
兄からの性暴力 “ないしょだよ”と言われて・・・ 妹はひとり傷を抱え続けた
私たちは性暴力の被害に遭ったというある女性から、こんなことばを聞きました。
「私は“共犯者”だからしかたがない。そう自分で自分にゆがんだ言い訳をしてきました」
小学校低学年のころから、8歳上の兄から性被害を受けていたという女性。みずからを“被害者”ではなく“共犯者”と思い込んで生きてきました。
“被害者”だと認識できたのは15年以上たった後。しかし、そこにはさらなる苦しみが待っていました。
※この記事では性暴力被害の実態を広く伝えるため、被害の詳細について触れています。フラッシュバック等 症状のある方はご留意ください。
「私は兄の“共犯者”だからしかたがない」 誰にも話せなかった性被害
2022年11月、「性暴力を考える」取材班に1通のメールが届きました。送り主は東北地方に暮らす、かよさん(仮名・33歳)です。
「小学生のころに8歳上の兄からイタズラされたことが始まりでした。小学5年で兄に布団に寝かされ性行為をされました。初めての性行為でした。その後は、中学2年まで兄と性行為をしていました。なぜ続けたのかというと、親に怒られると思ったからです。悪いことをした私は『共犯者』だと。私が黙っていれば大丈夫だと。いまは治療に専念していますが、いまだに波のある精神状態です」
私は「共犯者」ということばに戸惑いを覚えました。なぜ被害に遭ったかたが、自分のことを共犯者だと思わなければならないのか。その日々とはどんなものだったのか。
かよさんとメールのやりとりを重ね、ことし3月に 直接会って話を聞くことになりました。

落ちついた様子ながらも、不安そうなかよさん。ことばを選びながらゆっくりと語り始めました。
幼いころから、かよさんにとって8歳上の兄は「いろんなことを知っている、大人な存在」。信頼と憧れに近い感覚を抱いていました。
そんな兄から最初の被害に遭ったのは、小学校低学年のときだったといいます。ある日一緒に遊んでいると、兄の手がかよさんの下半身に伸び、そのまま性器を触られたといいます。性に関する知識はなく、何をされているのか分からなかったかよさん。兄は「ないしょだよ」と言ってきたといいます。
『よく分からないけれど、これは “2人だけの秘密” なんだ…』そう受けとめたかよさんは、兄の行動に疑念を覚えることはなく、むしろ自分だけへの愛情表現だと信じ込みました。
そしてかよさんが10歳のとき、性行為をされたといいます。まだ初潮もきておらず このときも自分がされていることの意味は分かりませんでしたが、兄のこそこそした様子から『これは両親に言わないほうがいいことなのだろう』と察していました。
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かよさん
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「不思議なもので、痛いとか怖いという体の感覚は残っていないんです。ただなんとなく、自分の体が汚いもののような感じがして気持ち悪くなって混乱しました。このことが大人に知られたら大変なことになると思って、誰にも言えなかったんです」
その後も性行為をされ続けたというかよさんですが、次第に違和感を覚えるようになります。小学校の同級生の友人たちが淡い恋心を抱き好きな男の子に告白したり一緒に学校から帰ったりする姿を見て、兄との性行為は「よくないことかもしれない」と思うようになったのです。それでも「被害」だとは認識できませんでした。
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かよさん
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「そもそも自分が抵抗せずにいたから性行為にまでつながってしまったと思っていたので、これは自分が『悪い子』だから起きてしまっていることだというふうにしか思えませんでした。自分を否定するつらさを紛らわせるために、私は兄の『共犯者』だからしかたがないと思い込んでやり過ごすしかなかったんです。この関係は自分で選んだものだと、無理やり自分で自分にゆがんだ言い訳をしていました」
最初の被害から15年以上たち・・・ 「“共犯者”ではなく“被害者”だった」

