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“第二のブチャ”か イジュームで起きた悲劇【ボロディミル・マツォーキン副市長】

「解放される日が恐ろしい」。

そう語った男性の“不安”は現実のものとなりました。東部ハルキウ州イジュームの副市長、ボロディミル・マツォーキンさんです。今年4月、避難した街で取材に応じたマツォーキンさんは、ロシア軍の占領下でブチャのような市民の“虐殺”が行われているのではと懸念を口にしていました。
それから5か月、ウクライナの反転攻勢が勢いを増し、イジュームの解放が伝えられた翌日に、私たちはマツォーキンさんに再度、オンラインでのインタビューを申し込みました。解放の喜びとともに、マツォーキンさんが語ったことは暗澹(たん)たる現実でした。
(国際報道2022 9月12日放送より)

4月にボロディミル・マツォーキンさんを取材した記事はこちら
“解放される日が恐ろしい”【東部イジューム副市長・ボロディミルさん】

解放されたイジュームの街は今

マツォーキンさん

「人々はたくさんのものを失いました。財産を失い、親しい人を失った人もいます。それでも人々はロシア軍からの解放を喜びました。ウクライナ軍の兵士にケーキを持って行き、キスをして祝福したのです。それほど私たちはこの日を待ち望んでいたのです」

9月10日、イジューム近郊でウクライナ軍が撮影

ロシア軍の侵攻前は4万6千人が暮らしたというイジューム。軍事施設など何もない平穏な街でしたが、東部ドンバス地域に向かう幹線道路沿いにあるこの街は、侵攻後、 “重要拠点”としてロシア軍の占領下に置かれました。
住民の多くは避難、それでも1万人を超える人が現地に取り残され、マツォーキンさんはその安否を気遣ってきたのです。

ウクライナ軍の反転攻勢によって、ロシア軍は軍事車両などの装備品を残したまま撤退、9月11日にはウクライナ軍がイジュームの街に入ったとされています。その翌日、取材に応じたマツォーキンさんは、大規模な戦闘はないものの、まだまだ街の状況は不安定だと明かしてくれました。

ロシア軍が残していったとされる戦車
マツォーキンさん

「イジュームの街の外れや森の中にたくさんの軍の装備品が放棄されています。
街ではいま、“非占領化”のプロセスが進められています。ウクライナ軍は残党を一掃する活動を行っています。服を着替え、民間人を装い、現地に残っている敵がいるからです」

マツォーキンさんによると、ロシア軍は撤退時にインフラ設備を破壊、住民は電気もガスもない中で、たき火を焚きながら暮らしていると言います。厳しい冬を目前に、インフラの復旧が進まなければ、住民の避難もやむをえないと語りました。

マツォーキンさん

「イジュームで普通の暮らしを維持することはもうできません。そのため、私は住民を一斉に避難させることも視野に入れています。ウクライナの普通に生活できる地域に移動してもらい、冬を越してもらえないかと考えています。
政府も国際社会のパートナーたちも、それに向けて準備を進めてくれています」

的中した不安 “第二のブチャ”になるのか

5か月以上に及んだロシア軍の占領、そこで何が起きていたのか。

4月にインタビューした際に、マツォーキンさんはすでに“市民の遺体が路上に放置されたままだ”と明かし、イジュームが“第二のブチャ”になることを案じていました。今回、その不安は不幸にも的中してしまいました。

マツォーキンさん

「イジュームのすぐ側ですでに遺体が大量に埋められているのが見つかっています。いま検察のグループがそこで調査に当たっていますが、見つかったのは殺害された遺体でした。
また街の中には“刑務所”と名付けられ、人々を強制的に拘束する場所があったことも分かっています。そこでは電気ショックなどで人々が拷問されていたのです。女性も強姦され、殺されています。遺体は地中に投げ捨てられ、犬がそれをあさっていました。この蛮行がどれくらいの規模で起こったのか、まだ分かりません。
ただ、ブチャの占領は1か月でしたが、イジュームは5か月だということを考えてみてください」

ウクライナ政府の情報によると、例えばロシア軍の占領下のマリウポリでは120万人もの人々がロシアに連行されたとされています。
イジュームでも同じようなケースはあったのかと聞くと、マツォーキンさんは顔をしかめ、こう明かしました。

マツォーキンさん

「それについては、もっと深刻な情報があります。子どもたちが強制的にロシアに連行されているのです。その子たちがその後どうなったか情報はありません。なぜそんなことが許されるのでしょうか。
私はどうしてもこの言葉を言わざるを得ません。“彼らは人間ではない”と。私たちが理解する意味での人間ではないと明言せずにはいられないのです。
もちろん、いま私たちは子どもたちがウクライナに戻れるよう、国際社会に情報を提供し協力を求めています。必ず取り戻したいと思います」

解放は人々の希望の光

自らもイジュームの街で生まれ育ったマツォーキンさん。副市長として人々の暮らしをより良いものにしようと、政務に力を注いできました。そうであるがゆえに、4月にインタビューした際には、一部の住民を残し、街を離れたことの苦しい胸の内も語っていました。

そして今ようやく解放された故郷の街。その多くは破壊され、数多くの市民の犠牲が生まれました。かつての街の姿はもはやそこにはありません。
それでもマツォーキンさんは街が解放されたことで、人々は将来に希望を感じていると語りました。

マツォーキンさん

「私が解放のニュースを聞いたのは、外に出ているときでした。電話がかかってきたのです。私は声をあげて泣きました。泣いてしまったことを恥ずかしいとは思いません。この瞬間から、私の人生は新しい意味を持ち始めたのです。
男性も女性も、お年寄りも子どもたちも、今はとても幸福です。自分たちの土地で生き、幸せに暮らしていけるのですから。人々はみな電話をかけあい、涙を流しながら、幸福をかみしめています。私のところにもひっきりなしに電話がかかってきます。私たちにとって、これ以上の日はありません。解放されたこの日は、私たちにとってこれ以上ない大切な記念日となると思います」

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