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宮崎限定の"もんぺ"文化 起源の秘密に迫る

  • 2022年11月28日

視聴者から寄せられた疑問・質問にお答えする「てげ探」。今回の質問はこちらです。

宮崎市 50代の女性
宮崎の中学校では女子が掃除中に“もんぺ”を着ます。
この文化があるのは、宮崎くらいだと聞きました。
何でなんでしょう。そして、何でなくならないんでしょう。

宮原記者

こちらが、その“もんぺ”の実物です。
県内の女子中学生が掃除の時間に着用しているもので、
学校によっては「作業着」とも呼ばれています。

上田
キャスター

私、隣の鹿児島出身ですが、
こうしたものはなかったし、初めて見ました。

宮原記者

私も今回初めて“もんぺ”の存在を知り、
興味をひかれたため、詳しく調べてみました。

宮崎の"もんぺ"実態調査!

このもんぺ、どれくらいの人がはいていたのか、街で聞いてみます。

便利でしたね、見た目はちょっと嫌でしたけど、
掃除はしやすかったです

はいてました。ダサいから短くして、
先生たちに下ろせって言われたりしていました。

中にはこんな人も

中学校は自分で縫いました。
家庭科の時間に縫って、それをはいていました。
掃除の時間着るのが普通と思っていました。

この日の聞き込みでは、幅広い年代の人から
「はいたことがある」という答えが返ってきました。

実際、どんなふうに着て、掃除をしているのか。
宮崎市の青島中学校にお邪魔しました。

掃除の時間になると、もんぺに足を通し
スカートを中に入れ込みます。
胸のボタンを留めて、着替え完了です。

床掃除の際には、スカートのすそがつかず、
動きやすいように見えます。

生徒に話を聞くと、

女子生徒
スカートだから、これをはいているのは少し楽ですけど、
形はあまり好きではないです。

校長先生にもお話を伺いました。

谷口行孝 校長
女子生徒の下着が見えないようにとか、
汚れてもいいような服装であるとか、そういった理由があったのではないかと
想像できるんですけど、それがずっと続いているということは
ほんと、何でなのかなというのは今もあります。

滑川アナ

実際にはく生徒は複雑な思いがあるようですね。

上田
キャスター

たしかに、利便性はばっちりだと思うんですけど、多感な時期ですから、ちょっと恥ずかしいなという気持ちがあるのは、理解できる気がしますね。

 

滑川アナ

この“もんぺ”、県内では、どの市町村でも
着用しているものなんですか。

宮原記者

私もそれが知りたくて、県内26市町村すべての
教育委員会に取材しました。こちらをご覧ください。

宮原記者

着用させるかどうかは各学校の判断となっていまして、
もんぺを採用している中学校が1校でもある自治体は、
10市町村に上りました。
このうち宮崎市では25校のうち21校で着用しています。
どうも宮崎市で着用する学校が増え、
さらに周辺の自治体にも広がっていったようです。

”もんぺ”の起源に迫る

教育委員会の方針とかではなく、学校間で自然に広がったのはなぜでしょうか。
教育心理学の専門家は次のように分析しています。

野崎秀正 教授
そもそも学校では、一部の教員が始めた教育方法であったり、
習慣が一度受け入れられると、教員の人事異動もあるので、県下全域に広まりやすくなります。
良くも悪くも学校文化というのは、非常に変化しづらい特徴を持っているので、特別に大きな問題がない限りは継続し続けられる傾向がすごく高いです。

この"もんぺ"文化。いつから始まったのでしょうか。調査を行いましたが、
どの教育委員会にも記録がありませんでした。
中学校の校長経験者など教育関係者を片っ端から取材したところ、
宮崎市の宮崎西中学校が最初ではないかという情報が得られたため、
早速、卒業生に会ってみることにしました。

話を伺ったのは、こちらの3人。
昭和41年に宮崎西中学校に入学した黒木さん、山下さん、山岡さんです。
彼女たちこそが宮崎西中で、もんぺを着用し始めた世代だというのです。

宮原記者

これ、なんて呼ばれていました?

山岡さん

“もんぺ”です。嫌でした。
最初にこれをはくように言われて、
スカートの上からってみんな抵抗がありましたね。
でも、はきだしたら便利がよかったですね

宮原記者

デザインはどうでしたか?

山岡さん

今のといっしょです、変わらないです。
記憶をたどると、入学して制服とか買う時に、
 “もんぺ”は買った覚えがないんですよ。
だから途中から履くようにとの指示が出た記憶があるんですね。
1年生の終わりか、2年に入るか、定かではないんですけど。

3人の卒業アルバムには載っていませんでしたが、
1つ下の学年の卒業アルバムには作業着姿の生徒が写っています。

乙女心をおもんばかってか、アルバムにはこんなコメントも。

黒木さん

いいと思います、私は。
孫もいますから、女の子が。
はいてくれたらいいなと思います。
ばあばがはいてた作業着って。

宮崎西中学校では、少なくとも昭和41年か42年には
もんぺをはいていたということがわかりました。
さらに確証を得ようと、当時、この作業着を作っていた業者を探しだしました。

こちらが当時、注文を請け負っていた会社です。
今は、経営者が代わっていますが、当時の方に話を聞くと、
昭和40年代の初頭から作り始めたことが確認できました。

実は、宮崎西中より少し前に、
別の中学校の家庭科の先生から寄せられた相談がきっかけだったそうです。

『女子生徒が掃除をしていると、 男子がほうきの先でいたずらするので、
掃除に集中できる服装を考えてほしい』と頼まれたということでした。
そこで、裾の部分が狭まった戦時中のもんぺをヒントに考案したと話していました。

宮崎西中学校卒業生の3人組も、こんな証言をしていました。

山岡さん

拭いていると、ほうきでスカートの後ろから持ち上げたり。
クラスの人に1人、2人、やんちゃな男の子がね。

宮原記者

作業着姿になると、そうしたスカートめくりは全然ないですか。

山岡さん

なくなりました。

もんぺの作業着が誕生した背景には、こういった事情もあったようです。
一方、今後の着用について、実用的だとして最近になって新たに取り入れる学校もあるにはあるようですが、発祥の地である宮崎市の学校現場では、
もんぺである必然性は失われたという声が広がりつつあるようです。
具体的には、

「大半の女子生徒が日常的に体操着をスカートの下にはいているので、もんぺは必要ない」
「女子にだけ負担を強いるのはおかしい」

といった意見です。
実際に着用をやめる学校や、着ても着なくてもよいとする学校も徐々に出てきています。
こうした状況について、専門家は次のように指摘しています。

野崎教授

今の学校の状況として極力、要らないものはなくしていこう、
スリム化を図っていこうという傾向がありますし、
金銭的な保護者の負担だとか、あとは女子のみに
そういう着用の義務を強いるというようなことが
時代にちょっと合わなくなってきたということがあるのではないでしょうか。

長期的に見ると、消えゆく運命なのかもしれません。
取材した感想として、宮崎の中学校で作業着の文化が半世紀以上も続いているのは、
掃除を単なる作業ではなく学業の一環ととらえ、掃除に集中できる環境を
整えようとしてきた学校現場の努力の結果なんだと思いました。
 

  • 宮原 利修

    宮崎コンテンツセンター

    宮原 利修

    ・取材現場では数少なくなった昭和生まれ
    ・宮崎在住2年目
    ・宮崎伝統の無言清掃にスイッチが入る“もんぺ”

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