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農業は儲かるの?世界が注目!綾町・自然生態系農業の歴史

  • 2022年11月29日

新鮮な野菜を自宅で育てる「一坪菜園」から始まり、自然に優しい農業をおよそ50年続けている宮崎県綾町。町の中心部には「手づくりほんものセンター」という直売所があり、こだわりを持って野菜を販売しています。
宮崎市から車で30分。人口約7000人の町の取り組みをご紹介します。

小さな町を世界が注目!

宮崎県のほぼ中央、九州山地のふもとに位置する綾町は、今から10年前に日本では32年振り・5か所目となる「ユネスコエコパーク」に登録されました。
その大きな理由が町の大部分を占める「照葉樹林」と呼ばれる森で、カシやシイなどの大木、ヤブツバキやサザンカといった低木が新鮮な空気や豊かな水を生み出し、イノシシ・ニホンシカ・ヤマセミなど多様な生物を育てています。
その面積は2000万㎡(東京ドーム約425個分)!森林開発が進むなか「照葉樹林」がこれだけの面積でまとまって残っているのは世界的にも珍しく、大変貴重なものだということです。

なぜ綾町にこれだけの「照葉樹林」が残っているのか。
その理由は、半世紀以上にわたって、自然と共生するまちづくりが行われてきたからだといいます。そのひとつが、町の条例でも定められ、町をあげて取り組んでいる「自然生態系農業」です。
今では当たり前となった「SDGs」「循環型農業」といった言葉が広がるずっと前から、化学肥料や農薬の使用を最低限に抑えて、自然環境にダメージを与えずに農作物を育ててきた綾町。この自然とともに生きるという取り組みが「地域の自然と文化を守りながら地域社会の発展を目指す」というユネスコエコパークの理念に合致しました。

「夜逃げの町」と呼ばれていた過去も

しかし、この先進的ともいえる綾町もかつては「夜逃げの町」と言われていました。
1960年代、当時暴れ川であった綾北川と綾南川に挟まれた町は、台風が来ると中心部が水が浸かる状況でした。農耕面積はわずかなうえに土がやせていて、米も野菜も収穫量は他の地域の半分以下。野菜類は主に宮崎市から買っていました。主力産業は林業で、町民の雇用を創出するため、照葉樹林の森を伐採する計画も持ち上がったのです。

しかし、町の人たちは未来の子どもたちに綾の自然を残す道を選択しました。そして「山では人間が手を加えなくても、植物が生えてくる。その背景には山の土や生き物にあるはずだ」と考え、土づくりや鳥や虫を大切にする農業に舵を切っていきます。

動き出した持続可能な街づくり

まず始まったのは、有機肥料を使った土づくりです。牛と馬の糞尿と土を混ぜて発酵させ、さらにそれを山の腐葉土と混ぜて農地にかえしていきます。
「健康な土を作れば、健康な野菜ができ、それが人間の健康につながる」綾町は少しずつ林業の町から農業の町へと変わっていきます。

1976年に、自宅で食べきれない農産物を売る「青空市場」、翌年に農業の指導や販路拡大を担う「綾町農業指導センター」が設けられます。そして1988年に「自然生態系農業の推進に関する条例」を制定し、町が責任をもって健康な野菜を提供していくシステムを確立します。
さらに2001年には、全国の市町村で初めて有機JAS登録認証機関の登録を受け、全国に向けて有機農産物の出荷も始めました。

「照葉樹林」と農業の関連は?

50年前は懐疑的な声もあったという取り組みは実践を重ねるなかで、時代の最先端となりました。綾町の担当者は、立ち返って1つの研究を進めたいといいます。

河野 円樹 係長(綾町役場ユネスコエコパーク推進室)
「自然環境にダメージを与えずに農作物を育てる」ことが「照葉樹林」にどんな好影響を与えるかを今後明らかにしていきたい。

畑と森の間は絶えず鳥や虫が行き来し、植物の種や花粉、微生物などを運んでいます。綾町の農業スタイルが、地域全体の生態系を守っていると証明されれば、新たな「地域社会の発展」の在り方としてもさらに注目されそうです。

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