きました。

なお、今回取材した農業用ハウスは、いずれも災害危険区域に建てられているので、津波のリスクは高いままです。2人の会社は、それぞれ保険に入って緊急時に備えているということです。

  • 髙橋 広行

    盛岡放送局 記者

    髙橋 広行

    埼玉県川越市出身。2006年入局。広島局、社会部、成田支局を経て、2019年から盛岡局。8歳と5歳の暴れん坊(甘えん坊)将軍の父親。
    もともと、トマトもいちごも好きでしたが、大好きになりました。

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