
「娘はレイプされ殺されたのか」ウクライナ“ブチャの虐殺” 遺族の訴え
「ロシアは私の人生で最も尊いたった1人の娘を奪った。ただただロシアが憎い。この先どう生きていったらいいのか」。
3月、1人娘をロシア兵に殺害されたオレーナ・デレコさん(41)。娘との思い出が詰まった自宅も攻撃を受け現在は住めない状況です。ロシア軍が撤退し、戦火の跡が生々しく残る町でどう生きようとしているのでしょうか。
(国際番組部ディレクター 田中ふみ)
※国際報道2022 9月13日放送より
占拠された町「ブチャ」で犠牲になった娘
ウクライナの首都キーウ近郊のイルピン。オレーナ・デレコさん(41)と夫のアンドリーさん(39)が軍事侵攻下で家族を失った胸中を語ってくれました。
亡くなったのは1人娘のカリナさん(享年22)。
いつも明るく好奇心旺盛で、隣接するブチャの寿司屋で働きながら、近い将来は海外で暮らすことを夢見ていました。

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アンドリーさん
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「娘は何事にも好奇心旺盛で、あちこちに出かけていく、いつも明るい性格でした。早く自立しようと、頑張っていました」

2月、ロシアによる軍事侵攻が始まると、オレーナさんはすぐに実家に戻るようカリナさんに連絡しました。しかしカリナさんは「ロシア軍は軍事施設を攻撃しているだけ。全てうまく収まるわよ」と言い、実家に戻ることはありませんでした。オレーナさんはカリナさんを迎えに行こうとしましたが、イルピンでも砲撃が始まり、ブチャへ続く道路や橋は破壊され身動きがとれなくなったのです。
3月、ロシア軍によってブチャが占拠されるとカリナさんとの連絡が途絶えます。
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オレーナ・デレコさん
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「3月10日以降、娘と音信不通になり、1日中涙が止まりませんでした。ブチャが占拠されたのは知っていましたが、娘は戻ってきてくれると信じて待っていました」

4月、ロシア軍がブチャから撤退したあともカリナさんからの連絡は来ず、警察に捜索願を出したオレーナさん。1週間後、警察から「カリナさんと似たタトゥーが入った女性の遺体が発見された」と写真が送られてきました。オレーナさんはそのタトゥーを見てすぐに“娘だ”と認識し、現地へ向かったのです。
ようやく対面したのは遺体安置所でした。
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オレーナさん
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「女性の捜査官に“遺体を見ないほうがいい”と言われました。でも私は娘の姿を見ました。遺体は本当にひどい状態でした」
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アンドリーさん
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「腕がへし折られ、胸だけでも5~7発の銃弾が撃ち込まれていたんです」

近隣住民の目撃証言によると、カリナさんが殺害されたのは3月16日。足をけがしたカリナさんをロシア兵が腕に抱きかかえ、住宅の中庭に連れてきたといいます。その後、ロシア軍の将校が庭に入ってきて、負傷したカリナさんをその場で銃殺したというのです。
約2週間後、現場を撤退する前に、ロシア兵は住民に対してカリナさんの遺体を埋めるよう指示。住民はカリナさんを含めて4人の遺体を埋めたといいます。
その日は、カリナさんが23歳を迎えるはずだった、誕生日の前後だと見られています。
事件の真相分からない 深まる苦悩

警察の検視でカリナさんの身体には、20か所の銃創や打撲などの痕があることが分かりました。ロシア軍が占拠していたブチャでは性的暴行も数多くあったとされ、オレーナさんはカリナさんも殺害される前に性的暴行を受けていた可能性があると考えています。
しかし、カリナさんの遺体は発見されるまで数週間放置された上、多くの市民の遺体が発見され現場が混乱する中で、殺害までの詳しい経緯が調査されることはありませんでした。
なぜ命を奪われなくてはならなかったのか。真相は分からないまま今も加害者は特定できていません。

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オレーナさん
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「すぐに調査しなければならなかったのに、なぜ調査しなかったか分かりません。でも娘が殺されてしまった今、もはやレイプされたか証明することに、何の意味も見いだせません。
ロシアは私の人生で最も尊いたった1人の娘を奪ったのです。この先どう生きていったらいいのか…。ただただ、ロシアが憎い」
いま守りたいのは娘との思い出が詰まった家
現在、デレコさん夫婦はキーウに一時的に避難しています。イルピンの持ち家であるアパートは、砲撃によって激しい損傷を受け住めない状態です。役所からはアパートの取り壊しの通告をされているといいますが、夫婦は強く反発しています。亡くなった娘・カリナさんとの思い出が詰まった大切な家だからです。

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オレーナさん
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「家のどこを見ても娘を思い出します。キッチンでケーキの作り方を教えて一緒に焼いたりしましたね」
デレコさん家族はイルピンで暮らす前、ウクライナ東部のドネツクで生活していました。しかし、2014年に親ロシア派の武装勢力に占拠されると、住まいを追われました。
ようやくたどり着いたのがイルピンのこの家。 “安住の地”だと思い、一家団らんの時間を過ごしてきたのです。
他の多くの住民も、親の代から暮らしてきた愛着のあるアパートを、なんとか残したいと考えています。

しかし、家の修理費や家財を買う資金は一切援助されず、自分達で工面しなければならない状況です。住人の中には、ライフラインが整っていないアパートで生活を続ける人もいるといいます。
デレコさん夫婦が願うのは、一刻も早く娘との思い出がつまったイルピンの自宅に戻ること。1人娘を失った今、“何もかもを失うことだけは免れたい”という思いがあります。
インタビューの最後、国際社会に訴えたいことは何かを聞くと、「戦火の跡に残された人々が、どんな暮らしを強いられているのか知ってほしい」と語ってくれました。

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オレーナさん・アンドリーさん夫妻
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「私たちは住まいを追われています。イルピンの町が、全てうまくいって再建しつつあるなんてことはありません。援助は何も届かず取り残されてしまって、住民は極貧状態で路頭に迷ったままです。代替の住居も支援金も、何も提供されません。
私たちがどんな状況にいるのか知ってください。そして、どうか助けていただきたいのです」