兄からの性行為が終わったのは、かよさんが中学2年生のときでした。兄に対する違和感や不快感が募り、ふだんの生活のやりとりでも徹底して無視をすることにしました。すると ほとんど口をきくことがなくなり、次第に性行為を求められることもなくなったといいます。
しかし直接的な被害は無くなったものの、かよさんはその後 激しい不調にさいなまれます。常に原因不明の腹痛があり、夜は熟睡できないように。ささいなことでイライラしたり、衝動的になって「すべてのことを投げ出して消えてしまいたい」と感じたりすることが増えていきました。
そしてかよさんは、不特定多数の男性と性行為をするようになります。さみしさを感じると出会い系サイトで相手を探して性的な関係をもつ生活が、10代の間ずっと続きました。
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かよさん
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「当時は、自分が生きている価値は体にしかないと思っていました。矛盾していますが、自分の体を『汚れていてどうでもいいものだ』と思っているのに、それを他人に差し出すことでしか生きている実感を得られなかった。しかも男性なら誰でもいいというわけではなくて、相手は『兄以上に年上の男性』でなければだめだったんです。みずからやっていることだけど好んでやっていることではなくて、終わると苦しくなって自分がいやになるんです。けれどなぜかまた繰り返してしまう。自分で自分の行動の意味が分からなくて、そのこともつらかったです」

転機が訪れたのは、20代半ばのときでした。
自分でも理解できない生きづらさを抱えながらもなんとか大学を卒業し、高校で非常勤講師として働いていたかよさん。そこで、自分のことを信頼し無邪気に慕ってくれる生徒たちに出会ったのです。生徒たちの純真な姿を目の当たりにし、かよさんは自分の高校時代とのギャップを感じました。
「もしかして、私の10代の過ごし方は何かがおかしかったのかもしれない・・・」。自分の心身に何が起きていたのか、ちゃんと知りたいと考えたかよさん。トラウマや精神疾患に関する本を読みあさるようになりました。
そして出会ったのが一冊の本。精神科医が一般読者の悩みにQ&A形式で答えるという内容でした。
「お酒を飲むと人が変わってしまう」「自分に自信がもてない」・・・さまざまな人生の悩みが並ぶ中、「家族から性的なことをされたことがあり、それ以来、不特定多数の男性との性行為がやめられない」という悩みが掲載されていました。
これはまさに自分のことではないか・・・。読み進めると、精神科医の回答に、かよさんはそれまで感じたことがない衝撃を覚えました。
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かよさん
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「1行目に『あなたは被害者です』とはっきり書かれていたんです。それは性虐待の影響だろうと。その一節が目に入った瞬間、そのことばが直接私に言われたかのように突き刺さってきました。『共犯者』じゃなかったじゃないと思って・・・。私はずっと傷ついていたんだと。ようやくそのことが分かって、涙があふれてきました。誰になのかは分かりません。でも『ああ、やっと許された』と感じました」
兄から性行為を求められ続けた日々。それは、自分が望んだことではなかった。
自分と兄は「共犯関係」ではなく、「加害者」と「被害者」だった。
やっとそう思えるようになったとき、最初の被害から15年以上の歳月が過ぎていました。
被害を認識してあふれ出た 押し殺してきた恐怖
被害を被害として認識したかよさん。ようやく救われるのかと思いきや、思わぬ事態に直面します。以前にも増して激しい不調が起こるようになったのです。
もう被害に遭うことはなくなっていたのに、同じ屋根の下で暮らす兄のことが異常に怖くなり、家族で食卓を囲むことさえままならないように。自室に引きこもって無理やり眠ろうとしましたが、兄にレイプされる夢を見ては、叫びながら飛び起きました。
家の中だけでなく外出先でも感情のコントロールができず、人の視線が異様に恐ろしく思えて すれ違う人がみんな自分のことを「汚らわしい」と思っているのではないかと感じるようになっていきました。
体重が激減した娘の様子に両親は「職場で何か問題でもあったのか」と心配してくれましたが、いまさら被害のことを言っても信じてもらえないのではないか 否定されたら耐えきれない・・・という思いからすぐには打ち明けることができず、医療機関を受診することもためらいました。
何かヒントはないかとインターネットで必死に検索していたとき、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」の特徴についての記述を見つけます。そこには性被害を被害として認識するには時間がかかり、認識することでこれまで押し殺してきた恐怖や不信感が一気に出てくることがあると書かれていたのです。
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かよさん
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「私は自分を『共犯者』にすることで、子どものころに受けた傷を無視していたのだなと思うんです。それに気づいたことで、当時の感情があふれ出てきたのかもしれないと考えて・・・。ある本に『とにかく原因(加害者)から逃げろ』と書いてあったんです。それでもう、まずは実家を出てこの不安定さを落ちつかせなければ前に進めないと思いました」
実家を出ることを決意したかよさんは夜、兄が寝ている隙を見計らい母親のいるリビングへ。「この家を出て行かなければ、私はよくならないの」と告げるかよさんに、母は動揺して「どういうこと?」と尋ねてきました。かよさんは意を決して、これまでのことを打ち明けました。
小学生のころから兄に体を触られ、性行為をされていたこと。
そのことを、つい最近まで「つらい」とさえ感じることができずにいたこと。
一とおりかよさんの話を聞いた母親は涙を流して「気づいてあげられなかった。ごめんね」と謝り、先に寝ていた父親をすぐに起こしました。事態を把握した父親の言いつけで かよさんはその晩は家から出ず、両親の寝室で眠りにつきました。
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かよさん
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「覚えているのは母の悲痛そうな顔と、父親がきょうは別の部屋で寝ろと言ったことぐらいで・・・。必死すぎて 自分がどんなふうに告白したのかも、いま思い出そうとしてもあいまいなぐらいです。まさか信じてもらえるとはという感じ。否定されないことがあるなんて思えなかったんです」
翌日。
いつも通り出勤したかよさんが自宅に戻ると、兄の部屋から荷物が消えていました。両親が かよさんが働いているうちに話し合い、兄を勘当したのです。
その後、かよさんは大学病院の精神科を受診。長期間に渡る性暴力被害による「複雑性PTSD」と診断されました。
被害を認識することは 回復への第一歩

