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コロナ禍で増加する「路地裏に立つ女性たち」 奮闘する支援の現場から

コロナ禍で経済的に困窮する女性たちが増加する中、新宿・歌舞伎町では路地裏に立って売春をする女性が後を絶ちません。

多くの女性は、貧困や家庭環境の問題など苦しい状況に追い詰められた末、路地裏にたどり着きます。

しかし女性たちは自ら声を上げることが難しく、適切な支援につながっていないのが現状です。

こうした中、路地裏に立つ女性たちを積極的に支援するNPOを取材しました。

(クローズアップ現代+ ディレクター 増田圭佑)

声を上げられない女性に積極的に働きかける「アウトリーチ」

「レスキュー・ハブ」の坂本新さん(50)。

昼間は建設会社に勤務、夜はNPO代表として歌舞伎町の見回り活動をしています。

女性たちからSOSの連絡があればいつでも対応し、たとえ深夜でもすぐに現場へ駆けつけます。

女性たちは、性的搾取やDV被害、経済的困窮や未婚での妊娠・出産など他人には相談しづらい困難を抱えていることが多く、自ら相談窓口にアクセスできない人がたくさんいます。

そこで坂本さんは女性たちのもとに自ら足を運び、ハンドクリームやマスクなど日常生活の役に立ちそうな物とあわせて、困ったときに相談できる連絡先が書かれたカードを手渡します。

支援が必要なのに声を上げられない女性に対して積極的に働きかける「アウトリーチ」という方法です。

こうしてつながった女性の相談内容に応じて、公的機関や民間支援団体など、より専門的な支援へつなげる「ハブ」としての役割を果たす活動を行っています。

歌舞伎町の夜回り活動を始めて3年。

女性たちと話ができるようになるまで1年半かかったそうですが、何度も足を運ぶ中で「いつもの夜回りおじさん」として顔を覚えてもらえるようになり、今では女性たちから「ねえ、聞いて」と話しかけられます。

たった一人ではじめた支援活動

1回目の緊急事態宣言が出された去年4月、坂本さんはそれまで5年半所属していた人身取引被害者を支援するNPOから独立し、困難を抱えながら路地裏に立つ女性たちの支援に力を入れるNPOを新たに設立しました。

自ら声を上げられずに支援からこぼれ落ちてしまう女性の多さに気づき、そこに特化した積極的な支援が必要だと感じたからです。

新たなNPOは基本的に坂本さん一人が手弁当で行っており、数名のボランティアの協力を受けながら活動しています。

    坂本さんの事務所を訪ねると7畳ほどの一室の一角に段ボールの山が。
「レスキュー・ハブ」坂本新さん

「これ、全部女性に手渡す物です。ハンドクリームや汗ふきシート、メイク落とし等、以前は定期的に箱買いしていましたが、コロナ禍以降、マスクやアルコール消毒ジェルなどを寄贈してくださる企業や個人の方が少しずつ増えています」

NPOを立ち上げたばかりの頃は、女性たちに手渡す物の多くを自らの貯金を切り崩して購入。

女性にとって役に立つものは何か?支援をする中で女性たちに話を聞き、必要だと感じたものを選んでいました。

メディアに活動が取り上げられ始めた現在は、少しずつ寄付も寄せられるようになっています。

「もう目を背けるのはやめよう」

坂本さんが路地裏に立つ女性たちのために支援を続ける理由は何なのか?

その原点は20年前にさかのぼります。

大学卒業後、大手警備会社に入社した坂本さん。

28歳のとき、海外の日本大使館の警備を担当するために中米・ホンジュラスへ渡りました。

現地では通勤途中や街を散策するたび、路上に立って売春に従事する多くの女性が目に入り、大きな衝撃を受けたそうです

坂本さんはその後、他の中南米諸国やロシア、中国の日本大使館でも働きましたが、どの国にも同じような光景があることを知りました。

    2004年 32歳のとき、コロンビアの首都ボゴタのボリバル広場にて
「レスキュー・ハブ」坂本新さん

「その現実に衝撃は受けつつも“自分なんかにできることはない” “これは仕方のないことなんだ”と目を背けてしまいました」

「自分にできることはない」と思いながらも、空いた時間に人身取引や性的搾取に関する論文と専門書を読み込んで問題意識を深めていった坂本さん。

10年近くにわたる海外赴任を終えて帰国すると、日本でも同じことが起こっていることに気づき「もう目を背けるのはやめよう」と決意したそうです。

「レスキュー・ハブ」坂本新さん

「ちょうど40歳になる頃で、自分の人生についてそれまでよりも深く考えるようになった時期でした。20年近く勤めてきた会社ではある程度仕事ぶりを評価されていて不満はありませんでした。

このまま勤め上げれば、おそらく大きな心配なく生きていける。でも自分の成功と安全のためだけに生きていくことにブレーキがかかりました。

虐げられている人を横目に心のどこかでモヤモヤした気持ちを抱えたまま、自分だけが安全な場所にいて、そこからできることをするだけでは、いつか自分が死ぬ時に“よい人生だった”と思えないような気がしました。

日本という恵まれた国に生まれ、命の危険に晒されることもなく、守られてきた者として、果たすべき責任は何なのか考えたときに、本当にできるかどうかはさておき、“自分にできることをしよう”と思うようになりました」

「人間であるということは、とりもなおさず責任を持つことだ」

会社を辞め、以来10年近く信念を持ってNPOの活動を続けてきた坂本さん。大変なことも多く、心が折れそうになる時もあるといいますが、そんな時に思い出すのは、愛読書であるサン・テグジュペリの『人間の土地』の一節だそうです。

人間であるということは、とりもなおさず責任を持つことだ。

人間であるということは、自分に関係がないと思われるような

不幸な出来事に対して忸怩(じくじ)たることだ。

路地裏に立つ女性に対する支援はまだまだ足りない状況です。

当事者と信頼関係を築き、女性たちの声なき声を伝え、この問題を多くの人に知ってもらうために行動すること。

それが坂本さんが考える支援の第一歩。今日も坂本さんは夜の歌舞伎町を歩き続けます。

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