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わたし × 中学時代の先生【後編】 -身近な家族にこそ語れない思い-

東日本大震災で母と姉を亡くした髙橋佑麻さんと、「命について考える」作文の授業を通じて向き合ってくれた中学時代の恩師・制野俊弘先生。対話の前編では、作文につづった言葉の奥にあった気持ちを語り合いました。

今回は後編。髙橋さんが明かしたのは、「身近な家族にこそ語れない」ということ。背景には、傷ついた家族同士がお互いを思いやるがゆえの遠慮や気遣い、そして姉が亡くなったあと長男としてしっかりしなければという責任感がありました。震災後の家族との向き合い方を、今も模索し続けていると言います。

(仙台放送局 ディレクター 岡部綾子  報道局 社会番組部 ディレクター 武井美貴絵)

髙橋 佑麻さん(21)
宮城県東松島市で、小学5年生のときに被災。自宅に津波が押し寄せ、母と姉が目の前で流された。その時の思いを初めて打ち明けたのが、中学の作文の授業。 現在も東松島市で父と弟と暮らし、祖母が母親がわりとなって世話をしてくれている。
制野 俊弘さん(55)
元 宮城県東松島市 中学校教員 (現 和光大学 現代人間学部人間科学科 准教授・副学長)
震災発生時、宮城県東松島市の中学校で保健体育の教員。 1100人以上の死者が出た東松島市では、多くの子どもが家族や大切な人を亡くした。 そんな子どもたちの心と向き合いたいと、震災発生の3年後「命について考える」作文の授業をおこなった。

いちばん近くて親しい家族だからこそ語れない

制野先生と対話をする前日、髙橋さんはNHKの番組に出演しました。そこで打ち明けたのは、震災について「いちばん近くて親しい家族だからこそ語れない」という事実。「自分の気持ちを言うことで相手に心配かけたり、相手の気持ちを聞いたら自分も心配してしまう」と語っていました。その真意は…

(2021/3/13放送 NHKスペシャル「大震災と子どもたちの10年 いま言葉にできること」)

制野先生:昨日もテレビに出てたよな。やっぱあれか、近い人にしゃべるってのは難しいか。

髙橋:難しいですね。

制野先生:あんまりおばあさんとかとは語ってないね。

髙橋:語んないですね。

制野先生:かえって先生とか、記者さんとかディレクターさんみたいな人の方がまだ語れるもんな。お父さんとは?なんかしゃべったりすんの?

髙橋:雑談程度には話したりは、ちょくちょくですけど、話したりはしますね。でも震災後とか、つらそうな様子みたいなのは全然、見せないようにしてたと思うんですけど、やっぱ大変だったんじゃないかなって思いますね。妻と娘1人亡くして・・・。 僕から見た感じは、外からでは分かんなかったですね。

制野先生:こらえてるな、みたいな感じもなかった?

髙橋:なかったですかね。でも最近、お姉ちゃんとかのお墓参りに行ったりするときに、ちょろっとお父さんの方からお姉ちゃんの話だとか、「昔こんなことあったよな」みたいなのを言ってきたりするんで、やっぱそれなりの思いみたいなのは、あったんじゃないかなって思いますね。

制野先生:普通はな、「お父さんすごいな」ってひと言で言っちゃいそうだけど、そんな人間なんてね、強い人間なんて先生いないと思うからさ、お父さんはお父さんなりにやっぱつらかった思うな。でも息子2人残ったからさ、それはお父さんは責任もって支えなきゃいけないとは思ってたと思うよ。泣いてる暇ないっていうかさ。多分どっかで泣いてるんだろうけどもね。こっちが想像する以上に、お父さんやっぱつらいんだと思うな。ぐっとこらえてるんだろうな。そういうのがわかるだけ、しゃべりづらいよね。

髙橋:話しちゃっていいのかなみたいなのはやっぱ思いますよね。気遣うってよりは、無意識のうちに避けている感じがしますね。

制野先生:それも優しさだよな。見えない気持ちをさ、探り探り生活するものだしさ。佑麻から見ればお母さんだけど、お父さんからすればね、やっぱ最愛の人だからな。つらくないわけは絶対ないしな。大事な人だからこそ、語りたくないっていうのもわかるけどな。そっと、しまっておきたいっていうな。いつかお父さんにさ、「お父さん、大変だったよね」ってひと言な、どっかで声かけてあげれば。