「性暴力を考える」取材班では2022年、過去に性暴力に遭ったという人やその家族を対象に実態調査アンケートを実施しました。
38,383件に及ぶ回答のうち、13.5%が「家族・親族」から被害に遭ったという人たちでした。(※配偶者を除く)

さらに、かよさんのように18歳未満の子どものときに被害に遭ったという人たちでは、「家族・親族」から被害に遭ったという人の割合はさらに高まり18.7%に及びます。
精神科医で、性暴力被害者はじめPTSDを抱える患者の治療や治療法開発に取り組む国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所所長の金吉晴さんによると、10代のうちに性被害に遭った人の中には、その後 性的な行為に“積極的”とも受け取れる行動を取ることがあるといいます。
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国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所所長 金吉晴さん
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「一般的には『性のことでいやな思いをしたなら、性的な行動を避けるようになるはず』だと思われるかもしれませんが、トラウマの『再演』という症状として被害と似た体験を繰り返してしまうことがあります。特に性に対して適切な距離の取れない10代のころに性被害に遭うと、不特定多数の相手と性的な再演をしてしまう場合があります。被害に遭ったときと同じ危険を体験しても自分は大丈夫だという “安全確認”をしていたり、自分が無価値な存在だと思うつらさから逃れたくて誰かにすがりたいだとか、人によって理由はさまざまですが、本人が満たされていたり被害をきっかけに性に対して奔放になったわけではなく、多くの場合はそうした行為でさらに悩んでしまいます」
さらに、長い間被害と思えずにいた出来事を被害として認識することは一時的な苦痛を伴うものの、「回復への第一歩」になり得るといます。
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国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所所長 金吉晴さん
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「一般論として、近親者による性的虐待の被害者と加害者の間には特別な同盟関係ができやすいです。性的な被害は部外者には話しにくく話したとしても適切に理解されないことが多いので、被害者と加害者は言わばお互いしか知らない秘密を一緒に抱えているようなものです。加害者がそのことを逆手にとって『ないしょだよ』とか『お前が悪いから』『お前が誘ってきたから』などと言いくるめると、被害に遭った人は『秘密にしなければならない出来事が起きたのは、自分に非があるからだ』と混乱してしまいます。これが被害を被害として認識しづらくさせる要因のひとつです。そう思い込むことは つらい記憶に無理やりフタをするようなものですから、ひとたび被害を被害と捉え直すと一気に被害についてのつらかった自分の気持ちがあふれ出して苦しんでしまうという人が多いです。でも、フタした中から出てくるのはつらかった記憶やPTSDの諸症状だけではありません。適切な援助があれば、押し込められていた『回復できる自分の力』も再び出てきます」
金さんによると、体の傷が癒えていくように 心にも「治る力」が備わっているといいます。被害という事実そのものがなかったことになることはありませんが、それでも被害のもたらす心理的な後遺症は軽減することができます。被害を被害として捉えることは本来の自分の気持ちを尊重することにつながり、生き生きとした気持ちを感じながら自分の生活を取り戻す第一歩になります。専門家などの伴走者のサポートを得ながらトラウマによる諸症状と向き合うことで、本来のその人らしい人生を歩む回復を目指すことができるといいます。
トラウマによるPTSDについて、効果のある治療も活用してほしいということです。トラウマの専門治療ができる機関はまだ少ないものの、精神科や心療内科で処方される薬の中に PTSD症状やうつ症状を和らげるものもあります。
「あなたのタイミングでいい いつか、“被害”だと気づいてほしい」

