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”全国初” 川崎市ヘイトスピーチ規制【後編】『表現の自由』どう考える

全国で初めて、罰則付きのヘイトスピーチ規制の条例ができた川崎市。前回の記事では、新たに出てきた規制への反発について掘り下げました。 今回の取材を通じて、条例が抱えるもう一つの課題として見えてきたのが、ネット上の書き込みへの対応です。
(10/30放送「首都圏情報ネタドリ」から)

(NHK首都圏局 ディレクター 安 世陽)

もう1つの課題 ネット上の差別的な書き込み

ことし7月に川崎市で全面施行された、ヘイトスピーチを規制する条例。公共の場所での民族差別的な言動に対し、全国で初めて刑事罰を科すことが盛り込まれています。 条例は、ネット上の書き込みについても規定しています。罰則の対象ではないものの、既に取り組みが始まっているほかの自治体と同様、民族差別的な書き込みについて、市がプロバイダなどに削除要請を行うとしています。

実際に川崎市は条例の施行後、ツイッターやネット掲示板などに書き込まれた「早く祖国へ帰れ」など、56件の書き込みを「差別的言動」だと判断。閲覧できるものについては、削除要請を行いました。(2020年12月21日現在)

“差別的言動” 認定されたのはごくわずか

川崎市の条例制定を求めてきた崔江以子さんは、2016年に国会で意見陳述したことを契機に、ネットやSNS上で自身を攻撃する書き込みを受けるようになりました。 崔さんは条例の成立を受け、弁護士とともに自身を攻撃する書き込み300件以上を市に報告しました。

市に報告した ネットへの書き込みのリスト

しかし結論が出たのは、報告から3か月以上が経ってのこと。
しかも、ほとんどは「対象ではない」と結論づけられたのです。

師岡 康子 弁護士

「(300件以上について、そのほとんどを)認定しないというのは、ヘイトスピーチとは何かという理解のところに誤解があると思います。被害者救済という観点から、もう一度検討しなおしてほしい」

崔 江以子さん

「生活のなかに被害が及んでくるのではないかという恐怖が日々続いています。差別の根絶に向けて、あの条例の力が発揮されていくことを期待しています」

“表現の自由に配慮” 慎重な川崎市

川崎市はどのように判断を行っているのか。条例を管轄する部署の担当課長が取材に応じました。

川崎市 人権・男女共同参画室 大西 哲史 担当課長

市ではまず、担当の部署がネット上の膨大な書き込みについて調査。条例に抵触する可能性があると判断したものを、専門家からなる審査会に回しています。審査は必要に応じて複数回行われます。

前後の文脈も重視し、前後にどういった書き込みがあるのか、特定の個人を狙った書き込みなのかどうかなどを判断しています。

削除要請を行うかどうかを判断するまでの審査の流れ

担当課長の大西さんによると、憲法で保障されている「表現の自由」に配慮するため、判断に慎重を期していると言います。

川崎市 大西 哲史 担当課長

「色々と差別的なことが書いてあったとしても、表現の自由を過度に制限しないように、非常に慎重に丁寧にやっていく必要があると考えています」

しかし市で削除要請をしたとしても、全てがネット上から削除されるわけではありません。SNSや掲示板などの運営者の判断に任せられているからです。実際、川崎市が削除要請をした47件の書きこみのうち4分の1以上にあたる14件は現在も削除されずに残っています。(2020年12月25日現在)

崔さんのように、現に被害に遭っている人はどうすればいいのか。質問を重ね続けると、担当課長は「表現の自由に対して踏み込んで施策を講じるうえでは、本当に慎重でなければならない」としつつも、悩む様子を見せながらこう答えました。

川崎市 大西 哲史 担当課長

「(当事者からの)期待は大きいとは思いますよ。うーん、でもね…」 「そもそもヘイトスピーチとは何か、差別とは何か、自分の心にそういったものがないか、そういったものから見直していきませんかとか、そういう啓発の仕方。人間性に訴えるではないけど、そういったことも、やっていかなければいけないのではないかと思っています」

“規制は表現の自由の「例外」” 専門家の意見

表現の自由とヘイトスピーチ規制。この2つを両立することは出来ないのか。ヘイトスピーチ問題に詳しい、法政大学特任研究員の明戸隆浩さんに意見を伺いました。すると、返ってきたのは意外なことばでした。

