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“生きていなければ光にたどり着けない” 【“ロシア占領下”のヘルソン市より】

「世界のすべての人に、ヘルソンで起こっていることに目を向けてもらいたいです。なぜなら、今の世界情勢を考えると、ヘルソンで起こっていることはどこでも起こり得ると思うからです」

ロシア軍に制圧されておよそ3ヶ月となるウクライナ南部ヘルソン州。ウクライナ軍が反撃を強めている一方、今月3日には親ロシア派勢力の幹部が、ロシアメディアに対して「住民がロシア国籍を取得する手続きを行う施設がヘルソンに設置され、これまでにおよそ1500件の申請があった」と主張するなど、“支配”の動きを強めています。
2月の侵攻以来、変わりゆく街の実態を動画で記録し続けている人がいます。ヘルソン市で育ったコンスタンチン・シュリガさん
街にかかげられていたウクライナ国旗がロシア国旗へと変わり、通貨も通信網も母国ウクライナから次々と切り離されていく中で、何を感じているのか、聞きました。

抵抗するすべもなく“占領”されてしまった

<2月24日 ヘルソン州 コンスタンチンさん撮影>

2月24日、コンスタンチンさん は空港への爆撃音で目を覚ましました。地平線に立ち上がる黒い煙。急いでスマートフォンで撮影をしましたが、このときはまだ現実の脅威として認識することができなかったといいます。

コンスタンチン・シュリガさん

「空港が攻撃されたのを見て、戦争が始まったことは理解していました。けれど、 “本物の戦争が始まったのだ、これは自分たちにとって脅威なのだ”と認識するようになったのは2月末頃でした。街中の誰もが爆撃音、主にミサイル攻撃の音を聞いていましたし、皆怖がって地下室に隠れるようになりました。市の機関が空襲警報を出し、サイレンを鳴らしていました。
ただ、当初ロシア軍は(ヘルソンの隣の州で南部の要衝として知られる)ミコライウを目指していたので、ヘルソンには全く入ってこなかったのです」

<2月24日 ロシア侵攻開始前のウクライナ>

ミコライウは、造船の町としても知られ、古くから水路の要衝であるのと同時に陸路の要衝でもありました。ロシア軍は大きな車列を組んでミコライウに向かっていたため、コンスタンチンさん は“戦略的に重要なのはヘルソンではないのだろう”と捉えたといいます。また、同じ頃、ウクライナの徴兵司令部の車がヘルソンから出て行く様子も目撃したといいます。

ロシア軍が進軍しようとしているのはミコライウであり、ウクライナ軍もその防衛をするためにヘルソンを去ったのだろう―。
ヘルソンには入ってこないと一度は安堵したものの、3月1日に状況が一変しました。
急にあらゆる方向からロシア軍が進軍してきたのだといいます。

コンスタンチンさん

「1日未明に入り始めたのだと思います。朝になると、インターネットやSNSは兵士(の映像や動画)で溢れました。兵士が全方向から、私の住んでいる地区にも入ってきて掃討を始めました。
このとき、ウクライナ軍がちょうどヘルソンから撤退してしまっていて、検察も警察もヘルソンから出て行ってしまっていたので、ヘルソンを防衛できるのは、市民で構成された「地域防衛隊」しかいませんでした。地域防衛隊は、軍事訓練を受けた市民ですが、訓練を受けずに入隊した人もいます。
この地域防衛隊を含め、ウクライナへの思いが強い人々はSNSで結束して守り抜こうとしました。しかし、ロシア軍が入ってくると、すぐに撃破されてしまいました。近所のシレネヴイ公園で、数十人が死亡しました。砲弾で人の体がバラバラになりました。太刀打ちすることもできずに死んでしまったのです

ウクライナから“切り離されていく”

コンスタンチンさん は侵攻前、マーケティングリサーチの仕事や自動車部品を販売する店の経営等をしていましたが、ロシアの軍事侵攻によってこれまでの商取引が機能しなくなり、すべてを失いました。
当初はヘルソンを出ることも考え、いくつものルートを考えて何度も友人たちと議論をしたといいますが、移動中に死亡する可能性の方が大きいと思い、自らの故郷に留まる決断をしました。

平和だった故郷が、混乱のなかで姿を変えていくありようを世界に伝えたい―。
ロシア軍の進軍からおよそ1週間後の3月8日、コンスタンチンさん はヘルソン市の現状を記録した動画の配信を始めました。

<4月14日投稿動画より ウクライナ国旗を掲げる建物>
<4月14日投稿動画より ロシア国旗を掲げた建物>

街中のウクライナの国旗がロシアの国旗に少しずつ変わっていく様子。
物価が高騰して無秩序になった市場のありよう。
「Z」と書かれた車両が次々と入ってくる様子…。
コンスタンチンさんは 身の回りで起きた変化を細かく記録しています。

コンスタンチンさん

「最初の1か月〜1か月半は、どこでもウクライナ国旗が掲げられていました。2年前に選出されたヘルソン市長も市庁舎にいて、市庁舎の上にはウクライナ国旗がはためいていました。
その後、少しずつウクライナ国旗が外されるようになりました。まず外されたのは州政府庁舎でした。最初はキリストの顔が描かれた赤い旗が立てられ、数日後にはロシアの国旗に変わりました。その後、このプロセスが広がっていきました」

<5月12日投稿動画より>

“占領”によって混乱した街の中では、略奪や犯罪が一時急増したといいますが、秩序を乱す行為をロシア軍が厳しく処分するようになったため、犯罪行為そのものは減少しているといいます。
また、ロシア軍の侵攻後、ロシアやベラルーシから多くの生活必需品が入ってきたり、ロシア資本のスーパーが新たにオープンしたりしているといいます。