いま かよさんは月に1度の通院を続けながら、主治医と共に「子どものころから無視し続けてきた」と語った自分の傷をひとつずつ確認しています。治療を継続するうちに自分は「悪い子」で「どうでもいい存在」だったのではなく、「小さい体でなんとか頑張っていた」のだと少しずつ認識が変わってきたといいます。毎晩のように見ていた悪夢は、治療に専念するうちに頻度が減ってきました。
再び社会とつながることを目指して精神障害者保健福祉手帳の交付を受け、就労支援も受けています。手帳の取得には葛藤がありましたが、経済的な負担を軽減できるようになるため いまでは取得したことをよかったと考えているそうです。
兄とは2年前、父親の葬儀の場で久しぶりに直接顔を合わせました。母親が「何か言うことはないの?」と詰め寄ると、兄はかよさんに「こんなときにあれだけど、いろいろとごめん」と告げたといいます。
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かよさん
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「場が場なのでなんとか意識しないようにしてやり過ごそうとしていましたが、兄のことばを聞いて大したことをしたとは思っていないのだろうなとむなしくなりました。その後お寺で具合が悪くなってしまって・・・。それ以来、兄とは顔を合わせていません。もうこれ以上 私の人生に関わらないでほしいと思っていますが、被害のことを知らない人には『ふつう』に家族の一員ですから『最近お兄ちゃんどうしてる?』と聞かれてつらくなることもあります。この気持ちは一生抱え続けていかざるをえないのだろうと思います」

実は、かよさんから取材班に寄せられたメールは こんなことばで締めくくられていました。
「自分は悪いことをしている(していた)かもしれないという違和感を抱えている人には、どうか目を向けてほしいです。本当に自分は共犯者なのか、被害者なのか、ということに」
「(自分が被害者であることに)どうか目を向けてほしい」ということばには、どんな思いが込められているのか。取材の最後、かよさんに聞きました。
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かよさん
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「被害を被害だって認めたら、全部が崩れちゃうようで怖い・・・と思う人がいるかもしれません。私もそうでしたし 実際に次々に症状があらわれて、こんなにしんどいなら“性被害者”になんかならないほうが幸せだったんじゃないかと思うことさえありました。だけど、それでもやっぱり気づいてほしいなと思うんです。“共犯者”だったころの私は自分を雑に扱うことで、極端な話 死ぬことを目標にしながら生きていました。でもいまは違うんです。いまもしんどいし相変わらずつらいこともあるけれど、これが自分の人生だと思えていて もがいて生きていこうと思えるようになった。人には人のタイミングがあるから、いますぐにとは言えません。でも自分の本当の気持ちに目を向けてみようと思ったときはそうしてほしいし、周囲の人にはその人がものすごくエネルギーを使っていままでを耐え抜いてきたんだということを受け止めてほしいです」
取材を通して
今回、私はもう1人お話をうかがいたいかたがいました。かよさんから被害を打ち明けられたとき、否定することなく「気づいてあげられずにごめんね」と謝った母親です。しかし、取材は丁重にお断りされました。一連の事実を認め娘の今後の幸せを心から願っていることを教えてくださったものの、自分がこのことについて語るのはあまりにもつらいと感じていらっしゃったのです。かよさんの身に起きたことは、被害者と加害者間だけの個人的な問題ではないということを改めて突きつけられました。
かよさんの日常は、いまもPTSDの症状と隣り合わせです。被害を被害として認識することが「回復の第一歩」につながるとはいえ、彼女が向き合い続けるものの重さを思うと胸がつぶれそうになります。取材の途中「つらくなったら話すことをやめてもいいですよ」と伝える私に、かよさんはこう話してくれました。
「ずっと自分はひとりぼっちだと思っていたけれど、このサイトにある皆さんの声を読んでいると『ひとりだけど、ひとりじゃない』と思えるんです。だから私も話してみたいんです」
かよさんは、みんなでプラス「性暴力を考える」の記事をほとんど読んでくださっていました。自分を『被害者』とは思えない、だけど何かがおかしくて苦しい――そんな思いを抱えている『誰か』のためになればと、被害に遭っていた間の複雑な思いを含めて語ってくれたかよさん。身を粉にして伝えてくれたその声が、きっと『誰か』に届くことを願っています。
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