10年後も、防災の取り組みに関わっていたい|「あの日」の子どもたちへの10の質問
東日本大震災を経験し、大切な人やものを失った子どもたちに、いまだから語れる気持ちを尋ねる、「『あの日』の子どもたちへの10の質問」。
今回答えていただいたのは、岩手県大槌町出身の太田夢さん(19)。震災当時は8歳、小学2年生でした。
津波で自宅を流され、祖母と伯父を亡くした太田さん。中学生のころから防災に関する活動を始め、2018年に北海道胆振東部地震が起きると、ボランティアに訪れ、現地の子どもたちと交流しました。
現在は大学に進学し、岩手県内陸部の滝沢市で一人暮らしをしている太田さんに、「10の質問」をしました。(2022年2月)
最近あったうれしかったことは、私が高校1年生のときに北海道の厚真町に行ったとき出会った子たちと、今回、一緒におしゃべりすることができる機会をいただいたので、そのとき久しぶりに会える子たちとしゃべるのが楽しみだったので、最近あったうれしかったことは、久しぶりに会いたい人と会うことができることです。
2018年に起きた北海道胆振東部地震で、大きな被害を受けた厚真町。太田さんはその翌年、ボランティアで現地を訪れ、小学生と交流しました。このインタビューを撮影したあと、太田さんは厚真町の子どもたちと、3年ぶりにオンラインで対話をしました。
東日本大震災は、地震があったときとか、テレビで震災についてのニュースが流れたりとか、サイレンの音を聞いたりとかすると、東日本大震災のことは思い出したりはします。
変わったことは、状況が今は変わって、大学に入ってからは内陸で今、生活をしているんですけど、今までは災害とか防災に対して身近にあったところと、今はそういう災害、震災について身近ではなくなったので、そういう周りの状況が変わったというところです。その中でも変わらなかったのは、自分がまだ防災について興味があるというのは、ずっと変わらないままです。
そうですね、当時、大人の言うことを聞かない子だったと聞いたので、「ちゃんと親の言うことを聞いてください」って言いたいです。
私にとってはかなり短く感じました。この10年でいろいろ自分でもやりたいことをやったりとか、いろいろな活動に参加していたので、あっという間に時間は過ぎていったと感じています。
10年後の自分は、たぶん就職して仕事をしていると思いますが、防災とかの取り組みにはずっと関わっていきたいなとは思っているので、何かしらで地元とつながってはいきたいかなと思っています。
あれから10年がたって、防災に対してどんな気持ちで今接しているかっていうのは聞きたいです。
会いたい人はたくさんいるんですけど、(北海道)厚真の子たちだったりとか、あと震災当時、自分がお世話になったボランティアの方々とは会ってお話はしたいです。
私の家族は、私をずっと支えてくれている存在かなとは思っています。今は大学生で、まだ親の支援とかも受けているので、支えてもらっているなという感じです。で、イメージは昔と全然変わらなくて、結構騒がしい家族なので、にぎやかですね。
私の宝物は、私が今まで蓄えてきたこの経験と、あと、いろいろな人とつながっているっていうところです。人が私にとってのいちばんの宝物だと思っています。
あの2人は、かつての私だった
太田夢さんと、北海道厚真町の子どもたちの対話はこちら