
生田斗真さんが知った”幸せの見つけ方” がん経験者と対談
「妻との"子どもの話"を先延ばしにしていた矢先、がんになりました」。
来年春放送予定のドラマ「幸運なひと」で、自身初となるがんの患者役を演じるのは、生田斗真さんです。
撮影初日を前に、がんを経験したある女性に話を聞いた生田さんは、「彼女みたいに幸せをキャッチできる人生を送りたい」と語りました。対談を通じて、生田さんはどんなことを感じたのでしょうか。
(2022年12月21日放送「おはよう日本」の内容を元に記事を作成しています)

「がんになっても笑っていられるかな」 生田斗真さん
2022年12月、ドラマ撮影間近に控え、脚本の読み合わせや衣装合わせを行っていた生田斗真さん。
初めて演じる「がんの患者役」をどう受け止めているか、話を聞きました。
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生田斗真さん
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「がんはとても身近な病気で自分にいつかそういう日が来るかもしれないと思うのですが、僕自身はがんという病気を経験していないので、この拓哉や咲良さんのように笑っていられるかなとか、一日一日を大切に生きていくことができるだろうかということに、すごく考える時間をいただきました」
対談① “がん診断直後 子どもには言えなかった”
撮影本番前日だった12月9日、生田さんはある女性との対談に臨みました。
「こんにちは。はじめまして」
「はじめまして。彦田かな子と申します。よろしくお願いします」
「生田斗真と申します。よろしくお願いします」
「かっこいい!」
「うれしい!ありがとうございます。そんなにストレートに言っていただけて」

彦田かな子さんです。8年前乳がんと診断されました。
2018年のクローズアップ現代「乳がんを乗り越える」に出演した彦田さんは、夫と3人の子どもとの5人家族。

一緒にがんについて調べながら、新聞記事をまとめてそれぞれが感じたことを言葉にしたり、自身の気持ちを毎日手帳に記して考えをまとめたりしながら、がんと診断された後の日常をどう生きていきたいか、考えてきました。

彦田さんは、がんになった後の日常で大切だと感じたことなどを伝える活動をしてきました。
2022年4月からは、医師やがん経験者、地域の図書館などとも協力して、子どもから高齢者まで、がんのいまについて一緒に学ぶことができる「みんなのがん教室」を始めています。

彦田さんがまず生田さんに見せたのは、当時毎日気持ちを記していた手帳です。
「びっしり書かれていますね」
「8月6日。この日が、がんですよと言われた日です」
「2014年と書いてありますね」

がんと診断されたその日、彦田さんの手帳に書かれていたのは「信じられない」という言葉。しかし、すぐそばにはいくつも前向きともとれる言葉が並んでいました。

「信じられないという気持ちがありつつ、でも同じページの最後には『とにかく笑顔で優しい心でいよう』と書いている。けれども実はこのとき全然前向きではなくて、そうならなきゃという気持ちで書いていました。朝には『やるぞ』という気持ちがあったのに昼には落ち込むという、この頃は本当にめちゃくちゃな日々でしたね」
「そうでしたか。前向きな言葉を書くことによって、自分を何とか前に進ませようとされていたわけですよね」
「そうですね」
「今回僕はドラマの中で、若くしてがんを宣告される役をやるのですが、その彼には奥さんがいて、奥さんはずっと子どもを欲しがっている。その中でがんを宣告されるのですが、かな子さんは自分ががんだと分かった時、どうご家族にお伝えになりましたか」

