
臓器移植 違法な“あっせん” 渡航の果てに 患者・家族の苦しみ
ことし2月、臓器移植を望む患者に対し、無許可で移植を「あっせん」したとして、NPO法人「難病患者支援の会」の菊池仁達(きくち・ひろみち)被告が逮捕されました。およそ20年にわたり170人に海外で移植手術を受けさせ、患者から多額の金銭を受け取っていたという菊池被告。取材を進めると、劣悪な環境で手術が行われていたり、術後に患者が死亡したケースがあったりと、危うい渡航移植の実態が見えてきました。
実際に菊池被告に関わり、海外で移植を受けた患者は、なぜ渡航移植に踏み切ったのか。いまの病状、そして被告の逮捕に何を思うのか。当事者たちを訪ねました。
(社会番組部ディレクター 藤島温実)
“余命半年” 命の期限が迫る中、決断した渡航移植
コロナ禍の真っただ中だった、おととしの秋。都内に住む40代の女性は、散歩から帰宅した夫の足がむくんでいることに気づきました。「どうしてそんなにむくんでいるの?」と心配すると、「大丈夫だよ。最近、運動不足だったから」と、おだやかに答えた夫。
しかし、国立病院を受診したところ「肝硬変」と診断され、「余命は半年」と告げられました。
医師からは「こんな状態になってしまったら、もう何の治療もできない」と言われ、薬すら処方されず、そのまま「どう最期を迎えるか」という話をされたといいます。夫のとなりで、女性は頭が真っ白になりました。

夫の命を助けられる方法はないか。家族総出で、様々な治療法や手術の可能性について徹夜で調べる日々が続いていました。
そんな中、親戚が「海外で臓器移植を受けられる団体がある」とインターネットで見つけてくれたのが、NPO法人「難病患者支援の会」でした。

菊池被告は、これまで医師や著名人を数多く渡航させてきた実績と、違法性がないことを強調しました。そして、「大学病院になんて行ったら、海外に回されて何億というお金をとられる。半年以上たたないと移植は受けられないだろうし、それまでにご主人様は死んでしまうでしょう。うちの団体なら、年内には渡航できますよ。日本に戻ってきたあとも、渡航移植に理解のある医師がいて、受け入れ病院があるので安心してください」と言われたといいます。
渡航先としてもちかけられたのは、東ヨーロッパの国。費用は3300万円でした。
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女性
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「夫はそれまで海外に行ったことがなく、高額な費用がかかるということもあり、海外での移植には後ろ向きでした。私は、優しくて家族思いの夫に何としてでも生きていてほしくて、必死に説得を重ねました。親戚が協力してくれて、保険も解約したりして、なんとかお金を工面して・・・。夫にはわざと明るく『新婚旅行も行っていないし、初海外行こうよ』と声をかけて、ようやく夫も心を決めてくれました。私たちは“余命半年”が迫る中で、海外での移植に賭けることにしたんです」
東ヨーロッパへ渡航 手術のあと思いがけない事態に
当初は「年内に渡航できる」と自信を見せていた菊池被告でしたが、その後、計画は二転三転して渡航日はどんどん引き延ばされ、結局、日本を出発できたのは、年が明けた去年の1月でした。
現地に渡ると、とても大きな病院で、女性の夫が入院することになった“移植専門病棟”では、外国人患者が次々に手術を受けている状況だったといいます。

現地に滞在して、さらに待たされること1か月。「ドナーが出た」と連絡が入り、夫は肝移植を受けました。
女性が夫に会えたのは翌朝。見違えるように顔色が良くなっていて、早くも体を起こしてリハビリまで始めていたことに驚いたといいます。冷たいスポーツドリンクを作って飲ませると、夫は「すごくおいしい」と笑顔を見せてくれましたが、その時間は長くは続きませんでした。
術後の検査で、新型コロナウイルスに感染していることが判明したのです。

度重なる感染症との闘い
夫はコロナ病棟のICUに移され、治療を受ける日々。肝臓の数値もなかなか回復せず、再び足のむくみも出始めていました。
コロナの症状が落ち着くと、日本に帰国してすぐに入院した上で回復を目指すことになりました。当時は、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった直後の3月。情勢が厳しさを増していたころで、日本への直行便はなく、陸路と空路でう回しながら帰国を目指すことに。

しかしその途中で、男性は再び発熱してしまいます。フィンランドで急きょ入院となり、今度はサイトメガロウイルスへの感染がわかりました。
移植を受けたあとの拒絶反応を防ぐため、患者は免疫抑制剤を生涯にわたって飲み続けなければなりません。その一方で、感染症にかかりやすくなるリスクがあるのです。
日本に帰国後 受け入れ病院がない
NPO法人が作成した渡航案内には、「帰国後に日本の病院へ案内する」と明記されています。実際に、菊池被告は何度も女性に「帰国後のご主人様のことは安心してください。ちゃんと病院に入れますから」と言っていたといいます。しかし、具体的な病院名が知らされることはありませんでした。そして、最終的には「ご自分で予約して、病院と交渉してください」。あまりに無責任な言葉でした。