髙橋:そうですね。

三人兄弟の真ん中だった自分が、震災で姉を失って…

21歳になった髙橋さん。高校卒業後に就職した会社を辞め、現在はWEBコンテンツの記事を書きながら、今後の生き方を模索しています。実は、姉を失ったことで、震災後は長男としてしっかりしなければという思いで過ごしてきたと言います。

制野先生:佑麻どうすんだ?この後っちゅうか。この後の生活っていうか。何がいいんだろうな、佑麻な。何をしたい?物書き?

髙橋:うーん。自分が何をしたいのかが分かんないので、とりあえず自分にできることを生かそうって思って今、物書きみたいな感じでやっているんですけど。なので、何か見つかるまではこのままって感じになりそうなんですよね。

制野先生:そうね。やりたいこと。自分に向いていることか?

髙橋:分かんないんですよね。全然。

制野先生:だから本当に、もう乱射するしかないんじゃない?自分の今、目の前のやりたいことをとにかく。次々にやってくみたいな。見つけ方だな。動いて見つけるっていうか。体で見つけるっていうかさ。先生もさ、1年間だけ浪人してるの。

髙橋:そうなんですか。

制野先生:うん。高校出て、大学に入るの1年目失敗して。で、その1年間も何していいかもう分かんないの、自分で。勉強はするんだよ、勉強してるんだけど、どこの大学受けようとか、将来何しようかみたいなのはずっと、1年間本当に。とりあえず、なんかどっか大学行きたいんだけど、何したいかがよく分からないから、10か月ぐらいは悶々(もんもん)として、最終的にこことここって決まったんだ。そういう悩みの季節みたいなのは、大事だから。とは思うよ。今、探してる感じ?

髙橋:そうですね。でも、探してる時はつらくないですかね?

制野先生:つらいよ。つらいよっていうか、それは夢中だったな、勉強するのに。乱射。あれもこれも勉強したれ、みたいな。乱射してたな。で、何?悩んでる?

髙橋:本当にこれをやりたいみたいなのが、やっぱまだ見つかってないんで。

制野先生:見つかってない。

髙橋:いいのかな、って思っちゃっていますね。

制野先生:前職を辞める時はなに?お父さんとかに相談したの?

髙橋:お父さんもですが、一番に相談したのは、おばあちゃんですかね。

制野先生:そうだったの。で、何て言われたの、おばあさんに。

髙橋:「佑麻が考えることなんだったら、私は全然反対しないよ」みたいな感じで言ってくれました。

制野先生:引きとめられなかったの?「我慢しろ」とか。

髙橋:もう僕は言われると思ってたんで、言い出すのがすごい怖かったんですけど、何か言われなくて。「全然いいよ」って言われたんで、そこに関してはちょっと救われましたね。

制野先生:そうだったんだ。じゃあおばあさん、何か感じてたのかも分からないよね。

髙橋:お父さんはちょっと「辞めないで」みたいな。でも、「お前が決めるんならいいよ」みたいな。仕事を辞める時に一番気にしたのは、弟も高校生で、僕が辞めた時は弟が高校2年ぐらいだったのかな。で、これからもう進路悩む時期じゃないですか。そこで兄が進路に迷ってるみたいな姿を見せたくないなって思ってしまって。そこはやっぱ、一番気にしましたね。

制野先生:気にしたの?

髙橋:やっぱり、何かお手本っていうか、ちゃんとしてる姿をやっぱり兄としては見せたいなって思ってたので。

制野先生:それは引っかかった?

髙橋:引っかかりましたね。やっぱり事あるごとに、弟は進路の相談とかしてくれてたので。なので、そこで自分が迷ってしまうと、弟もなんか不安になっちゃうんじゃないかなって思いましたね。

制野先生:そっか、そういう悩みもあるか。何だろう。変な話、お姉ちゃんがいなくなったからさ。佑麻が一番上っていうか、お手本っていうか、っていうのもあるよな。弟には何か言われたの?