コンスタンチンさん

「モノ不足はほとんどありません。医薬品は不足していますが、医薬品はだいたいボランティアが持ってきてくれます。基本的には何でも買えますし、何でも売っていますが、物価はとても上がりました。特に最初の頃は、価格が2〜3倍以上になったものもあり、ソーセージは約100フリブニャだったのが約300フリブニャになりました。
今は、いろいろなところから新しい商品が入ってくるようになりました。クリミアからも来ていると思われるものやベラルーシの商品もありますし、ロシアの商品も多いです。このような新しい商品が入ってくると、物価は下がります。戦争が始まる前に比べると高止まりしていますが」

通貨は、ロシア軍が「ルーブル」を持っているものの、一般市民の間で広く使われているのは今もウクライナの「フリブニャ」だといいます。コンスタンチンさん の手元にある通貨もフリブニャのみで、ルーブル通貨で買い物をしたことはないといいます。
ただ、一部でロシアのテレビ番組が放送されるようになったり、通信網もウクライナの回線が遮断されてロシアの回線しか使えなくなったりするなど、ロシア側によってもたらされる物資や“新たな秩序”によって、市民生活の至る所でロシアとの結びつきが強まっているとコンスタンチンさんは言います。

揺れる市民 “ヘルソンはロシアだ”と言う人も…

こうした中、住民たちは「ウクライナを強く支持する人々」、「親ロシア派の人々」、「そのいずれでもない人 」で意見が割れていると言います。
ウクライナを強く支持する住民たちの中には、“ロシア占領下のヘルソン”を出るために激しい戦闘が続く州境の前線を越えようとして命を落としたり、ロシアの人道支援による支援物資の受け取りを拒否したり、拘束されることも顧みずに『ウクライナに栄光あれ!』と叫び続けたりしている若者もいるといいます。

コンスタンチンさん

「ロシア人が家宅捜索に来ることもありますが、家宅捜索は武器を持っている可能性がある人に対して行われることがほとんどです。
反対の声をあげる人たちに対しては、積極的な活動家を拘束し、連行して尋問したという事実が数多く確認されています。彼ら(活動家)は数日間勾留されて、解放されるのです。ただ、尋問された人が姿を見せなくなった事実もあります。連行されて尋問された後、Facebookに姿を見せなくなった人もいますが、ただ単にFacebookへの投稿をやめただけかもしれませんし、まだ実態はわかりません。
多くの人は、このような圧力を受けると、反ロシア的な姿勢の表明を控えるようになります」

コンスタンチンさん自身は、「親ロシア派」ではありませんが、これまでロシア軍によって圧力をかけられたり、行動を制限されたりしたことはないといいます。

コンスタンチンさん

「一度だけ、中央公園を歩きながら撮影していたときに、複数の兵士が近づいてきて、何を撮影したのか見せてほしいと頼まれました。彼らは撮影したものを見て、何も興味をひくものが無かったのか、携帯電話を私に返し、『良い1日を!』と言って去りました。これ以外には、幸い今のところ何もありません。」

ロシア側が、住民たちにロシアへの編入の賛否を問う住民投票を画策しているという海外メディアの報道も度々伝わってきますが、コンスタンチンさん自身はそのような動きを実際に目にしたことはないといいます。

コンスタンチンさん

「住民投票について発言しているのは、一部のウクライナの政治家だけで、私は準備作業さえ見たことがありません。
ただ現在、ロシアに協力することに同意したヘルソン市民がメンバーとなって、市の新しい軍事行政府の組織作りが始まっており、彼らは『ヘルソンはすでにロシアだ。今はロシアだ。それにどうやって法的効力を持たせるかは、これから決める』と言っています」

街が破壊されるくらいなら、ロシアの影響下でも…

今後も故郷であるヘルソンから出ていく予定はないというコンスタンチンさん。
「力による領土の変更は極めて望ましくない」としたうえで、複雑な心境を吐露しました。

コンスタンチンさん

「ヘルソンが戦闘も破壊もなくウクライナに戻るというのであれば、いいのです。けれど、戦争が起こり、ヘルソン市がマリウポリのようになるのだとすれば、そんなことを望む人はいません。
破壊されるくらいなら、私は、ロシアの影響下に残ってでも無傷のヘルソンで暮らすことを望みます。ヘルソン市を壊滅させるのではなく、政治家が話し合い、この問題を政治的に解決してほしいと望んでいます

ウクライナ軍とロシア軍、前線では今なお戦闘が激化しており、両者が一歩も譲らないなかでヘルソン全体が激しい戦火に見舞われる可能性もあります。
インタビューの終わりに、コンスタンチンさんはこう語りました。

コンスタンチンさん

「一般の人々はお互いに助け合い、生き抜かなければなりません。この厳しいときを生きて切り抜けなくてはなりません。
闇の後には必ず光があります。重要なのは、光に辿り着くことです。闇のがれきの下で死体となって転がるのではなく、生きて切り抜けなければならない。そう思います」

この記事の執筆者

報道局社会番組部・おはよう日本 ディレクター
吉岡 礼美

みんなのコメント(1件)

提言
せいちゃん
40代 男性
2022年7月15日
この戦争で、ロシアもウクライナも、何もいいことはありません。戦争で一番被害に遭うのは、立場の弱い人、女性や子供、お年寄り、障がい者などです。一刻も早く、即時停戦し、外交交渉で問題が解決されることを願います。
今このときも、大人の女性や少女がレイプされ、人々が殺されているのです。この悲劇に一刻も早く終止符をうたねばなりません!
両国は即時停戦して外交で解決してください。