ページの本文へ

NHK宮崎WEB特集

  1. NHK宮崎
  2. 宮崎WEB特集
  3. ありがとうクドー

ありがとうクドー

  • 2022年11月16日

ありがとう、クドー

先月、テゲバジャーロ宮崎に所属する元日本代表、工藤壮人選手が亡くなりました。
サポーターだけでなく、選手たちにも慕われた工藤選手。
かつての戦友たちが、思い出を語ってくれました。
 

酒井宏樹選手(浦和)

写真提供:KASHIWA REYSOL

間もなく開幕するカタールW杯の日本代表に選ばれた、酒井宏樹選手(浦和)。
柏のエースだった工藤選手とは、アカデミーからの同期。
仲間と病院に駆けつけましたが、会話はかないませんでした。
 

 

いつも明るくリーダー的な存在。
いっぱいみんなでふざけたし、その中心にはいつも工藤がいました。
チームの調子が悪い時こそ点を取って、元気づけてくれる。
綺麗なゴールではなくても、泥臭くても、
必ず1点は取ってくれる生粋のストライカーでした。
サッカー選手として、もっと見たかった景色があると思いますし、
もっと求めたかった結果もあると思う。
宮崎のことも、地域ごと好きになろうとしてましたし、
そういう選手、そういう人なので。
宮崎のサポーターにとって心に残ってくれたらいいと思いますし、これからも
宮崎で活躍した選手の1人として、しっかり記憶に残していって欲しい。
暗くなるのは工藤も求めてないと思いますし、この先みんなで会ったとしても
明るい話をできるようにしてあげたいなと思います。
僕だけじゃなく、ユースの同年代の選手たちがより一層頑張って、
結果を出し続けて、
ずっと“一緒にいる”ことができたらいいんじゃないかなと思います。

長友佑都選手(FC東京)

同じく、カタールW杯の日本代表・長友佑都選手(FC東京)。
かつて代表で一緒になった工藤選手には、短期間共に過ごしただけで、その人柄に惚れたと言います。
4回目の大舞台では、工藤選手に恥じない“戦う魂”を見せたいと誓ってくれました。

 

日本代表で2013年に彼と一緒にプレーさせてもらって、
プレーもそうですけど、ほんとに優しい人間性、心っていうものを、
すごく思い出しました。
彼のあの無邪気な笑顔をすごい憶えていて、鮮明に自分の心に焼きついていて、
ほんとに心優しい選手だったんですよね。
だけど試合でピッチに立つともう、チームのために走って、戦って、魂を見せて、ゴールを決めてくれる。そのギャップにまた惹かれたなと思います。
W杯では、僕は工藤選手みたいには、なかなかゴールもとれないし、
うまい選手ではないけれど、ただ誰よりも“魂込めて”戦う。
そういう姿勢を、工藤選手に見せたいなと思います。

伊野波雅彦選手(元日本代表)

元日本代表・伊野波雅彦選手は、宮崎市出身。
同郷のJリーガーたちで集まってサッカー教室を開くなど、
地元宮崎をサッカーで盛り上げようと活動しています。
生前、「テゲバを上のカテゴリーへ導き、地域のサッカー熱を高めたい」と望んでいた工藤選手は、
いわば“同志”。かけがえのない仲間として、遺志を継いでいくべきだと話します。

 

工藤くんとは代表の合宿で一緒になって、2人で話した記憶が残ってます。
バスで練習場まで行く時に2人1組で乗るんですけど、隣りどうしで。
他愛もない話、プライベートな話もしたけど、サッカーの話ばっかしてましたね。
僕はセンターバックなんで、駆け引きの話をしたり。
僕たちももちろんそうですけど、
ほんとにサッカーが好きだったんだろうなって・・・。

僕たちが地元に尽くすっていうのは当たり前のことなんですけど、
工藤くんが宮崎でやってきてくれたことをムダにしないように、
例えば、僕たちの経験を少しでも
地元の子供たちに還元できるようにしていきたいなと思ってますし、
宮崎の発展というかそういったところに、
サッカーで携わってきた人間がしっかり行動を起こして、
彼の分まで発展に尽くすっていうことが、
一番、彼も喜んでくれるんじゃないかなと。

佐藤寿人さん(元日本代表)

工藤選手が慕っていた先輩のひとり、元日本代表・佐藤寿人さん。
亡くなるひと月前に、笑顔を見たばかりでした。

 

羽田空港でほんとにばったり会って、「寿人さん!」と声をかけてくれて。
会って話をするのは久しぶりだったんですけど、
変わらない、あのほんとに屈託のない笑顔で。
「(テゲバは)クラブとしてはこれからのクラブだけど、人も温かくて、
  宮崎すごいいいところですよ」っていう話をしてくれて。
「じゃ次は宮崎で、ちょっとご飯でも食べながらもっといろいろ話をしよう!」と
 再会の約束をしたまま、それが最後の会話になってしまったので…。

