宮崎名物"完熟マンゴー" 知られざる沖縄と宮崎の40年の絆
- 2022年05月21日

宮崎が全国に誇る果物・マンゴー。その誕生や成長の裏には常に沖縄との交流がありました。沖縄の本土復帰50年となる今年、宮崎名物のマンゴーから"宮崎"と"沖縄"のつながりをみつめます。
宮崎と沖縄 マンゴーとの出会い
いまや全国に誇る「完熟マンゴー」が宮崎に広まったのは、西都市で農家を指導してきた楯彰一さんの沖縄での体験がきっかけでした。沖縄が本土に復帰して10年余りたった昭和59年。みかんの視察で訪れた沖縄で、たまたま口にしたマンゴーの衝撃はいまだに忘れられないと言います。

元JA西都 楯 彰一さん
まったく既存の果物と違うものだったのでびっくりしました。ボリュームがあって甘い香りが店頭に漂っていて、非常に果汁が豊富でですね。これを宮崎でやりたいなと思いました。
すっかりマンゴーに魅了された楯さんは宮崎に戻り、さっそく農家に声をかけます。全く未知の作物だったマンゴー。呼びかけに応じた金丸敏幸さんたち8人が栽培に挑むことになりました。
水田に建てたハウスで始まったマンゴー作り。しかし、当初はうまく実をつけるために必要な受粉の方法すら分かりませんでした。途方に暮れた金丸さんたちが頼ったのが、栽培の先駆者・沖縄の農家でした。
沖縄でマンゴー研究会の会長をしていた平良良孝さん。宮崎の農家に持っていたノウハウを隠すことなく伝えてくれたといいます。平良さんの後輩の宮城康吉さんが「なぜ平良さんたちはマンゴーの栽培技術を教えてくれたのか」その思いを明かしてくれました。

沖縄のマンゴー農家 宮城康吉さん
自分たちで苦労して作り上げた技術を他県に教えるのは多少抵抗あったと思います。でも宮崎っていうと戦争中に疎開でたくさんの方々がお世話になった所であるし、なんとかそういうことでお礼がご恩返しが出来ればいいんじゃないのってということで、教えたよっていう先輩方の話はよく聞きますね。
宮崎"完熟マンゴー"の誕生
宮崎でマンゴー作りが始まって3年。ついに初めての出荷にこぎ着けました。さらに宮崎独自のアイデアも生まれました。それまで収穫時期は実の色づきを見て判断していた楯さんが、あることに気がついたのです。
楯さん
落ちたやつを食べさせてもらったらおいしいんですよ。落ちたやつに限って甘さなり、果汁さがぜんぜん違う訳ですよ。
思いついたのが落下する実をネットで受け止める方法でした。宮崎が誇る「完熟マンゴー」の誕生です。

急速に品質を高め、ブランド化に成功した宮崎のマンゴー。全国での認知度を高めていきました。その波に乗って、沖縄のマンゴーも生産量を伸ばしていきました。そこで楯さんたちは、かつて栽培のイロハを教えてくれた沖縄の農家に、今度は宮崎生まれの栽培技術や市場開拓のノウハウを提供しました。
楯さん
商品価値を上げてきれいなマンゴーを作って、いかに商品PRをして販売をしていくかという交流を絶えずやりながら、一緒に産地のブランド化につとめていこうと始めました。
宮崎と沖縄 続くつながり

マンゴーを通じた交流が始まっておよそ40年。沖縄の宮城さんのハウスにその結びつきを示す証しが、ありました。マンゴーの苗木です。定期的に木の植え替えが必要なマンゴー。いまも宮崎の農家に毎年1000本近くを送っているのです。
宮城さん
毎年新しいことへのチャレンジがあるわけです。どんどん作って、どんどん苗木を更新してもらって頻繁に栽培者の交流が図れたら非常に幸いだなという風に考えてますね。
楯さん
本当に沖縄のみなさんには感謝しかないですね。同じ作物を作っている者どうしマンゴーを作っておいしいものを作って、消費者のみなさんにおいしく食べてもらいたい。やっぱり思いはみなさん1つですから。
戦中、戦後とつながる宮崎と沖縄。マンゴーには平和の上に築き上げられた絆が息づいています。