かっこいい滑りで世界へ スケートボード草木ひなの選手
髙本周平(ディレクター)
2022年03月02日 (水)

東京オリンピックで10代の日本人選手たちが活躍し大きな注目を集めるスケートボード。
去年12月笠間で行われた日本選手権で茨城にも新星が現れました。
つくば市の13歳草木ひなの(くさき・ひなの)選手。
すり鉢状のコースで1人45秒間滑り、技の難度やスピードなどを競う、女子パークの種目で日本選手権初出場ながら優勝を果たし、2年後のパリオリンピックの代表候補に名乗りをあげました。
草木選手の日本一までの軌跡、そして目指しているものとは。
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大技540(ファイブ・フォーティー)でつかんだ日本一
まず草木選手に日本選手権をふりかえって頂きました。
(草木ひなの選手)
「初めて大きい大会にでたので、いつも出来る技が出来なかったり、やばいなって焦っちゃって緊張していました。やっぱりずっと540を練習してきたのがよかった。」
日本選手権で草木選手を優勝に導いた大技540。
空中で1回転半する技で女子パークでは世界で数人しか出来ないと言われています。
(草木ひなの選手)
「高さの出た540ができたのでよかった。いちばん楽しい技ですね。」
しかし草木選手は優勝した滑りにもまだまだ満足していません。
(草木ひなの選手)
「技も一段階あげられるところもあったので(完成度は)80%いかないくらいです。」
そんな草木選手が目指している滑りとは。
(草木ひなの選手)
「かっこいい滑りですねみんなの心に残るような滑りをしたい。」
スケートボードとの出会い
草木選手が拠点を置くのはつくば市にあるスケートパーク。
ここに週6回通いかっこいいすべりを目指して技を磨いています。
スケートボードをしているときが何より楽しいという草木選手。
日本一に輝くまでの道のりはどういったものだったのでしょうか。
幼いときから運動が大好きでサッカー、水泳、体操などを習ってきました。
(↑草木選手当時7歳)
(草木ひなの選手)
「昔はバック転とかやってました。習い事がいまのスケボーに役立っていると思います。」
スケートボードと出会ったのは小学3年生の時趣味でスケートボードをしていた母・ゆりさんの影響でした。
しかし、楽しめるようになるまでには時間がかかったと言います。
(母・草木ゆりさん)
「ひなのをスケートパークに連れてきても長続きしないので最初はあんまり連れて行きたくなかった。」
(草木ひなの選手)
「お母さんが出来る技を、私が出来なかったりするとイライラしちゃったり、なんでわたしよりお母さんの方が出来るんだって気持ちはずっとありました。当時スケボーをやっても1時間ももたなくて、全然やらなかった。嫌いでした。」
成長できた理由は“おじさん”!?
スケートボードが嫌いだったという草木選手。
なぜここまで成長することができたのでしょうか。
(草木ひなの選手)
「おじさんたちがいちばん見本ですね。かっこいいなっていうスタイルを持っている人がいたら、その人に教えてもらったりとかしました。」
おじさんと呼ぶのは同じパークで練習する一回り以上年上の仲間たち。
草木選手は正式なコーチを付けずおじさんと呼ぶ仲間たちと一緒に練習することで成長してきました。
(草木ひなの選手)
「(おじさんたちは)みんなかっこよく見えた。どんな場所でも使って滑ったりしているのですげえなかっこいいな、この人みたいになりたいなと思ってそこから真剣にやりはじめました。」
仲間の1人宮崎将幸(みやざき・まさゆき)さんは草木選手の成長スピードに驚いたと言います。
(宮崎将幸さん)
「一気に爆発的に伸びたイメージはあります。一緒にスケートボードをしていて楽しかった。教えがいがあるというか、オリンピックだったり競技の中で彼女がどこまで通用するかは計り知れない。」
スケートボードを辞めたい 悩んだ時期
めきめきと成長してきた草木選手。しかし日本選手権直前の去年9月には勉強との両立を考えスケートボードを辞めようと考えたこともありました。
(草木ひなの選手)
「勉強やった?ってお母さんに聞かれて、早くスケボーにいきたいから勉強やったよってうそついて、後でお母さんにばれて、毎回毎回怒られて。道に迷ってやめたいって話を何回もしています。」
(母・草木ゆりさん)
「私の中ではある程度、スケートボードをやめさせようという気持ちが固まっていたのもありました。」
悩んでいる中でスケートボードへの熱が冷め、1か月ほど練習に行かなかったという草木選手。
もう一度スケートボードに向き合えたのはともに練習する年上の仲間、“おじさん”たちのおかげでした。
(草木ひなの選手)
「本当におじさんたちのおかげでまたスケボーを続けることが出来ました。『またゆっくり、遊びでいいからスケボーやれよ、自分がやりたいようにやりな』と言ってくれて、やりたいようにやろうと自分の中で気持ちが整理できてまた真剣にスケボーに向き合うことが出来ました。」
(母・草木ゆりさん)
「気持ちを強く持って学校生活もスケートも楽しむ。それがいちばんだと思います。ひなのがかっこいいスケーターになること。私もそれを望んでいます。」
立ちはだかる高い壁 もっとかっこいいスケーターへ
悩みを乗り越え日本選手権で優勝を果たした草木選手はことし9月開催のアジア大会日本代表に選出されました。
しかし、東京オリンピックの金メダリスト四十住さくら(よそずみ・さくら)選手をはじめ、トップを走る日本の同世代との差はまだまだ大きいと感じています。
(草木ひなの選手)
「(オリンピックは)普通の大会とは違う舞台。技のクオリティの高さとかレベルが全然違うので、まだまだ手の届く範囲にはいない。」
草木選手は現在、技の完成度を高め、ライバルたちに近づこうと、板が1か月足らずで壊れるほど練習に励んでいます。
(草木ひなの選手)
「1つの技でもほかの人がやると違う技に見えたりする。みんなに刺激をあたえるような滑りをしたいです。」
理想とするかっこいい滑りを磨く先に見据える、草木選手の目標とは。
(草木ひなの選手)
「ライバルたちが出せない技を出せるようになりたいです。アジア大会であったりパリオリンピック、そこまでに実力を付けられるようになります。」
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(取材後記)
4月に神奈川県で行われる日本オープンや9月に中国で行われるアジア大会に出場する予定の草木選手。
正式なコーチを付けず“おじさん”たちのおかげで成長できたと語る姿に他の競技には見られないようなスケードボードの持つ自由さを感じました。
13歳という若さながら、「かっこいい滑り」という信念を持って頂点を目指す姿は私の目にもまさに“かっこよく”見えました。
その活躍で茨城から世界へと、これから新しい風をどんどん吹き込んでほしいと思います。
(ディレクター 髙本周平)