「最初、子どもたちには言えませんでした。子どもには本当に申し訳ないのですが、自分のことで精いっぱいで」
「まずは自分がこの病気と向き合うこと、受け入れることが大変だった…」
「母親としてどうかと思うけど、子どものことは二の次でした。子どもに伝えようか伝えまいかと、その選択すらできていなかった。でも、子どもたちは分かっていたみたいです。数年たって聞いてみたら『保険会社の人と玄関で話してたよね』とか『病院から電話来てたじゃん』とか『お母さん泣いてたよね』とか言われました」
「なるほど。日々のちょっとした、あれ?何かおかしいなとか、お母さんちょっと様子がっていうことを気付いてキャッチしていたということですね」
「はい。長男と長女は何度も図書館に行ってがんについて調べていたとあとあと聞かされて、本当に申し訳ないことをしたなと思いました」
「でも何か心強いですよね。家族が見てくれていて、大丈夫だよと、分かっているよと言ってくれているようで」
対談② “抗がん剤治療をやりたくなかった”
診断を受けて2ヶ月後、手帳にはこのような記載がありました。
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彦田さんの手帳の言葉
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もう頭決めた。やるんだ、やるんだ、やるんだぞ。
抗がん剤治療をやることを決意し、副作用で髪の毛が抜けることへの準備としてウィッグをすることを決めたと書かれています。
しかし、この時彦田さんは「実は抗がん剤をやりたくなかった」と打ち明けました。
「抗がん剤治療をやりたくないと思っていました。当時、『抗がん剤あんまり良くないよ』みたいな情報が世の中にたくさんあって、昔から知ってる友人が『絶対やらない方がいい』とわざわざ言いに来てくれました。やらないでいいならやりたくないし、どんどん怖くなっていったのを覚えています」
「どうやって嫌な抗がん剤をやると決めて、気持ちを強く持って治療を続けてこれたのですか」
「やっぱり母が泣いて、『やれることあるならやってよ』と言われたのは結構大きかったですね。本当に母の愛というものを感じて、不安はありましたけど、大好きな母がそうやって泣きながら言ってくれるならということで抗がん剤をやることにしました。今振り返ってなんであんなにやりたくなかったんだろうと思った時に、やっぱり知らなかったからというのが大きいと思います。得体の知れないものはやっぱり怖いので」
母親からの言葉を聞いた彦田さんは、なんとなく怖いと思っていた抗がん剤治療についてきちんと知りたいと、専門の医師が行う講演会に行ってみました。
そこで、副作用についても効果についても学び、納得したうえで治療を始めることに決めたと言います。
【解説】日々進歩する「抗がん剤治療」
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【解説】日々進歩する「抗がん剤治療」
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ドラマ「幸運なひと」でも「抗がん剤治療はしません」と拓哉が医師に伝えるシーンがあります。かつての抗がん剤治療はがん細胞を攻撃する上で、正常な細胞も同時に傷つけてしまうことが多く、副作用が大きいものが少なくありませんでした。そのため「がんは放置した方がいい」という書籍がベストセラーになるなど抗がん剤への不信感が広がっていたのも事実です。
しかしこの20年で、がん治療の状況は大きく変わってきています。がん細胞のみを狙い撃ちする薬「分子標的薬」や副作用を抑える薬など、世界中で新たな治療法が次々と開発され、効果も、副作用のコントロールも飛躍的に進歩が見られるようになりました。
いま抗がん剤治療を行う人の多くは、入院するのではなく、働きながら通院して治療を受けることが一般的で、医師の多くは「仕事を辞めるのではなく、そのまま続けた方がいい」と助言することも多くなっています。
(監修:日本医科大学武蔵小杉病院 腫瘍内科医 勝俣範之さん)
対談③ “家族の邪魔になりたくない” 救いとなったのは10万円の自転車?
生田さんは脚本を読む中で、拓哉という役柄に共感をした部分があったと言います。
「奥さんと一緒に暮らしていく中で、奥さんが仕事バリバリやるようになって、自分のせいでちょっと足を引っ張るような形になってしまうことへの罪悪感とか、嫉妬してしまう自分にまた嫌になってしまう気持ちとか、何かそういうものはすごく男として、非常に共鳴するというか、1つこの拓哉という役に取っかかりを持ってる部分かなと思っています」
「その気持ちは、私にもすごくありました。私ががんになったことは、自分だけでなく家族にとっても衝撃的なことです。なので、私のがんのせいで『これを犠牲にした』とか、『これができなかった』となるのは本当に嫌だと思っていました」
