
こうして私は中国を去り、日本を選んだ
この記事は、それぞれの事情を抱え、中国を離れ、最近日本へ移り住んだ3人の若者の心情を記録したものです。なぜ彼らは近年経済発展が著しい中国から、日本を目指すのか。ふるさとへの愛を示しながらも、祖国を後にした3人は、日本でどのような未来を望んでいるのか、胸の内に迫りました。
(クローズアップ現代取材班)
中国にいたら「寝そべることも出来なかった」

ラキさん(仮名)は上海から1000キロ以上離れた、中国の内陸部・西安から5年前に来日した30代女性です。中国では一度大学受験に失敗。志望ではない大学に進学し、就職先は地方の小さな旅行会社でした。
雇用契約書に、『3か月連続でノルマを達成しない場合、自主退職をする』という項目があるくらい、常に激しい競争にさらされていました。
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ラキさん
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「携帯にメッセージが入っているかどうかを常に確認しなければなりません。24時間働いているのと同じでした。お客さんを取られてしまったことがしばしばあって、業績に基づいて評価する仕事なので、非常にプレッシャーでした」
「もし今も中国国内にいたら、キャリアアップすることもできなく、寝そべることもできなく、ただ苦しいと感じるだけでしょう」
ラキさんが口にした「寝そべり」という言葉、去年から中国で流行っている言葉です。「努力しても報われない」、「頑張るのをやめる」という若者たちの思いを表しています。
背景にあるのは、中国の厳しい就職競争。今年、大卒相当の学歴を持つ人が初めて1000万人突破と急速に増える一方で、学歴に見合った仕事が限られ、若者の失業率は過去最高水準を記録し、およそ5人に1人が失業状態です。

日本を目指す理由 「競争が激しくないので居心地いい」
自分の将来について悩むなか、ラキさんが思い出したのが、7年前に観光客として訪れたことがあり好印象だった日本。
中国での仕事を辞めたラキさんは、都内の大学院に入学。国際経営を学び始めます。
そこで国籍の違う人たちと触れ合い、もっと客観的に祖国を見ることができるようになったと言います。本来は卒業したら帰国するつもりでしたが、日本での生活が自分の価値観に合うと気づき、日本の会社に就職して将来定住を目指すことを決めました。
さらにラキさんは、日本で「過度な競争にさらされず知識を得る本当の楽しさ」を体験したと言います。IT関連の資格に合格し、10月からIT会社で働き始めました。会社での研修を受ける傍ら、プログラミングに関する自主的な勉強を毎日欠かしません。
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ラキさん
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「両国の生活を比較すると、日本のほうが自分に合うと思います。自分にとっては競争が激しくないので、居心地がよりよいです」
ただ、西安出身のラキさんは、どうしても時々、ふるさとが恋しくなる時、辛い料理が食べたくなるといいます。火鍋が大の好物なので、今都内で増える“ガチ中華”の店で友人と楽しむことがルーチンになっています。
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ラキさん
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「火鍋を食べたら、不思議にホームシックの気持ちが少し収まる気がします。今後も日本で仕事と生活を両立させ、楽しく生きていきます」

「上海はこんなはずじゃなかった」 移住を選んだ元準公務員
今年来日した複数の30代中国人留学生に話を聞くこともできました。彼らはいずれも中国で安定した仕事を持っていたにもかかわらず、言論統制や「ゼロコロナ」による行動制限が強まるなか、自らの価値観を揺さぶられ、安定した職を捨て、新たな人生を日本で歩むことにしました。
今年6月に来日したコさん(仮名)は上海生まれ上海育ちの30代です。
今は毎日日本語学校に通う留学生ですが、5月まで行政機関の準公務員でした。彼は、およそ7000人が住む地域で、「ゼロコロナ」政策に関わる仕事をしていました。上海では今年3月末から2カ月あまりにわたり、厳しい外出制限が敷かれ、多くの地域で住民はほぼ毎日PCR検査を求められました。コさんの仕事の一つは、住民にPCRを受検させるという任務でした。

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コさん
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「約2か月帰宅せずにずっと団地に泊まっていました。24時間いつ仕事が入ってきてもおかしくない状況で、基本的には眠れなかったです」
チームは10人ほど。毎日多くの市民に受検させるのは困難を極めました。
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コさん
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「お年寄りの方とか、長期にわたる厳しい行動制限と頻繁なPCR検査に理解できない住民も少なくない。住民たちのクレームを慰めながら、上からの指示を受けて仕事を行うために疲弊し、ほぼ念力で毎日を過ごしていました」

そうした中、ある事件が起きます。大けがをした子どもが4時間にわたり、病院での治療を受けられない事態が起きたのです。コさんがルール通りにPCR検査を受けさせていたにもかかわらず、治療を求めて病院に連絡した時点でPCR検査の結果が出てからは24時間が経っており、受け入れを拒否されたのです。
役人としての任務を懸命に果たしているにもかかわらず、やるせなさだけが積み重なっていきました。
そのとき脳裏をよぎったのは、以前留学を夢見た日本でした。
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コさん
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「全力を尽くしても力になれないのは申し訳なく、残念に思います。留学せず、ずっとこの仕事を続けると、一生後悔するかもしれない。なので、私は日本に来ることを選びました」

