
サッカー女子W杯“多様性”腕章めぐるFIFAとの攻防
サッカー女子日本代表“なでしこジャパン”が3大会ぶりの優勝をめざし熱戦を繰り広げる※サッカー女子ワールドカップ(以下「W杯」)。 ※2023年7月30日現在
LGBTQ・性的マイノリティーを公表した選手は過去最多に上ります。
今大会、FIFA(国際サッカー連盟)はジェンダー平等などのメッセージを記した腕章の着用を許可しました。
この決定の裏に何があったのか。プロサッカー選手の国際的な労働組合FIFPROの職員として交渉現場に立ち会った辻翔子さんに話を聞きました。
(クローズアップ現代 取材班)
プロサッカー選手の渉外を担当する辻翔子さん

辻翔子(つじ・しょうこ)さんは幼少期をオランダ・アムステルダムで過ごし、そのころからサッカーに興味を持ち始めました。帰国後は横浜Fマリノスのサポーターになり、毎週末スタジアムに通うほどでした。高校・大学時代には選手として活躍。2011年にスペインに留学した後は、そのまま現地のスポーツ関連企業に就職しサッカーの取材や中継番組制作に従事しました。
2022年にプロサッカー選手の労働組合FIFPRO(国際プロサッカー選手会)に加入し、オランダを拠点に各国選手会や選手との渉外を担当しています。小学生のころ、「スペインや南米系の選手とおしゃべりしたい」と習い始めたスペイン語のほか、英語、仏語など4か国語を操ります。
辻さんにまず、FIFPROでどんな仕事をしているのか聞きました。
―プロサッカー選手の労働組合FIFPROとは、どんな仕事をする組織ですか?
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辻翔子さん(FIFPRO職員)
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FIFPROは世界中で6万5千人を超えるプロサッカー選手をサポートしています。
基本的には選手の労働環境、給与や契約内容、自己啓発、司法や仲裁、引退後のキャリアなどについて相談にのったり、交渉をしたりというのが仕事ですね。最近ではネット上の誹謗中傷やセクシャルハラスメントに関する取り組み等にも力を入れています。
実は今大会の賞金総額は前回大会の3倍、1億1000万ドル(約158億円)で、選手への分配金も明示されました。これも選手たちの要望を受けたFIFPROが、FIFAに「男女格差是正」と「選手への還元」をねばり強く訴え、交渉してきた末に勝ち取った実績です。
「全チームが着用できる腕章にしたい」

