
あなたがいるだけで十分なんだよ 作家・温又柔さんとの対話
台湾で生まれ、3歳から日本で育った作家の温又柔さん。
2017年「真ん中の子どもたち」で芥川賞候補となり、2020年には「魯肉飯のさえずり」で織田作之助賞を受賞しました。日本語・台湾語・中国語が飛び交う家庭に育った影響から、複数の言語を用いた創作でも知られています。
作品には温さんと同じように多文化にルーツのある主人公が登場し、「自分は何者なのか」について悩み、葛藤する物語を書き続けてきました。
「普通じゃなくても、あなたがいるだけで十分」
温さんのメッセージは、生きづらさを抱える多くの人に力を与えています。
どのようにしてその言葉にたどり着いたのか、温さんにロングインタビューしました。
※ラジオ深夜便「明日へのことば」でのインタビューを再構成
(アナウンサー 鎌倉 千秋)
否定していた母の言葉が愛おしくなったとき

台湾出身の母を持つ私にとって、共通する背景の多い温さんは、いつかお話を聞いてみたいと思っていた存在でした。温さんが生み出すたくさんのユニークな表現の中で、私がとりわけ惹きつけられたのは「ママ語」ということばです。
「ママ」とは温さんのお母さんのこと。台湾に生まれ、3歳の時に日本に移り住み、日本語を自然と身につけた温さんにとって、日本語、台湾語、中国語を混ぜて話す母の言葉が「雑音交じりの言葉」に聞こえたこともありました。
成長し、自ら多言語を用いて作品を書くうちに、母の話す言葉を「ママ語」として再発見したのだそうです。
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温又柔さん
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うちの母の言葉って、中国語でも日本語でも台湾語でもなく、全部が何となく混じり合っているんです。
私の育った環境や小学校って、私自身以外はほとんど日本の子たちしかいなかったので、日本人ではない自分のお母さんが、ちょっと普通じゃないような気がして、何で違うんだろうって。
その一番大きいところは母のしゃべる言葉だったんですね。授業参観のときとかに、ばーってしゃべるのを友達に聞かれると、みんな不思議な顔して見ている。他の子と違う自分が何か普通じゃないのが嫌だなって思ったことは、一時期ありましたね。
結局怒りとかいらだちが母にぶつかる、家に帰って、「なんでママあんな目立つんだよ」みたいな。普通のママだったらこんな思いしなくて済んだのにと。
大学生になった温さんに、母の言葉を見つめなおすきっかけが訪れました。
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温又柔さん
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両親の言葉を学ぼう、中国語をちゃんと勉強しようと学生時代に上海に留学に行ったんです。そこで、自分が思い通りに使える言葉ではない世界で生きるって、単純にこんなに大変なんだって。うちの母や父は、子どもを育てながらこんな事していたんだって思って。
急に、その日本語が世界の全てって思っていたことが相対化されたことによって、もっと日本語に対して、外国の人が頑張って学ぼうとしているその部分、親の苦労ですよね。
最初から日本語しか存在しない世界で、私はすっとなじめたけれど、なじめずにここに生きている人たちのことをもっと想像しなきゃなって思ったのが結構大きかったですね。
上海での経験は、母の言葉を見つめなおす「芽」となりました。そして作家として様々な場面で「あなたの母語はどれですか?」と問われる中で、次第にそれが「ママ語」という表現をもつ「花」となり「実」となっていったそうです。
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温又柔さん
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母の話す、全部が何となく混ざり合った言葉を自分の「母語」と呼ぶんだったら、いっそ、うちのママのことばだから「ママ語」という呼び方にしちゃおうかなって。わざと「ママ語」って呼ぶように決めたんです。
温さんの、多言語があふれる独特の執筆スタイルも「ママ語」と向き合ってきたことと深くかかわります。
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温又柔さん
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私は、母の日本語じゃない部分をノイズとして思い、いつも排除してきました。でも排除したものが傍らにあるのに、何もなかったふりをして端正な日本語を使って生きていることに、無理を感じるようになりました。
