
“留学生”は戦場の医師 ウクライナの未来のために日本へ
いま、東京の順天堂大学病院で研修を受けているウクライナ人医師、オレクサンドル・ソコレンコさん、27歳。
ロシアによる軍事侵攻開始直後、ウクライナ東部の激戦地で負傷者の治療にあたっていました。しかし、「再建外科手術」を学ぶために、去年8月にあえて祖国を離れ来日すると決断。その背景には、戦闘の最前線で突きつけられた現実がありました。
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(この記事は2023年2月27日放送の特集「日本で学ぶウクライナ人医師 その理由は」を元に作成しました)
「再建外科手術」でウクライナの人を救いたい

外科医のオレクサンドル・ソコレンコさんは現在、順天堂大学病院の形成外科で研修しています。学んでいるのは、ケガや病気などで失われた体の組織を、ほかの部分から移植して作り直す「再建外科手術」。軍事侵攻によって負傷し体の一部を失った人たちを、この技術で治療したいと考えています。

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オレクサンドル・ソコレンコさん
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日本の再建外科手術と、その教育のあり方について学び、ウクライナに持ち帰って広めることが私の使命、そして願いです。いまのウクライナには、この治療を必要としている人がたくさんいるのです。

ソコレンコさんにとって、医師になることは幼いころからの夢でした。きっかけは6歳の冬、井戸の中に転落したこと。冷たい水につかりながら、たった一人で助けを待っているときに「もし生き延びることができたら、助けを待っている人の役に立つ」と心に決めたのだといいます。
2018年にキーウの病院で研修医として働き始めたソコレンコさん。ひととおりの技術を身につけ始めていた去年2月24日、ロシアによる軍事侵攻が始まり、生活が一変しました。
勤めていた病院は、攻撃されている地域から離れていたため無事でした。そこで「助けを待っている人の力になりたい」と病院に相談。医師や看護師などの有志が集う団体「ホスピタラーズ」の一員として、激しい攻撃にさらされている地域へ向かうことを決めました。
激戦地でみた“現実”

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ソコレンコさん
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この写真は、(東部ルハンシク州の)セベロドネツクに向かう道です。私が乗っていたのは右端の車ですね。私が滞在したのはセベロドネツク、リシチャンスク、バフムト、ドルジキフカなどです。
最も医療を必要としている人がいる場所へ――。
ウクライナ東部での戦闘が激しくなった4月、ソコレンコさんたちも東部へ向かいました。激戦が続くルハンシク州とドネツク州で3つの病院をまわり、治療に奔走。しかし、いつも病院で治療ができるわけではありません。ときには建物の地下で、あるいは野原で治療をすることもあったといいます。

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ソコレンコさん
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明かりも電気もないなかで治療しました。(この写真は)爆撃された後の病院です。壁は爆破され、救急車も燃えて真っ黒になりました。負傷して運ばれてくるのは兵士だけではありません。市民もたくさんいました。
砲撃の音が聞こえるなかで治療を続けたというソコレンコさん。治療中、自身も爆撃で何度も脳しんとうを起こしたといいます。
ソコレンコさんのスマートフォンには、戦闘で傷を負った多くの患者の姿が記録されています。
顔の形がわからない状態の人、皮膚がはがれている人、足や腕の一部がえぐられたような状態になっている人、傷口から内臓が出ている人も。

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ソコレンコさん
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私が診た患者は1歳半から83歳まで、状態はさまざまで、私が会った瞬間に亡くなった人もいました。
そして、体の一部を失った人たちが大勢いました。
私は現場で多くの患者が再建外科手術を必要としていることを痛感して、その技術を学びたいと思ったのです。
失った体の一部を作り直す「再建外科手術」によって、患者が再び生活できるようにしたいと考えたソコレンコさん。
そんなとき、最先端の「再建外科手術」を行っている日本の順天堂大学が、ウクライナの医師や研究者などを無償で受け入れていることを知りました。
背中を押した兵士からのことば
しかし、ロシア軍の攻撃はやむことがなく、毎日まわりの人が負傷し多くの人が亡くなっていきます。そのなかで、ウクライナを離れる決断をするのは簡単ではありませんでした。
悩むソコレンコさんの決断を後押ししたのは、患者だったアゾフ大隊の兵士からかけられたことばでした。