2022年の男子W杯で、開催国カタールのLGBTQの人たちへの差別や同性愛を禁止する法律に抗議して、欧州の7チームが多様性の尊重への支持を示す「ONE LOVE」と書かれた虹色の腕章を着用しようとしました。しかしFIFAは「政治的中立の理念にそぐわず、備品やキットで政治的な主張やジェスチャーをすることを禁じた規定に反する」とし、さらに「着用した場合はイエローカード(警告)の対象となる」という通達を出したため、7チームは着用を断念しました。
ところが今大会で、FIFAはインクルージョン(包摂・誰も排除しない)、ジェンダー平等、平和などのメッセージが記された8つの腕章の着用を許可しました。
―多様性の尊重やジェンダー平等などへの支持を訴えるメッセージの腕章の着用が許可されるまでの経緯を教えてください。
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辻翔子さん
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今大会の開催が3か月ほどに迫ったころ、こちら(欧州)では「女子大会の腕章はどうなるのか」といった報道が増えてきました。
そして同じころ、いくつかのチームの主将からFIFPROに「腕章をつけて大会に臨みたい。どういう腕章にするか、あらかじめ各国のキャプテンを集めて話し合いたい」という相談があったんです。
そこで私たちが場をセッティングしました。残念ながらスケジュールの都合で日本代表の熊谷紗希選手を含め、多くの国からは参加できなかったんですが、欧州を中心に10人くらいのキャプテンが集まりました。
―そこではどんな話し合いになったんですか?
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辻翔子さん
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この時に出た選手たちの意見は主に3つでした。
一つ目は「“ONE LOVE”の腕章はカタールでネガティブなイメージがついてしまったので出来れば新しく別のものにしたい」、二つ目は「FIFAと一緒に考えたい」。そして最後は、ある選手が言った意見にみなが賛同したものです。
「欧州のチームだけがメッセージ性のある腕章を巻いても、“ああ、またいつもの国だなあ”と思われてしまう。だから普段(多様性の尊重を訴える)アクティビズム(活動)にあまり関わらない国も含めて着用できるものになったらいいよね。全チームが参加することで、そのメッセージはもっとパワフルなものになるから」というものでした。
こうした意見を私たちFIFPROがとりまとめて4月ころにFIFAにレター(要望書)を送ったんです。
―去年の男子大会の「ONE LOVE」のように「LGBTQに関する文言を入れたい」など具体的なメッセージの話は出なかったのですか?
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辻翔子さん
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「どんなメッセージにするか」など具体的な話の前に、まずはプロセスをしっかり確立したいという意見で一致しました。最初の話し合いの場に参加したのは欧州の10か国の主将だけだったので、仮にでも具体的なメッセージを提示してしまうとそれに対して賛成か反対かみたいになってしまい、「全チームが着用できる」という目標を達成できない可能性がありました。
―そもそもですが、サッカーに限らず欧米のアスリートは、政治や社会問題に関して積極的にコミットする(関わる)印象があります。欧州で活動する辻さんから見て、それはなぜだと思いますか?
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辻翔子さん
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「Shut up and dribble=黙ってドリブルしろ」という人は欧米にもいます。つまり「アスリートは政治や社会問題に発言したりコミットしたりせず、競技に集中しろ」という声です。
一方でそれと同じくらい「インフルエンサーであるプロアスリートは、より良い世界や社会を実現するために積極的に発信する責任がある、義務だ」という声もあるんです。また今は欧米でもSNSの時代で、特にプロアスリートは自らの発信で自らをブランディングし、ファンやスポンサーを獲得していくことができますし、また、獲得していかなければなりません。
発信するメッセージや思いはどれも純粋だと思いますが、積極的に発信していく裏にはそういった事情もあるように思います。
FIFAから逆提案 物議をかもした虹色のハート
―選手たちの意見を提案した後、FIFAからはどんな回答がありましたか?
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辻翔子さん
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しばらく反応がなかったんですけど、開催まで残り1か月となった6月に入ってFIFAから突如「発表したいことがあるから選手たちを集めてほしい」と連絡を受けました。そして、選手たちを集めた場でFIFAから提案されたのが、実際に今大会で各国の主将が着用している8種類の腕章でした。
メッセージやデザインなども含めた具体的な提案だったので正直、私はびっくりしましたね。今大会も「メッセージのある腕章はNGと言われる可能性もあるかな」「案が出てきても草案といったレベルかな」と思っていたので。

上記の画像はFIFAが6月に選手たちに提案し、今大会でもそのまま採用された8種類の腕章です。
それぞれのメッセージは、左上から➀「Unite For INCLUSION(インクルージョン:包摂・誰も排除しないために団結する」 ② 「Unite For INDIGENOUS PEOPLE(先住民のために団結する)」③「Unite For GENDER EQUALITY」(ジェンダー平等のために団結する)④「Unite For EDUCATION FOR ALL(全ての人へ教育のために団結する)」⑤「Unite For END VIOLENCE AGAINST WOMEN(女性への暴力撲滅のために団結する)」⑥「Unite For PEACE(平和のために団結する)」⑦「FOOTBALL IS JOY PEACE HOPE LOVE PASSION(サッカーは喜び、平和、希望、情熱である) 」⑧ 「Unite For ZERO HUGER(飢餓をゼロにするために団結する)」
FIFAは「この8種類の中であれば自由に選んで着用することができる、試合ごとに異なる腕章を着用してもよい」と選手に説明しました。
―選手たちの反応はいかがでしたか?
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辻翔子さん
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FIFAのプレゼンのあと、選手たちからは「なぜこの8つテーマなのか?」という質問が出ました。
それに対してFIFAは「主に女性に関係するテーマで、全てのチームや選手が団結できるテーマ、FIFAのレギュレーション的にもOKで政治的なものではないから」という説明がありました。
それに意義を唱える選手はいなかったように記憶しています。
―4月に「FIFAと一緒に考えたい」と伝えたのに、開催間近になって「ほぼ完成型」の案を提示されたことに対して選手たちはどう思ったのでしょうか?
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辻翔子さん
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突如ほぼ完成に近い、具体的な提案だったので、確かに私と同じように驚き、とまどいを感じた選手もいたかもしれません。
一方で、多くの選手たちは「全ての国の選手が着用できる腕章にしてほしい」という自分たちの要望を聞き入れ、具体的なアイデアを出してきたことについては好意的だったと思います。
ただインクルージョン(包摂・誰も排除しない)の腕章については、さまざまな意見が出ましたね。

