岩手・陸前高田 副業集団と剛腕社長 被災地で何を?
- 2023年01月30日

2021年、岩手県陸前高田市に不思議な会社ができました。
社員の半分以上が副業で、社長は元国連職員。
観光のオフシーズンであるはずの「冬」に次々とモニターツアーを企画しているといいます。
いったい何を目指そうとしているの?
(盛岡放送局記者 髙橋広行)
2022年2月22日 「おばんですいわて」で放送
放送時の情報を元に構成
●海賊サンジもびっくり!?
2021年10月、突如、陸前高田の広田湾にあらわたのは…

人気漫画『ワンピース』のサンジもびっくりしそうな、海上レストランです。

かきを養殖するための「かきいかだ」の上にイスとテーブルを仕立て、そこで三陸の幸を食べ尽くすというユニークなモニターツアーが企画されました。
仕掛けたのは、2021年まで市の参与を務めていた村上清さんです。

生まれ育ったふるさとのため、震災発生直後から、復興に尽力してきました。

これまでの陸前高田は、さまざまな支援・復興予算をいただいた10年でした。
一本松に象徴される被災地でしかなかった訳ですが、もうその方向性は転換していきたいなと。これからは新しい陸前高田の魅力をどう出していくのかが大事で、その推進役になりたいと思っています。
国連職員も経験 緒方貞子さんのもとで
村上さん、いったいどういう人なのでしょうか。
聞けば、地元の大船渡高校を卒業後、当時としては珍しく、いきなりアメリカの大学へ留学したんだとか。その後は、外資系の大手金融機関を渡り歩いたそうです。
そして2000年から5年間は、国連機関UNHCRの人事研修部長を務め、あの緒方貞子さんのもとで、難民保護を担う人たちの組織づくりにあたりました。

限られた予算と人員を最大限生かすにはどうしたらいいのか、問われ続ける現場だったといいます。
そのころ目の当たりにした難民キャンプが、震災で破壊されたふるさとと重なり、村上さんをつき動かしました。

当時の陸前高田市の災害対策本部の周辺は、ドラム缶で木を燃やして暖ををとる人たちがいて、その中に市長や市の幹部たちもいて。まさに戦時下そのものだなと思いました。
私も何人も恩師や友人たちを亡くし、実家も流され、大きなショックでしたが、震災も紛争による被害も、形は違えども、人々の生活を再建するという意味では、結果的には、やることは一緒なんです。
ここで自分の経験を生かさないといけない、立ち上がらなくてはいけないとも思いました。
シンガポール政府から7億円!
震災からまもない2011年6月、村上さんは、東京で被災状況を伝える写真展を開催します。
一民間人でありながら、各国の大使らを招待し、その場で直接支援を求めたのです。

その結果、シンガポールから7億円もの義援金の提供を独自に取り付けるのです。
そして完成したのが、このコミュニティホール。


さらに災害FMを立ち上げたり、市のゆるキャラ「たかたのゆめちゃん」の誕生にも関わりました。村上さんは「とにかく可能性があるものは、1%でもいいからやる。あらゆることをやろうと必死でした」と振り返ります。
震災から10年で決断
あの日から10年が経ち、徐々にまちづくりが進む一方、まだ空き地も目立つふるさと。
村上さんは、にぎわいを生み出すためには「いままでのやり方では限界がある」と感じていました。
そして2021年3月、大きな決断をします。
市の参与を任期途中で辞任し、観光企画会社を起業したのです。
復興の歩みの中で、それまで「あたりまえ」「なんでもない」と思っていた、ふるさとの魅力に気付かされたことも起業を後押ししたといいます。

有り難いことにみなさんからたくさんの支援・資金をいただいて、ゼロからつくり上げたまちの形は、相当に整いました。ですが、今度はそこからそれをうまく使い、それを最大限に使った発信ができているかというと、そうではないと、ずっと感じていました。
どうしても、産業の中心・市の中心が、市役所になって動いていたんですが、そうではなくて、民間がやるべきことだと思っているので、これは自分がやるべきなんじゃないかと。
陸前高田をまるごと使う
村上さんの会社では、いくつものモニターツアーを矢継ぎ早に展開しています。
ツアー客をまず案内するのが「気仙大工左官伝承館」です。

陸前高田は、江戸時代、農民が生活費を稼ごうと大工として働き、独自の技能集団となった「気仙大工」の発祥地とされています。新型コロナの影響もあり、来場者はピーク時の3分の1に減少していますが、歴史や当時の暮らしぶり、気仙大工の心意気も感じられる空間となっています。
伝承館ガイド
この組子細工は、川の流れ・家系図をあらわしています。つまり、じんざんばっだん(じいさんばあさん)の代から、私ら父さん、子や孫や、やしゃごの代まで続く。気仙大工の組み込み工法は400年から500年持ちます。
食事は地元・広田湾産のカキ。
濃厚な味わいと実の大きさで市場の評価は高い一方、流通量が少なく、全国的な知名度は得られていません。見た目も華やかな、イタリア料理に仕立てました。