広島時代の工藤選手 寿人さんは心許せる先輩だった

寿人さんの後釜と期待され広島に入団した頃の工藤選手にとって、
寿人さんは心を許せる相談相手でした。
当初なかなか結果を出せない時期は、不安や苛立ちもあったはず。
なのにそうした負の感情は一身に封じ込めていたのか、決して弱音は吐かず、
いつも周りを元気にしてくれる工藤選手を、年下ながらリスペクトしていたと言います。

もしかしたらストレスは抱えていたかも知れないですけど、
なるべく前向きな言葉を選んでしっかり自分の言葉として発していました。
彼はほんとにハードワークできる選手なので、
ゴールっていう結果に繋がればもちろん一番嬉しいですけど、
そのハードワークは
間違いなくクラブのためになってるよっていう話はしていました。

あとは、やはり人を大切にしてくれる選手だったなって、改めて思いますね。
どの地域、どのクラブに行っても、その場所にいる人も、歴史も、
いろんなものを大事にしてくれる人だったので、
だからこそこういう結果っていうのは、
いろんな人にとっても悲しい出来事になってしまったかなと思います。

宮崎に、テゲバジャーロに、工藤壮人がいたっていうことを
力強く残していくためにも、
クラブがこれから発展していくっていうことが、何より一番の報いになると思う。
それが彼が宮崎に来る1つの大きなモチベーションだったと思うんで。
すぐにトップレベル、トップリーグにいくっていうことは簡単ではないですし、
そこに対するチャレンジを、工藤壮人という男は選択した。
彼が道半ばで果たせなかった夢を、残された選手、スタッフ、地元の人たち…
テゲバジャーロに携わる“オール宮崎”の力で実現していく。
いま、カテゴリーはJ3ですけど、J2、J1っていうところにあがっていく、
そういう景色に辿り着いた時、それを見た時に、
さらに満面の笑みを、天国から見せてくれると思うんで。
地元の人たちにも、ぜひテゲバジャーロの魅力を少しでも知ってもらって、
スタジアムで一緒に戦うことで、
1つのストーリーとして彩られていくと思いますし、
彼の思いをしっかり繋ぐ形で、
宮崎の人たちで未来を作っていって欲しいなと感じます。

前園真聖さん&福西崇史さん(元日本代表)

11月13日に行われたテゲバジャーロ宮崎のホーム最終戦。
解説を担当した、元日本代表の前園真聖さん・福西崇史さんにも、
工藤さんへのコメントをいただきました。

前園さん

これだけの、日本代表、そしてJでの経験値のある選手が
宮崎に来てもたらしたものは大きいと思いますし、
一緒にやっていた選手たちは間近で見ているので、
工藤選手の良さ、そこから得たものっていうのを、
ピッチで思う存分、サッカーを通して返していってほしいと思います。

福西さん

僕もね、彼の笑顔っていうのを結構覚えてますね。
残念で仕方がないです…。
彼のプレー、ひたむきさ。「泥臭くても1点は1点だ!」と。
そして、みんなを引っ張っていく姿勢を見せてくれる。
それに引っ張られた選手って、いっぱいいると思うんですよね。
テゲバの選手は、それを引き継いで
これからも続けていかないといけないし、
日本の選手たちはみんな、彼の代わりにそうした「魂」を持って、
これからのサッカーを続けていかなければいけないんじゃないかな。

テゲバは、工藤選手を亡くした後、負けていません。
ホームでの最終戦。
J2昇格を狙う松本山雅相手にゴールラッシュを見せ、今季初の3連勝を遂げた後、
天の工藤選手に拳を掲げたキャプテンの代健司選手。
サポーターには、こう語り掛けました。

正直、壮人がいなくなった寂しさや苦しさ、心の整理はまだまだつきません。
どんな時でもチームや仲間を思いやる心。
どんな時もポジティブに考える、前進する足。
そして、みんながポジティブになれる笑顔。
多くのものを、彼は遺してくれたと思います。
ここテゲバジャーロ宮崎で戦った工藤壮人の雄姿、
汗を流し、ゴールをたくさん決めてきた工藤壮人の雄姿を、
どうか忘れないでください。
我々は壮人に恥じぬよう、これからも戦い続けていきたいと思います。

選手として人として、所属した先々でファンを増やしてきた工藤選手。
あのゴールへ迫る姿や、弾ける笑顔が見られないと思うと、残念でなりません。
後を継ぐテゲバの選手たち・クラブを地域一丸となって応援して、
宮崎に、彼の描いた未来が創られることを願いたいと思います。

ページトップに戻る