今の社会も本当は(いろいろなものを)放り込んだほうが社会自体がすごく豊かになるきっかけをもっているかもしれないのに、それをノイズ扱いして不可視にしてしまうのはとてももったいない。自分がこの(多言語の)文体を見いだせたように、社会もそういうものを見いだせたらと思うから、自ら率先してノイズを立てていきたいんです。
温さんは、“わたしの普通”は他人が決めるものではなく自分が決めるものだと気づいたとき、自身を育んできた「ママ語」をとても愛おしく感じるようになったのだそうです。

「対岸の火事ではない。足元で燃えている」
多言語を使いながら、日本や台湾、中国にルーツのある主人公がアイデンティティに悩み、日本社会で居場所を見出そうと苦悩する姿を描き続けてきた温さん。そのテーマで書き続けるとの思いをより強くしたのは4年前。とある文学賞で選考委員から受けた批評がきっかけでした。
批評の内容は「当事者たちには深刻なアイデンティティと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって同調しにくい。なるほどそういう問題も起こるのであろうという程度で他人事を永遠と読まされて退屈だった」というものでした。
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温又柔さん
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この選考委員の方が「俺にとって退屈だった。俺には他人事って」と言った主語がもしご自身であったら、「そっか、この人は私の書いたものが退屈だったんだな」で終わった話だったんです。主語が「日本人」だったことがやっぱり私の中でちょっと看過できないなって。
私は、日本人とは誰だろうとか、自分は日本人なのか何人なのかということを悩んでいる自分の分身のような人物たちの小説を書いたつもりなんです。著者である私は、その物語を日本語で書くしかなかった。このこと自体がこういう、「日本語で生きている」人もいるっていうことの証しだと思ったんですけれども。選考委員の1人がそのことを、「これは日本人とは関係ない話だ」と切り捨ててしまったことに、ものすごくショックを受けたんですね。
温さんはツイッターでこの選考委員のコメントへの反論を投稿しました。
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温又柔さん
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なんて言うのか、日本人であるというだけで、自分のものとばかりに日本語の中に安住してそこから1回もずれる恐怖も不安も感じずにすむ人が、私が日本語で書いたこの内容を、「対岸の火事」というふうに、遠くのものとして見なせることって…。やっぱり、「あなたにとっては対岸に見えるけれども、この炎はもう足元で、燃えているものだよ」ということを、ちょっと言っておこうと思って。
「もどかしく悲しく怒りに震えた」とまで書いた反論は注目され、論争が巻き起こりました。選考委員に同調する人たちから、小説は普遍的なものだから多くの人が共感できるものを書くべきという批判もあれば、文学の包容力はもっと大きいものではないかと温さんに共感する声もありました。 この経験が、温さんの決意を固めました。
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温又柔さん
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自分が小説家として表現するべきものは、変わらず自分のように日本社会になじめず、日本人になろうとすごくあがきながら、結局日本人になれなかった人たちの居場所を作ること。自分のような育ち、複雑なルーツを抱え込みながら、普通じゃないかもと悩んでいる人たちにとって、ここにいてもいいんだよって言ってあげられるものを作りたい。
一方で、お前たち普通じゃないぞっていう圧力を投げ続ける人たちに対しては、いやいやあなたたちの普通こそ盤石だと思うなよっていう、この両方をやっていかなきゃなっていう覚悟にはなったので、結果的にその選考委員のおかげで自分は考えがとても深まったので、よかったなとは思っていますね。
動かしようのない現実ほど、動かしたらみんな楽になる
外国語に限らず、たとえば方言を話すことで“普通”からはみ出してしまうと不安を感じる方もいるかもしれません。温さんは、他人の決めた“普通”に縛られ、生きづらさを感じる人たちに語りかけます。
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温又柔さん
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私の場合は外国にルーツがある人間だったけど、本当はこの国にたくさんいる日本人も、同調圧力にさらされながら、自分の感情を抑え込んだり、自分はちょっとおかしいって思い込まされたり。