そして夜は・・・。

満点の星空が。
震災によって明かりが少なくなった場所を逆手に取りました。
ツアーに盛り込んだのは、震災直後、まちに完全に明かりがなくなった時に「星がこぼれ落ちてきそうなほど美しかった」という村上さん自身の体験もあったからでした。これまで観光客が見込めなかった真冬に、食と自然、歴史を組み合わせて新たなモデルをつくり出そうとしているんです。
トライアスロンに最適?
昨年末には、首都圏の人に復興したまちと自然を“走って”めぐってもらうスポーツイベントも企画。
トライアスロンをしている東京の人から「(復興後の)真新しい道路は走りやすい」、山・海・川がコンパクトにまとまっている陸前高田の中心部は「トライアスロンに向いている」と指摘されたのがきっかけでした。

ツアー参加者
「空が広いなあと。道も本当にきれいで、走りやすくて広かったので、気持ちよく走ることができました」
「ここでトライアスロンしたら楽しいだろうなって。食事もおいしいしね」

正直、震災前は、自分自身も三陸沿岸全体が同じものだと思っていました。もともと宝石がたくさん転がっていたんですが、転がっていた宝石は、全部泥に隠れていて、見えなかった訳ですよね。それをこの10年で高田にやってきてくれた、いろんな人に言われて、磨いてみようと。磨いてみたら、どんどんどんどん光る。宝の山なんですよ、陸前高田は。
ユニークな“副業集団”
そんな村上さんの挑戦に呼応し、会社にはさまざまな経歴を持つ人たちが続々と集まってきています。
ツアー中、かきの解説をした高橋一成さん。

高橋さん
「なぜ広田湾のかきが大きく、おいしいか。それは、養殖途中でかきをお湯につける『温湯駆除』をしているからなんです。温湯駆除をすれば、余計な稚貝、生物だけを殺して、かきの実だけに栄養がたまるようになっているます。適度な生産量だからこそ、こうした手間が取れるというのも特徴です」
実は高橋さん、漁協の職員として働くかたわら、長年、岩手の自然や生物の研究を続ける専門家でもあります。

豊富な知識が、ツアー中のガイドや新たな観光メニューの開発にもつながっています。
さらに、食事をワインで彩るのは、地元をワインの産地にしようと、ぶどう農場をつくり始めたソムリエの資格を持つ及川恭平さん。

かきをイタリア料理に仕立てたのは、東京の高級店で腕を磨いてUターンし、自分の店を持とうとする菅原和麻さん。2人も仲間です。

こうした会社のスタッフの多くは、村上さんにスカウトされ「副業」で働いています。
人材を最大限に生かして課題解決にあたるのも、国連で鍛えた村上さんの流儀です。
村上さんは、地元の資源を磨き上げ、人材を組み合わせることで「被災地・陸前高田」からの脱却を目指しています。

気づいたら時代を先取りしたような形になっていたんですが、非常に個性の強い人たちが集まっているので、違った人たちが組み合うことで、1と1が組み合って、100になるケースがあるんですね。そういう新しい化学反応を、この会社では進めています。
宝石のように輝くものがたくさんあるまちにしていくのが、これまで10年間、陸前高田に支援していただいた方に対する1つの恩返しの形だと思っています。
いまは補助金活用 軌道乗るか
企画されたモニターツアーは、地元の飲食店、観光施設、ペンションなどと連携し、多才なスタッフが付加価値をつけることで、いずれも観光庁などの補助金で実施してます。今後、海外の富裕層や国内の中高層などをターゲットに、旅行商品として販売し、経営を軌道に乗せられるかがカギになります。
また、会社では仙台との直行バスを試験運行させるなど交通課題の解決にも取り組んでいます。
乗客へのアンケートで、仙台からの客の3割が、高田への観光目的で利用したことが判明していて、交通手段があるだけで、足を運んでくれる事実に、大きな手応えも感じているそうです。

取材後記
かきいかだを、そのまま食事の場所にしてしまうとは、斬新ですよね。
村上さんに聞くと「同じかきを食べるなら、少しでもわくわくするような場所で食べてもらいたいなと。使っていないいかだがあるっていうから、じゃあ、それ使えるじゃんと思って」と返されました。
村上さんには、震災の年に、私が東京からの応援で陸前高田に入って以来、折に触れて話を聞いてきました。とにかくエピソードには事欠きません。
UNHCR時代には、国連内で当時あたり前のようにあった「情」や「縁故」が働かないよう、新たな人事・評価制度を設計しました。
震災後の取り組みも数え切れないほどあり、アメリカから提供された子どもたちの教育・交流プログラム「TOMODACHIイニシアチブ」、一本松を使ったモンブラン社製の万年筆、廃校舎を利用した学びの拠点「陸前高田グローバルキャンパス」などは、いずれも村上さんの企画・働きかけで実現したものです。
しかし、弱点もちゃんとあります。
村上さんのメモは、第三者はもちろん、書いた本人ですら解読不能なこと。そして、日本人なら誰でも知っているような芸能人やアーティスト、ミリオンヒットした曲も、まず知りません。
村上さんに信頼を寄せる、陸前高田市の戸羽市長からは「そんなことでいちいち驚いていたら、清さんとは付き合えないよ。みんなが知らないことを知っているけど、みんなが知っていることは知らないんだから」と諭されました。
枠にはまらない、おさまらない村上清さんの規格外の挑戦、ますます楽しみです。