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介護

介護の記事一覧
はなえむ
母は若年性アルツハイマーですでに寝たきり。二人暮らしをしてくれていた父が昨年急に認知症が進みました。様子を見に行った後、なんとなくワサワサした気持ちで帰るのですが、そんな時、阪急電車のラッピング電車を目にすると、夢中になって動画を撮り、気分が上がります。今は ちいかわ や ミャクミャク列車が走ってます。
マンズのお豆
介護ではないのですが、今まさに重度知的障害と自閉症をもつ息子は行動障害もあり、簡単に預け先も見つからず主人が無理やり在宅にしてもらって生活していますが、主人もメインの仕事は降りざるを得なくなりました。なので、主人は会社に行きたい、でも、行動障害をもつ自閉の子の居場所は本当に見つからず先が見えません。今回のビジネスケアラーの問題の番組をみて、家族の行き場のない気持ちは今の私達にもとても通じると思いメールさせて頂きました。行動障害を持つ自閉症の息子にとっても切実です。居場所さえ見つかりません。私は専業主婦なのでこの子の面倒は私がみるんだと思って10年ぐらいやってきましたが、家族だけで背負わなきゃいけない世の中の仕組みが変わらないかな、とずっと思っていました。一律会社に行かなきゃならない仕組みそのものも考えて欲しいです。
Hi
私たち利用者は行政ハラスメントを受けている。あれはできない、これはできない、といわれて、何の助けにもならない。介護事業者の働きは、利用者とその家族にとって本当の助けになってないのが現状。ケアマネは協力者ではなく指導者。介護事業の働きについて苦情をいう所も明確でなく、盥回し。個々の事業者に言っても解決する問題ではない。利用者も家族も苦痛です。苦しくてストレスが溜まって悶々としてしまう。介護保険なんて無かった方が良かった。その方が割り切れた。
むー
自分の面倒を見てくださる方には本当に感謝しています。 でも、精神科の訪問に来る人の中には時間を水増しして勝手に帰ってしまう人や、その人が好きな話題ではなければ不満を言われたり無視する人がいたり 嫌なことを言うのをやめて欲しいとご本人に言えば、利用者から攻撃されたと仲間内に報告する人が結構います。 日頃のストレスもあるだろうし、過酷な職場だったりもするのだろうけど、いつも傷ついています。
Ted
番組を拝見し、すでに亡くなった父と現在介護施設に入所している母のことが頭に浮かびました。父母は共に認知症です。認知症になっても、父らしさ、母らしさは変わらないと思っていたので、恩蔵さんの考え方と全く同じです。さらに、認知症の父母の言動を見ていると、父は几帳面で心配性、母はおてんばで気が強いという私の知らない子供の頃の様子まで教えてくれます。認知症の父や母を持つご家族には成長モデル(あえて成長)があると考えています。父母の認知症を知ってショックを受ける段階から、認知症は一生懸命生きてきたご褒美だと思える段階へと成長するのではないでしょうか。私は現在、精神的に余裕のある状態で母とコミュニケーションを続けています。
葛西雅子
私は今介護施設で生活している。半身麻痺で車椅子生活です。20年前のくも膜下出血発症時は何の後遺症も無かったのに5年前に脳出血を発症した時は半身麻痺の後遺症が残ってしまい左半身は未だに動きません。無事だった利き手、利き脚が今の生活の全てです。指先を使う事で脳に刺激を与える事が出来る事が調べてみた結果解りましたので日々右手を使う作業をしています?脳も疎かに出来ないので活字による刺激を与えています。間違

ヤングケアラー どう支える?

2021年5月13日 8コメント
すみ
「恥」の文化 かつてヤングケアラーの立場にいました。依存症や精神疾患はタブーに見られる文化の地方において、その「恥」の認識が、家庭環境や病状が悪化する一因だったのでは、と今は感じます。誰にも話さないし話せないのが当たり前という認識で育ちました。しかし、決して同じ思いをしてるのはあなただけではないこと、ガマンが当たり前ではないことを子供たちには知っていてほしいです 更なる特集期待しています
Seagullfii
コメントなどが0、に驚きながらも、宜なしと思いました。 言葉を失うとはこの事と理解しました。 ヤングケアラーに関するドキュメンタリーは、二度目の視聴ですが、毎度、官僚が十分なディフェンスができていることに、些か、違和感を覚えています。

都会の“雪山”に生きて

2021年4月12日 2コメント
えんじょるの
「ケアすること」と「ケアされること」は誰もが通る道。特に子供はケアされなければならない存在です。しかし、親が「ケアされる」状況に陥ってしまうと、その負担を子供が背負うこともあります。核家族が増えつながりが分断された日本社会の弊害ではないでしょうか。黒光さんの「社会を変えたい」という考えにとても共感します。

“半径1メートル” で生きた10年

2021年4月2日 4コメント
郁ちゃん
家族愛というものを感じました。1mのところにいる人に尽くすことと、自分のこれから先をどう生きていくのか興味があります。

「私がお母さんを守らなきゃ」

2021年3月26日 7コメント
担当ディレクター
沢山のコメントありがとうございます。「今苦しんでいる人の力になりたい」と語ってくれた琴愛さんの願いが届いたようで、本当に嬉しく思います。取材を続けながら、子どもたちのために一日も早く支援を…という焦りにも似た、もどかしい思いが募ることは事実です。 その一方で、当事者の方からのコメントも頂きましたが、外からはどんなにひどい親に見えても、子どもにとって「お母さんはお母さん」、大切な家族です。また、お母さん自身(ご家族自身)も病や障害を抱えながら自分の人生を必死で生きています。子どもはそのことを鋭敏に感じ取り、表沙汰にしようとはしません。学校や行政の役割はもちろん重要ですが、公的な機関が介入するだけでは容易には解決しない問題だとも感じています。 いま、私たち取材班は、当事者の方々、行政、支援者の方々と議論を続けています。どうすればより良い解決の道があるでしょうか。心ある多くの人が現場で悩み、模索を続けています。私は次の記事でその人々のことを書きたいと思います。彼女たちが直面する課題は、日本が抱える問題の縮図のようにも思えるからです。
さすらいの独り者
例えば最愛の身内がガンに罹った。最愛の身内が、壮絶に苦しみ、もうすぐこの世から居なくなってしまう喪失感。物凄くつらいです。これはヤングケアラーとかの問題でない気がする。これは第三者が支援と言っても、できることは限られてるのでは?せいぜい、最愛の身内を亡くす痛みを受け止めてあげることぐらいしかできない。行政が介入することでない。
とんび
ヤングケアラーに注目が集まってきたのは良い事と思う。が、「あなたの人生が大事。がんばってね」と言われても、では明日からどうすればいいの?に答えられる支援者がまわりにどのくらいいるのでしょうか?福祉サービスの制度の谷間に落ちて支援が得られず困っている人は若年者に限らずたくさんいます。そういう状況をぜひ、今後も取材していってほしいです。
ピヨちゃん
私は祖母の、トイレの世話を中学から高校生までやりました。寝る時も一緒で横を向くと祖母がトイレ行きたいと訴えます。学校も友達とも遊べない生活、早く家を飛び出したかった。上京する時は寝たきりで私に花嫁姿みたいと言ってたけどそんなの見なくていいと耳元で冷たく言ってしまった。まもなく亡くなり会えなかった。今も後悔してる。でも大好き、いろんなこと教えてくれた大事な私の思い出、大好きなお婆ちゃん有難う。