法政大学 特任研究員 明戸隆浩さん(2019年撮影)
明戸 隆浩さん

「二項対立で捉えられがちですが、“ヘイトスピーチ”規制は“表現の自由”を侵すものではありません。表現の自由にも“例外”がある、ということなんです」

表現の自由の“例外”? どういうことなのか、さらに詳しく聞いてみました。

明戸 隆浩さん

「無視できない被害の現実がある場合には、表現の自由にも“例外”を設定すべきだということです。もちろん、表現の自由を軽視するわけではありません」

明戸さんは続けて、ネット上の書き込みへの対応について、自身の見解を示しました。

明戸 隆浩さん

「ネット上の書き込みは数が多く、そして一日の間にあっという間に広まってしまいます。広がる前に止めることを考える必要があります。いまドイツでは通報から48時間以内、フランスでは24時間以内に対応をしなければいけなくなっています」

現状では、ネット上の被害の広がりを止める仕組みが不足しているといいます。では、ヘイトスピーチを根絶するためには何が必要なのか。明戸さんは、川﨑市での条例反対の動きを見ても、やはり少しでも規制する動きをつくっていくことが大事だと話します。

明戸 隆浩さん

「根絶できれば理想なのですが、残念ながら先行して法律をつくっているヨーロッパをみても、法律をつくったらなくなるというわけではないです。だからむしろ、法律をつくって少しずつ抑え込んでいく。今回条例をつくった川崎市だけでは、効果は限られます。隣の相模原市ではいま、川崎市にならって条例をつくろうという動きがあるのですが、そういう流れをもっとつくっていかないといけないです」

街宣で出会った女の子は何を思うのか

これまでの取材を思い返し、私にはもう一度話を聞きたい人がいました。それは、川崎駅前の街宣現場で出会った11歳のソラさんでした。当事者たちはヘイトスピーチ規制のこれからについて何を思うのか。ソラさんとその父親に取材をお願いし、再び会うことになりました。

ソラさんと父親

ソラさんの父親は、条例だけでなく、ヘイトに繋がりかねない心の持ちようにも目を向けてほしいと訴えました。そう語るのは、娘のソラさんがある体験をしたからだといいます。

ソラさんが近所の公園にいると、同い年ほどの男の子から一緒にブランコをしようと誘われました。その後、ソラさんの兄が合流し、普段のように韓国語で兄と話していると、男の子から心無い言葉を言われました。

「(韓国人とは)遊ぶなって(親から)言われたから、遊べない」

そうした言葉を直接的に言われたのは、ソラさんにとって初めての出来事でした。

ソラさん

「そっちは朝鮮人、こっちは日本人。だから遊べないとか、話せないとか、関わっちゃいけないとか言われたりしたら、なんかイヤです」

差別的なことを無くすには、条例による規制だけでは容易ではない。そう感じざるを得ませんでした。

自分たちも同じ日本社会に暮らす一市民であり、普通に暮らしていきたいというソラさんの父親。子どもたちのためにも、在日コリアンという出自を理由とした、攻撃的な言葉が使われることのない世の中になってほしいと言います。

ソラさんの父親

「こういう差別的なことに対して、もっと国を挙げてやってほしいなという気持ちはあります」 「やはり卑屈な思いで生きてほしくないですよね、子どもたちが。そういう社会になってほしいですよね」

取材後記
どうすればヘイトスピーチによる差別はなくなるのか。私も在日コリアンとして日本で育ったなかで感じてきたこの疑問に、今回、初めて向き合うことになりました。 取材では様々な立場の方々に話を伺いましたが、たとえどんな理由であれ、人種や民族といった“出自”から、政治的問題とは直接関係のない人たちを差別的な言動で傷つけることは、許されるべきではありません。やはり一定の規制は必要だと感じました。

川崎市の条例による規制には課題が残されていますが、取材で出会ったソラさんが体験した出来事のように、規制だけでは差別的な言動は解消されません。

相手に対して、国籍や民族に基づいたレッテルを安易に貼るのではなく、同じ社会で暮らす一員としてどう向き合うべきか一人一人がいま一度考え、そのうえで、社会でヘイトスピーチがどう規制されるべきか、活発に議論をしていく必要があると感じました。

(NHK首都圏局 ディレクター 安 世陽)

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みんなのコメント(1件)

かに
40代 男性
2020年12月28日
日本でヘイトスピーチが無くならない背景の一つには、「表現の自由が送り手のためだけに存在している」という認識があり、レッテル貼り(ラベリング)も送り手側の認識が元になっていると思います。表現の自由に例外があると考えるよりも、送り手が発した様々な表現が受け手にどんな影響を与えるのかを想像できなければ、表現の自由の本当の意味を知ることはできないと考えます。