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“もし携帯電話を見せたら殺されていた”【アレクサンドルさん・ブチャから避難】

徹底的に破壊され、多くの市民の遺体が見つかった首都キーウ郊外のブチャ。
アレクサンドル・パセービンさん(67)は「緑に囲まれた美しい街だったことを知ってほしい」と、咲き誇る花と撮った写真を何枚も送ってくれました。ロシア兵の尋問を間一髪で逃れたというアレクサンドルさんは「愛する街が再び繁栄する姿は、もう見られないだろう」と嘆いています。

間一髪の逃避行 “取材を受けられるのも奇跡のよう”

かつてウクライナ有数のオペラ劇場の事務員を務めていて、世界中を飛び回っていたアレクサンドルさん。公演のために日本にも来たことがあるといいます。
引退後の「ついの住みか」と選んで移り住んだのが、美しい森に囲まれ“緑の回廊”とも呼ばれるブチャでした。
自然豊かでキーウへの交通の便もいいために多くの人をひきつけ、およそ3万人が暮らしていたのです。
アレクサンドルさんは妻と5匹の犬、4匹の猫とともにブチャで20年以上穏やかな生活を楽しんでいました。
送ってくれた動画には、去年12月に家族でスケートを楽しむ姿が映されていました。

〈国際報道2022 4月7日放送より〉

ロシア軍が侵攻してきたのは、そのわずか2か月後のことでした。
兵士たちはアレクサンドルさんの自宅にもやってきて、“ウクライナ側に情報を渡しているのではないか”と尋問してきたと言います。
身の危険を感じたアレクサンドルさんは、3月9日にブチャから脱出しました。
可愛がっていたペットも、何匹か街に残る知人に預けていかざるを得ませんでした。

アレクサンドルさん

「あなたとこうして話ができているのも思えば奇跡のようです。私たちが出発した日の夜ロシア兵が自宅にきて、私や家族を探し家中をひっくり返していったそうです。
以前に1度ロシア兵が来た時、『携帯電話を見せろ”と要求されました。私は携帯電話を持っていないと答えて見せなかったのです。携帯電話を使ってロシアの悪口をたくさん書きこんでいたので、もし見せていたらすぐに射殺されていたでしょう。ただ見せるのを拒否したせいで、ロシア兵は私を疑っていたのだと思います。
私は本当に無力で、家族を守る力がありませんでした。これほどつらいことはありません」

ロシア兵は当初、経験のない若者ばかりだった

住民1人ひとりの携帯電話まで取り調べていたロシア軍。
ただ、侵攻当初にアレクサンドルさんが出会った兵士たちは、残虐な暴力行為を働くイメージからはほど遠く、明らかに経験の浅い若者が少なくなかったといいます。

アレクサンドルさん

「最初に来たロシア兵のグループは、次にやってきたグループと精神的にまったく違いました。おそらく多くは招集されたばかりの19~20歳の兵士で『ウクライナの人々は助けに来てくれたと喜び、自分たちは感謝される』と心底から期待していたのです。
公衆トイレで順番を待っているとき、ロシア兵も並んでいたので話しかけてみました。どんな命令をうけてウクライナにきたのかと聞くと『3日分の装備を与えられ、人々を“解放”しにきた』と答えました。『麻薬中毒の大統領やファシストから解放し、自由を与えるためにきたのだ』というのです」

“復興した街はもう見られない”

その後、アレクサンドルさんは知り合いを頼ってウイーンにたどり着きました。
報道でブチャの状況を見て、どこがどこだかわからないほど街が変わり果ててしまったと心を痛めています。
短い夏に咲き誇る花々、スケートを楽しむ休日、愛するペットとのふれあい。
今となっては、ブチャで過ごした日々すべてが大切な思い出です。
アレクサンドルさんは「自分はもうブチャに戻ることはないだろう」とつぶやきました。

「ブチャの情報をいつも気にかけています。ただ私はもうこの年齢なので、もう一度戦闘が起こったら耐えられないでしょう。
私は障害があり、走ることもできないのですから。もちろん私の愛する人々がいるブチャの街に戻りたいです。繁栄を取り戻した街、復興した街をもちろん見てみたいです。ただ悲しいことですが、私にはもはやそのチャンスはないだろうということが分かっているのです」

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みんなのコメント(1件)

感想
すえちゃん
50代 女性
2022年6月7日
責任ある大国であるロシアが、戦争を始めてしまった事は、絶対に許せません。
戦争がない時代を、ずっと続けていかなくてはいけなかった…。
ウクライナの人は頑強と言われますが、戦争はやはりやらない方が良いです。