「いい医者になって、本当に深刻な傷を負った人を、助けてください」
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ソコレンコさん
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私が治療したあと、彼は祖国を守るために再び戦いに向かいました。しかし彼は、そこで亡くなってしまいました。信じたくなかった。彼のことばを私は忘れることができずにいます。そして、彼のことばに私は背中を押されました。
いまウクライナにある技術だけでは、人々がこの戦闘で負った傷を治すことはできない。私は負傷者を適切に助けられない現実を、何度も目の当たりにしたのです。いまのウクライナに必要な「再建外科手術」の技術を日本で学んで持ち帰る。そう決意しました。
ウクライナでは防衛体制強化のため男性の出国が制限されていますが、ソコレンコさんは政府から許可を得て、去年8月、留学のため祖国を出ました。
いまのウクライナに必要な医療を学ぶ

ソコレンコさんの研修期間は1年間の予定。連日、手術の練習に励みながら、あらゆる手術の見学を希望しています。
攻撃を受けて体の一部がなくなってしまった人に対して、体のほかの部分から組織を移植することで傷を覆い、元の生活に戻れるようにすることを目指しています。

ソコレンコさんは、いまも戦地で活動する医師と日々連絡をとっており、彼の元に苦しんでいる患者の写真が送られてきます。
どうしたら救えるのか、何か方法はないのか。
指導を担当する市川佑一医師(順天堂大学病院 再建・形成外科)は、ソコレンコさんからたびたび相談を受けるといいます。

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順天堂大学 再建・形成外科 市川佑一医師
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ソコレンコさんは、戦地での経験から、どういうことがウクライナの医療に今後必要か、自分なりに考えて、必要なものを勉強しに来ている。その志に関して、ほか(の留学生)とは違うと感じました。
よくニュースで亡くなった方の数が情報として伝わってきますが、その裏には、それ以上の負傷した方がいて、治療しないといけないという状況がある。どういった医療が実際に必要か、日本にいながら私も初めて直面しています。自分の大事な人がもし同じような状況に置かれた場合、助けてくれる施設がない、医療者がいないということが、どれだけ影響を及ぼすか。実際の戦場における負傷者の現状をソコレンコさんに教えてもらうことによって、医療の必要性を再認識させてもらっています。
日本で迎えた“侵攻一年”

ウクライナを離れておよそ半年。祖国のことを思わない瞬間はない、というソコレンコさん。
大学の寮の部屋には、家族の写真や、ウクライナの友人が書いてくれたという戦地の絵などが飾られています。
そして、勉強机の横にいつも置いているのは、ウクライナの戦地でもらったというお菓子。そのパッケージには、手書きのメッセージがありました。

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ソコレンコさん
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“あなたたちはウクライナのヒーローだ”と書いてあります。
セベロドネツクの前線にいるときに、ボランティアの人が持ってきてくれたんです。私はヒーローではありませんが、自分が日本に来た理由を忘れないように、食べずに持ってくることにしました。

2月24日。侵攻開始から1年の日を迎えました。
ソコレンコさんは、ともに日本で学ぶ医師の仲間とともに、祖国への祈りを捧げました。

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ソコレンコさん
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侵攻が始まってからきょうまで、まるで1日の出来事のように感じます。日本にいる間は、ウクライナのことを伝えるために私たちに何ができるのか、どうすればいいのかを考えて、みなさんと共有したいと思っています。そして何より、私がいま学んでいる技術を、ウクライナで待っている患者がたくさんいます。助けを必要としています。ウクライナへ帰るまでに、日本で実際の手術にも参加できるようになりたいと願っています。
私は毎日どんなときもウクライナへ帰りたいと感じていますが、いまはここでベストを尽くそうと思います。