がんを経験した方々への取材の中でも「家族に申し訳ない」という言葉や「邪魔だけはしたくない」という胸の内は、よく聞くことがあります。
家族への後ろめたさに悩まされていたという彦田さんですが、夫のある行動がきっかけで「気持ちが楽になった」と言います。
「私ががんになって1年ほど経った頃、夫が10万円を超える自転車を買ってきたことがありました。がんのことでお金がかかるのに」
「それは、旦那さんご自身用?」
「はい。こんな時にと、一瞬『は?』と思ったのだけど、そのことがむしろうれしくもありました。自分用の10万円を超えるような自転車を買う。それをやってくれるということは、彼は彼の人生を楽しんでるなと思えるから」
「なるほど。それによってちょっと救われる部分があったと。変に気を遣われていないということですか?」
「そう。もし夫がほしい自転車を買わなかったら、言葉では言わないまでも『おまえの治療費かかるし、俺は自転車買うのは諦めるわ』という意味じゃんと思ってしまってとても嫌な気持ちになったと思います。そういうある意味”わがまま”を減らさずにいてくれることは、私のがんが何の影響も与えていないと思えるから、気持ちが楽になります」
対談④:がんは日常の見え方を変えた 「脱ぎっぱなしにしないで」と言えた喜び?
気を遣いすぎずに好きなことをやってくれる家族。
その存在が、彦田さん自身にも変化をもたらしたといいます。
「言いたいことを言わない従順な妻だったんです、私」
「『ちょっとこれやっといてよ』とかは言わなかった?」
「言わなかった。靴下とか脱ぎっぱなしにされても、何も言わずに靴下を片付ける。そういう人だったけど、今は『もう脱ぎっぱなしにしないで』って言えるようになったの」
「そんなちっちゃいことと思うかもしれないけど、専業主婦だった私が『片づけなさい』と私の言葉で言えることは勇気がいることだったの。だから、こうなれたことは、私の中ではめちゃくちゃ幸せなことなの」
「ほんとうに大きな一歩だったということですね」
「がんにならずともそういう大切なことに気付いて生きている人もいると思います。でも、私は死が目の前に来なかったら気付けなかった。夫の関係に悩んだり、子ども三人のことに追われて『支配されている』と感じたりしてたけど、実はハッピーなことはたくさんあった。ただそれに気づく力がなかっただけでした。洗濯もお掃除もお料理もしなきゃいけない、何も変わらない普通の日々なんだけど、ただそれがちょっとキラキラしたものに見えるようになったし、強がりでも負け惜しみでもなく、いまの私は幸せです」
”彼女のような人生を送りたい” 生田さんが感じた「幸せの見つけ方」
彦田さんと話をした翌日、生田さんはドラマ撮影初日を迎えていました。
今回の脚本やがんを経験した人との対話の中でどんな気づきがあったのでしょうか。
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生田斗真さん
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「日常生活で、幸せだなと思うことはそんなに多くないじゃないですか。でもかな子さんが、ご飯を作る時間とか、「靴下なんでここにおいているの」と言うこととか、いつもの日常が今までよりもキラキラ輝いて見えているとおっしゃっていたのが印象的で、彼女みたいに、これもあった、あれもあったとたくさん幸せなことをキャッチできる人生を送りたいなと今日改めて思わせてもらいました。
がんになると、苦しいことや悲しいことがたくさんあると思います。それでも生きている時間は、笑っている瞬間もくだらない冗談を言う瞬間も、日常の中にあふれていると思うので、人間にはなくてはならない笑顔とかユーモアみたいなものを、僕自身もしっかりとドラマとして表現できればいいなと思いました」
今回のドラマと連動した対談を通して、生田さんの「家族に嫉妬してしまう自分が嫌いになりそう」という言葉や彦田さんの「治療が怖いのは知らなかったから」という言葉が印象的でした。
二人に一人はがんになると言われ、がんは身近なものという認識は少しずつ広がっているものの、実際に経験した人や治療に当たっている医師たちと、がんに触れたことがない人の間には、今なお大きなギャップがあるのも事実です。
「#がんの誤解」では、ドラマ「幸運なひと」に出演する俳優とともに、がんのいまを知るための対談企画を継続していく予定です。その模様は、サイト内で随時更新していきます。
【次に読むなら】“できない自分”とのつきあい方 生田さんが肺がんステージ4経験者と対談

“できない自分”とのつきあい方 生田さんが肺がん経験者と対談
自分の人生の時間が限られているとわかったとき、どう生きるのか。
役を演じる難しさを語っていた生田さんは、役柄と同じ肺がんステージ4と診断された方に話を聞いていました。ぜひこちらの対談記事もあわせてご覧ください。
