100歳の剣士 剣の道いまだ終わらず
郡司掛弘典(カメラマン)
2023年05月19日 (金)

NHK水戸放送局に届いた視聴者からの情報。
「取手市に100歳で剣道を続けている剣士がいる―」
剣道は力や速さだけでなく巧みな技術や心理戦が必要な武道。100歳でなお道場に立ち続ける、その元気の秘訣は何か。
これはぜひお会いしてお話を聞くしかない!!
私はすぐに連絡を取り、稽古をしているという千葉県松戸市の道場に向かった。
100歳の剣士 その素顔とは
「打ち込みが軽い!!」
道場の張り詰めた空気、そこに響く低い声。
その声の主、眼光鋭いこの男性が今回取材を受けて頂いた、取手市に住む髙﨑慶男さんだ。
御年100歳、さらに剣道の段位は最高位で、茨城県にはわずか6人しかいないという「範士八段」。
年齢だけでなく剣の実力も、まさに“レジェンド”だ。
髙﨑さんの前には稽古をつけてもらおうと剣士たちが並び、行列ができていた。そこに次々と立ち会い稽古を付けていく。背筋は伸び隙あれば俊敏な動きで竹刀を打ち込むその姿、とても100歳には見えない。
稽古が一段落したのを見計らってご挨拶をする。
「こんにちは、髙﨑です」
先ほどとはうって変わった優しい声。そして面を外して汗を拭くにこやかな表情。

あまり無理はできないから、やれるだけありがたいです。
レジェンドらしからぬ物腰の柔らかさが、その人柄を物語っていた。
髙﨑さんが歩んだ“剣の道”
髙﨑さんの剣道人生は決して順風満帆ではなかった。
大正12年に今の潮来市に生まれた髙﨑さん。
10歳で剣道を始めるとその魅力にみるみる引き込まれたという。
しかし、19歳の時に始まった太平洋戦争。さらに戦後GHQが行った剣道を含む武道の禁止。
この頃髙﨑さんが剣道をすることは許されなかった。
剣道を再開したのは、銀行マンとして日本戦後の復興を支え自らの生活も安定してきた、35歳の頃。
自宅近くの高校から聞こえる懐かしい音に気付いた。
竹刀の音を聞いて、剣道に打ち込んでいたときのあの気持ちがよみがえった。あの時の感覚が体に残っているわけだよね。まさに血が騒ぐってやつかな。
高校生に混ざって再び握った竹刀。
13年ぶりにまた剣道ができる喜びに、厳しい稽古も苦ではなかったという。
その後も稽古を重ね定年する頃には七段の腕前に。国体で茨城県代表チームの大将を務め自信を深めた65歳のとき、初めて最高段位となる八段に挑むことを決意した。
困難を前にしても“あきらめない”
剣道八段の審査を受けるには厳しい条件をクリアする必要がある。
まず46歳以上であること。
そして七段に合格してから10年の経験があること。
これらの条件を満たしやっと審査を受けられたとしても、その審査の合格率は、なんと1パーセント未満。「日本で最も難しい試験」と言われているのもうなずける。
初めての八段審査は、当然のように不合格だった。
しかし髙﨑さんが本当にすごいのは、ここからだ。
あきらめずに挑戦し続けること、実に15回。そして最初の挑戦から10年後、ついに合格したのだ。74歳での八段合格は、剣道界で大きなニュースとなった。
さらに3年前には「間質性肺炎」を患い、「もう剣道はできない」とまで言われたが、髙﨑さんはここでもあきらめなかった。苦しいリハビリと体力維持のトレーニングを積み、再び道場に戻ってきたのだ。
病気を抱えても常に前向きだった。決して後ろには下がらなかったよ。ここまで90年も稽古をしているんだからね、ただ剣道をやりたいってことだよね。竹刀を握りたい、その一心。
自らの心と向き合う
この日、次の八段審査に挑戦する七段の剣士たちが、髙﨑さんに教えを請おうと道場に集まっていた。
審査は主に2分間の試合形式で行われる。剣道の技術もさることながら、その立ち振る舞いや心の動きなども重要な審査のポイントになるという。
審査と同じ2分間の試合形式の稽古。
それを鋭い眼差しで見つめる髙﨑さん。
そして、こう伝えた。

みなさん力は十分に持っている。しかし打つ本数は多いが、有効打が少ない。これは致命傷になる。
2分間で自分の力を示そうとする参加者の焦り。その僅かな心の動きを見抜き、「焦る気持ちと向き合い、一本一本を大切に打ち込むように」と伝えたのだ。
挑戦し続ける
このあと髙﨑さんも剣を交え、稽古は3時間にも及んだ。
なぜ、そこまで続けられるのか。稽古のあとの髙﨑さんの言葉が、すべての答えだと感じた。
自分の知識やこれまでの経験を全部出して、それをいかに伝えるか。そうやって伝えていくのが今の自分の役目。だからこうやって100歳過ぎても道場に立っていられるんだよ。
これまでの90年の剣道人生で得たものを、“次の世代に伝える”という挑戦。
100歳でなお、凛と立ち続ける髙﨑さんの姿とその優しい笑顔は、あきらめずに“挑戦し続ける”ことの大切さを私に伝えていた。