自分自身を大事にできないと、そうじゃない人に対しての目もちょっと厳しくなってしまう。私はこんなに頑張って普通であろうとしているのに、何であの人たち普通じゃないのみたいなことで。何かこう悪い方向でお互いを絞め合っちゃう。もう、その、誰かが敷いたわけでもない普通をまず破ろうよって。そうすることでもしかしたらもっと楽になれるんじゃないのって。
私がなるべく心がけたいのは、その場を乱すこと。乱してでも変わった方がいいことは変えていきたいって思う。ルールとかモラルとか言われて、動かしようのない現実といわれていることほど、実は動かしたら多くの人が楽になれるんじゃないかって気がするんですね。
今みんな何となく信じ込まされているけど、実はそもそもおかしいんじゃないのってもっと気軽に言い合えるような仲間を作ったり、ちょっと連帯したりしていくことで、全体的に、社会全体にとっていい変化が起きるんじゃないかなと、信じたいところです。
確実にここに存在する違和感を、形にする
ー声を上げ続けることの意味って、温さんはどんなふうに考えていらっしゃるでしょうか。
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温又柔さん
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自分にとってはなにか身構えて声を上げているつもりはなくて、ただやっぱり、私自身のリアリティーがみんな伝わってないなら、伝えようかなという感じですね。そうじゃないと、自分の違和感とか自分のリアリティーがまるでないものになっちゃうのが怖いなと。確実にここに存在している自分の違和感とかをきちんとその都度その都度、形にするというか、声にすることによって、ちょっとずつ社会が、今の形じゃなくて、もっと包容力のある形になってゆくことを祈りつつ、という感じですね。
違和感をしまい込まず、声を上げることは、時に温さんにとっても、とても辛いことだといいます。なぜ、それでも続けることができるのでしょうか。
インタビューの最後、温さんは、「人の善意」を信じていると強く語りました。 それは温さん自身、小さい頃、周囲の日本人に温かく受け入れられた体験に根差す言葉でした。
自分以外の人たちを支える人でありたい
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温又柔さん
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はっきりいって心ない人のささいな行動とかささいな発言ですぐに絶望しそうになることが多いんですよ。絶望することにすら疲れてくるみたいなことがあるんだけど、でもやっぱり心ある人は必ずいる。心ある人が、すぐに言葉にならなくてもちゃんと、他人を信じようとか。 自分以外の人たちを支えようと願っている人も、この世にはこの社会にはちゃんといるっていうことを忘れたくないし、自分もそういう人でありたい という、そのこと自体の信頼を、コロナ禍でやっぱりもう1回、自分の中でこれは守りたいなと思っています。
―そういう人が、社会には必ずどこかにいる?
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温又柔さん
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私自身もそういう人でありたいと。誰もがここにいていいんだよって、誰かが、私に思わせてくれた人たちがいるように私も、普通じゃないのかな、自分って悩んでいる人に、いいんだよって、 全然普通じゃなくても、あなたがいるだけで十分なんだよ ということを 感じさせるような作品を描きたいなって思っていますね。

取材後記
私自身も、台湾出身の母、日本人の父の下、とある地方の街で育ちました。
周囲に外国人はそれほど多くなく、グローバル化や多様性という言葉がまだなじみのない時代、「“普通”って何だろう」という無意識の違和感を抱えながらも、地域の人たちには分け隔てなく受け入れられ、育ちました。
高度成長期は遠い日となり、社会の余裕が失われたのも一面には確かですが、本来的に大らかで他者に優しく、外への好奇心が旺盛な日本人の心は変わらないと信じ、まず自らが率先してそうありたいと思います。
この記事を書くきっかけになった温又柔さんへのインタビュー「“ふつう”って何だろう」を、NHKラジオ深夜便『アーカイブス』のコーナーで4月中に再放送することになりました。読んでくださった皆様に、ぜひ聞いていただきたいです。
(アナウンサー 鎌倉 千秋)
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