いずれは日本で 「家族とストレスない生活を」
コさんも過去に観光旅行で日本を訪れたことがあり、日本は「環境が良い」「人間関係も自分に合う」と感じていました。いずれ留学したいという気持ちが何年も前からあったと言います。上海での行動制限が緩和されたタイミングで、安定した準公務員の仕事を辞め、一歩を踏み出しました。
コさんには妻と3歳の息子がいます。できるだけ早く仕事を見つけて日本に息子を呼び寄せたいと考えています。

妻「ハロー!」
妻「パパは今どこにいるのかを知っている?」
息子「日本にいる」
妻「日本で何をしている?」
息子「日本で物を食べている」
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コさん
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「最も理想的な状態は海沿いのところに住んで、ストレスのない生活を送ることです。子どもは普通に学校に通い、私たちは普通に仕事に行く。のんびり過ごしたいです」
元テレビ局ディレクターの告白「日本なら自分の生きたい姿で生きられる」

「2020年の武漢を経験していた人なら、遠くへ離れたい気持ちを持つのが極自然なことでしょう。忘れられないことが多すぎました」
これは取材中聞いた、最も印象的な言葉の一つです。
出会ったのは、今年6月まで新型コロナウイルスの感染が最初に拡大した中国・武漢のあるテレビ局でディレクターを務めていた30代男性・ギョさん(仮名)。パンデミックの震源地で、メディアの中枢にいたギョさんの告白です。
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ギョさん
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「2020年1月21日、妻がまもなく息子を出産するために、武漢で入院しました。入院した翌日から、武漢の病院が外来を断る方針に切り替わったため、一日遅れたら、自宅で息子を生むしかありませんでした」
「2020年1月22日、息子が生まれ、その翌日に退院を迫られました。全ての病棟がコロナ病棟になるためと言われました。その日は武漢ロックダウンの初日でした。寒い冬風を浴びながら、救急車もタクシーもなく、生後2日目の子どもを抱え、弱っている妻を支えながら徒歩で帰宅しました。忘れられない経験でした。その日から数日の間、体の震えが止まらなかったです。自分がなんて無力なんだろうという気持ちでした」

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ギョさん
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「自分が関わったコロナ禍に関する番組、市民の声を代弁したことがないと思います」
コロナ禍で番組を作る中で、苦悩は深まっていったと言います。
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ギョさん
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「新型コロナウイルスの感染拡大以降、仕事の内容はいかに“正能量(前向きの雰囲気)”をキーワードとする番組を出すかに尽きました」
「不条理だと分かりながらも、自分の気持ちを隠して仕事に臨んでいました。自分の価値観と番組を分けて考えないと、仕事を遂行することは絶対無理です。もし『政治的に正しくない』とのレッテルを貼られ放送を出せなくなったら、自分だけでなく一緒に関わっているカメラマンやクルー全員の収入が影響を受けるので」
「自分がやっていることに、罪悪感がありました。コロナ禍以前は、『国が大きいから、管理しないと不安定になるのでしかたがない』と自分を説得していました。しかしコロナ禍以降は本当に行き過ぎていると思います」

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ギョさん
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「尊厳を持って生きることが許される日本を選びました」
ギョさんは、過去に日本を何度も旅行で訪れたことがあり、「環境が良い」「人がやさしい」という印象があったと言います。
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ギョさん
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「以前から、いずれ日本に住むことができたらなと思っていました。たぶん40代、50代、もっと年を取った時と思っていました。しかし息子の出生をきっかけに、すぐ移住したいと決心しました。日本なら、自分の生きたい姿で生きられると考えたからです」
そして、テレビ局の仕事を辞めて日本に来たギョさん。今は毎日日本語学校に通っています。武漢に残してきた家族は、なるべく早く呼び寄せたいと考えています。
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ギョさん
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「日本に来て、定期的にSNSで発信しています。中国では、SNSの発信も検閲がかかっていました。今は、初めて100%自分が見た真実、自分の考えをそのまま伝えるチャンネルになっています」

取材を通して
取材で多くの中国人留学生と会いました。彼・彼女らは、「おかしいことはおかしい」と言える価値観を持っていると感じました。みな高等教育を受け、能力を持っているにも関わらず、中国でのキャリアを続ける夢をあきらめ、日本にやってきました。
日本で居場所を見つけたいと思う留学生たちが、日本でどんな人生の意義を見出し、日本社会にどんな影響を与えるのか、今後も取材を続けたいと思います。
クローズアップ現代 「なぜ急増?“ガチ中華”新時代の日中関係に迫る」
2022年10月19日放送 ※10月26日まで見逃し配信
ナマズの煮込みに、ザリガニのニンニク煮込み…。日本人の舌に合わせた料理ではなく、本場中国の味を出す中国料理店が都内に急増!その数300軒にのぼる。急増の謎をひもとくと、中国社会の知られざる変遷が明らかに。しれつな受験戦争や就職戦線、“頑張らない若者”の増加…。中国の若者たちは日本の価値観や終身雇用など雇用環境に共感、来日するケースが増えている。ブームから見える新時代の日中関係に迫る。