髙橋:でも、弟は「いいんじゃない」って言ってました。(気にしていたのは)僕だけだったかもしれない。

制野先生:こっちが思ってるほど、弟は気にしてなかったというパターンか。

髙橋:気にしてない。うん。

制野先生:そっか。意外とそんなもんかもしんないけどな。

髙橋:かもしれないですね。

制野先生:弟はちゃんとお兄ちゃんにいろんなこと、しゃべる感じ?

髙橋:頻繁ではないですけど、でもちゃんとしゃべってはくれますね。

制野先生:そう。でもなんか、弟いてくれて良かったよな。

髙橋:そうですね。

制野先生:な。これで独りぼっちだったらな、本当にな。

髙橋:そうっすね、だいぶつらかったと思いますね。

制野先生:弟も弟でな、つらかっただろうけどもな。でもお兄ちゃんがいたから、また。そこは持ちつ持たれつで、弟からすれば兄貴よくいてくれたって思うだろうし。兄貴からすれば、弟よくいてくれた。

震災後、母親がわりになってくれた祖母

震災で母と姉を失った髙橋さん。当時11歳、弟は7歳でした。震災後、兄弟の母親がわりになってくれたのが、母方の祖母。祖父と暮らす自宅から毎日髙橋さんの家に通っては、食事の支度や洗濯など、家事を一手に引き受けてきました。81歳になった今も、支え続けてくれていると言います。

髙橋佑麻さん

制野先生:おばあさん今でも通ってきてるんでしょ?家に。

髙橋:そうですね。

制野先生:毎日?

髙橋:はい。

制野先生:おばあさんが、おばあさんらしく生きる手はずを整えなきゃいけないな。

髙橋:そうですね。

制野先生:「心配しなくていいよ」って。

髙橋:そうですね。言ってあげたいですね。

制野先生:おばあさんは2回、母ちゃんになったみたいなもんだからな。

髙橋:ああ、確かに。そうですね。

制野先生:そういう苦労話みたいなの、おばあさんからしないの?

髙橋:しないですね。してくれたら、それはそれで話聞いたりとかするんすけどね。全然しないですね。

制野先生:弱さは見せない。

髙橋:そうですね。でも、疲れてるんだろうなみたいなのは、見てて感じたりとかはしますけど、直接言ったりとかはないですね。

制野先生:ないんだ。いつかは分かんないけど、おばあさん孝行しなきゃな。

髙橋:そうですね。

制野先生:まだ、いいけどさ。おばあさん孝行つったらあれだけど、おばあさんにちゃんと伝えるのが、必要かもしれない。やっぱりおばあちゃんの気持ちになったらさ、大変でしょ?大変でしょっていうか、孫と関われるのは本望だと思うけどさ、でもお母さんにはなれないわけでさ、そういうお母さんの役割をしつつ、お母さんになれないっていうつらさみたいなものは、やっぱりあったと思うんだ。分かんないけどさ。それ考えると、ちょっと先生なんか涙出てきそうだよね、やっぱな。

髙橋:それは親的な目線からみたいな、そういう・・・。

制野先生:そうそう。子どもを育てるのはさ、「親だ」っていうふうに見られてるし、思ってるから当たり前だと思うわけだ。ところが(おばあさんは)「親だ」っていうふうには思われてないんだけど、親の役割をしなきゃいけない。だけど、限界あるじゃん?

髙橋:そうですね。

制野先生:そのつらさを背負いながら、おばあさんはやってきたっていうのは、それ考えるとぐっと来るな。先生はね、勝手に思ってるんだけどね・・・。おばあさん一番感謝か。

髙橋:そうですね。

制野先生:それ、言葉では言ったことはない?

髙橋:あんまないですね。

制野先生:・・・ないよな。そうだよな。近ければ近いほどな。

髙橋:そうですね。

制野先生:明日、おばあさんとの対話を楽しみにしましょう、じゃあ。

髙橋:はい。

次回は、震災後、母親がわりとなって髙橋さんのことを支えてくれた祖母・功子さんを迎えての対話をご紹介します。

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