―どんな意見でしょうか?
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辻翔子さん
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実はFIFAはこのインクルージョン(包摂・誰も排除しない)の腕章に関してだけ4つのオプションを用意していたんです。ハートのロゴの部分が虹色ベースのものが2種類とそうではないものの2種類の計4種類でした。
それに対して、特に欧州の選手たちは「虹色ではないオプションは必要ないのではないか。これを用意することで逆にLGBTQをサポートしていないような印象を与えないか」という懸念をFIFAに示しました。
―それに対するFIFAの反応は?
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辻翔子さん
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FIFAの説明は「今大会に出場するイスラム圏のアフリカの国などでは、そもそもLGBTQや虹色を身につけること自体が禁止の国もある。そういった国の選手のことを考えれば、このオプションを用意せざるをえない」というものでした。
ほとんどの国の選手は、その説明には納得しているように私は見えました。一方で、大会が間近に迫っているので「ここで物議をかもして男子のときのようにゴタゴタしたくない」という心理が働いた選手もいたかもしれません。
今大会のザンビア戦(2023年7月22日)で、日本の熊谷紗希主将は「GENDER EQUOLITY」=「ジェンダー平等のために団結する」の腕章をつけました。熊谷主将は監督やチームメートと話し合った結果、一任されてこの腕章を選び、「女子サッカーの価値向上につながってほしい」と述べました。

腕章をめぐってはポジティブな話題だけが続いているわけではありません。LGBTQの人たちの権利に関係する直接的なメッセージが8種類の中にないことや、FIFAが指定する以外の腕章を着用した場合は今回も処分される可能性があり、それに対して「人権に関する表現を制限している」という声もあがっています。
オーストラリアの主将、カー選手は性的マイノリティーへの連帯を示す腕章の着用を望んでいましたが「チームをリスクにさらすことはできない」としたと一部で報道されています。
―今大会の腕章をめぐってはネガティブな報道や意見もあります。それについては、どんなお考えでしょうか?
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辻翔子さん
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今回の腕章に関しては「メッセージがソフトすぎる」という声は一部の選手からもあがっています。全チームの主将がそれぞれの思いに合わせてメッセージ腕章を着用できたことは大きな前進ではありますが、これがベストだとは選手たちもFIFPROも考えてはいません。
参加国全ての要望や社会的・文化的背景を考慮し、全選手が納得するメッセージ腕章を着用できるように粘り強く交渉を続けて行きたいと思っています。
―LGBTQへの差別をなくすためにFIFPROが現在取り組んでいること、今後取り組んでいくことなどがあれば教えてください。
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辻翔子さん
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最近ネット上の誹謗中傷をFIFPROが分析したところ、男子のカテゴリーでは「人種差別」、女子のカテゴリーでは「LGBTQ」に関する誹謗中傷の割合が非常に高いことが分かりました。
当然ですがLGBTQに限らず、FIFPROではあらゆる差別は、選手の労働環境、プレー環境を極めて疎外する重大な問題だと認識しています。
根絶に向けて、選手たちと協力して取り組んでいきたいと思っています。
ー貴重なお話、ありがとうございました。
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初回放送:2023年7月31日(月)午後7:30~
※放送後1週間、見逃し配信(NHKプラス)でご覧いただけます👇