茨城 結城酒造火災 支援相次ぐ "お酒で恩返しを"杜氏の思い
つくば支局 平山佳奈(記者)
2022年07月05日 (火)

茨城県結城市の酒造会社、「結城酒造」では5月11日、大規模な火災が発生。江戸時代の酒蔵をはじめ、酒造りの設備のすべてが焼ける被害が出ました。
結城酒造で杜氏(とうじ)を務める浦里美智子さんは、火災のあと、全国から寄せられる支援に感謝し「いつかお酒で恩返ししたい」と話しています。結城酒造の状況や、浦里さんの思いを取材しました。
解体作業が続く結城酒造
火災から1週間が過ぎた時、結城酒造に伺いました。現場では、焼け跡の解体作業が続けられていました。
副社長で杜氏の浦里美智子さんは、被害の状況をこう話しました。

住まいもそうですし、お酒造りの現場や、作業するところ、貯蔵に使っていた蔵の部分は全部焼けてしまいました
茨城県などが設立した「常陸杜氏(ひたちとうじ)」という認証制度の一期生にも選ばれた浦里さん。造る酒は全国に出荷され、茨城の酒造りをけん引する存在として期待されてきました。
ところが、5月11日に起きた火災が状況を一変させてしまいました。
被害を記録に残すため、消防の了解を得て浦里さんが撮影した映像には、天井部分が炎に包まれている様子や、煙が出ている様子が記録されていました。酒の火入れ作業中にバーナーから出た火が屋根を伝って全体に広がっていったといいます。
仕込みや貯蔵に使う設備など酒造りの作業場のすべてが被害を受け、再建のめどは立っていません。
正直これからどうなるかというのは、何とも今の段階では分かりません
こうしたなか、奇跡的に焼け残っていたものがありました。去年の冬に仕込んだ酒、数千本が冷蔵コンテナの中で無事だったのです。

本当にうれしかったですね。これでお酒まで全部なくなってしまったら、本当にもうどうしたらいいか分からなかったと思いますが、この2基の冷蔵コンテナのお酒だけでも残っていたのは、本当に希望だと思いました
そして、火災翌日には、ほかの酒造会社や酒店などからたくさんのボランティアが集まりました。コンテナの壁をバールでこじ開け運び出す作業を手伝ってもらいました。
その後、全国の特約店に向けて出荷の作業を急ぎました。
火災直後に貼った酒のラベルは地元の商工会議所の協力を得て、急きょ、白黒印刷してもらったものです。酒店や飲食店からは酒を買って支援したいという声が相次いで寄せられました。
冬に一生懸命作ったお酒で、もうあの蔵で作ることはできません。蔵とか、お米を作ってくれている農家さんとか、救出してくださった皆様にも感謝して、そういう思いも一緒に飲んでいただけたらと思います
支援の動きは同じ県西地域の酒造会社からもありました。すぐに義援金の募集に乗り出したのです。
筑西市の酒造会社が、火災の翌日からSNSで義援金募集の呼びかけを始めたところ、投稿は数百件シェアされ、海外から送金したいというメッセージも寄せられるなど問い合わせが相次いだのです。
酒造業界で人がどんどん減る中で、結城酒造はお互いに切磋琢磨しながら(せっさたくま)やってきた、なくてはならない会社です。時間はかかると思いますが一日でも早く復興できるよう少しでも協力したいですし、皆さんにも継続して支援してほしいです
焼け跡の片づけに追われる浦里さん。
片づけの最中に、1冊のノートを見つけました。酒造りの勉強を始めたころ、懸命につけていたものです。
「お酒に想いをのせて」
ノートには、当時恩師から教えられたことばが残されていました。
火災のあと、全国から寄せられる支援に、浦里さんは涙ぐみながらこう話しました。
ご支援いただいて、同じ業界の方も、たくさんお見舞いやアドバイスなどで支えてくださって、本当に感謝しています。私にはお酒造りしかないですし、いつか本当にお酒で恩返しできるといいなと思っています
焼け跡からは、酒造りに欠かせない水を汲んでいた井戸も無事な様子で見つかっていて、大切に保護しているということです。
焼け跡がさら地に
6月下旬、解体工事が続いていた焼け跡が、さら地になりました。
今後どうしていくかはまだ決まっていませんが、浦里さんは、さら地になったことを一区切りに、これから本格的に検討していきたいと話していました。
「お酒で恩返ししたい」という浦里さんの思いがかなってほしいと思います。