女性は夫を連れて自宅に戻りましたが、夫は再び体調を崩して発熱。3日連続で救急車を呼びましたが、海外で臓器移植を受けた患者を受け入れてくれる病院は見つかりませんでした。
菊池被告に電話で相談しても「救急車に乗ってしまえばこちらの勝ちなので、なんとかして乗せてもらってください」と言われるだけだったといいます。
肝臓が機能していない・・・ 再移植へ
受け入れてくれる大学病院を自力で見つけて受診できたのは、帰国から2週間が過ぎたころ。しだいに夫の体にはむくみと黄疸(おうだん)が出始め、検査の結果、医師から「肝臓が機能しておらず、再移植が必要です」と告げられました。
免疫を極限まで抑えている状態での再移植は極めて危険で、助かる確率は低い。でもこのままだと命がもたない。医師の言葉を聞き、女性は迷いなく「自分の肝臓の一部を夫にあげよう」と決めました。
再移植手術がおこなわれたのは、帰国から5か月後でした。
女性は自身の肝臓の3分の2を、夫に提供しました。拒絶反応は起こりませんでしたが、夫はその後、肺炎に。気管を切開して声も出せなくなり、女性がその唇の動きを見つめると「帰りたい」と懸命に訴えていたといいます。
最期は病室で、大好きなロックバンド、クイーンの曲が流れる中、夫は静かに息を引き取りました。

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女性
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「最期まで夫は自宅に帰りたいと望み、体力を取り戻すためにとにかく歩こうとしていました。よく頑張ったと思います。その努力が報われなかったのが悲しかったです」
高額の金銭を支払って渡航移植に望みを託し、帰国後には自らドナーとなって生体肝移植に踏み切り、夫の命を救おうとした女性。
夫が亡くなって3か月後、菊池被告が逮捕されたことを知りました。女性は取材に対し、菊池被告、そして渡航移植に対する複雑な思いを語ってくれました。

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女性
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「菊池被告には、せめて帰国後の病院は紹介してほしかったと思っています。菊池被告の団体を通じて手術を受け、どれぐらいの人が今も元気に生きているのでしょうか。
それでも菊池被告は私たちのことを心配してくれているのだと最後まで信じていたので、逮捕の知らせを聞いたときは、誰を信じて良いのか、わからなくなりました。
国内で移植を待ち続けていても夫の命は助からなかったと思うので、もし過去に戻れたとしても、同じように渡航移植を依頼するかもしれません。あのときどうすれば良かったのか、今も結論は出ないままです」
移植手術は成功したものの… 危険な橋を渡る事態に
「少しおなかが痛いなと思って病院を受診したら、慢性腎不全だとわかったんです」。
そう明かすのは、神奈川県に住む会社役員の50代男性。医師から、ゆくゆくは「透析治療」が必要になると説明を受けました。

根本的な治療法はなく、通常の生活に戻りたければ移植を受けるしかない。国が唯一あっせんを許可している「日本臓器移植ネットワーク」に登録しても、腎移植は「およそ15年待ち」と知り、海外で移植を受けられる道はないか、調べ始めました。
そんな中で見つけた、「難病患者支援の会」。団体を訪ねると、菊池被告はブルガリア、キルギス、ベラルーシなど多くの渡航先を示してきたといいます。病院のパンフレットや、手術時の写真なども見せられました。

菊池被告からは「ベラルーシであれば、国が運営している病院があり、待機リストに登録すれば亡くなった人から臓器提供を受けられる。“外国人の特別枠”があるので、外国人は優遇されて早くドナーが見つかる」と言われました。必要な費用は1850万円。自己資金だけでは足りず、勤め先の会社の社長に事情を話し、一部を工面してもらって、現地へ渡航しました。
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男性
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「ギャンブルよりひどいですよね。1000万円以上支払って、自分の命を賭けるので。でも、それをすることで生き続けられて、借金を返しながらでも当たり前に働けるなら、そちらの生活を選びたいと思ったんです」
手に入れた腎臓
現地の病院で透析治療を受けながら、待機し続けて1か月。ほかの患者と一緒に昼食をとっていると「ドナーが現れた」という知らせが舞い込みました。
翌朝、手術室に入ると、台の上で腎臓が解凍されているところでした。「あれが自分の体の中に入るのか」と、移植を受ける実感がわいてきたといいます。手術台に横たわって麻酔をかけられると、あっという間に意識は遠いていきました。
目が覚めたのは、その日の夜8時ごろ。男性は集中治療室にいました。拒絶反応は起きず、手術は成功。その後の経過も順調で、腎臓は正常に機能していきました。

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男性
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「本当に生きていてよかった。これでしばらくはまだ生きられる、透析からも解放されると、いろんな気持ちがあふれ出ました。ごはんを食べる、仕事をする。そういう当たり前の生活が取り戻せることがうれしかった」
“命への無責任さを感じた”
しかし男性は、日本帰国後に通院する病院について、菊池被告とトラブルになります。
移植後、定期的に通院して検査を受け、体の状態にあわせて生涯にわたり薬を処方してもらう必要がある患者にとって、帰国後の病院は非常に重要です。NPOから示された資料でも「帰国後に日本の病院へ案内する」と明記され、菊池被告自身も「受け入れてくれる大学病院がある」と繰り返していました。
しかし、男性がその病院に問い合わせてみると、「受け入れは難しい」と回答されたといいます。菊池被告に問い詰めても、納得のいく答えは得られませんでした。
結局、同じ時期に渡航していた患者が別の病院を紹介してくれたことで、男性は治療を続けることができました。
そしてことし2月、菊池被告が無許可あっせんの罪で逮捕されたことを知ったのです。

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男性
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「たまたま自分は命をつなぐことができましたが、それは菊池被告に助けてもらったのではなく、帰国後の病院を紹介してくれた患者さんに助けられたと思っています。菊池被告は、あまりに命に対して無責任だと腹が立ちました。
菊池被告のやっていることが“あっせん”にあたるという認識は当初持たずに、渡航移植を依頼しましたが、振り返ると、問題をはらんでいたのかもしれないと感じています。NPOというと信頼できる団体だと感じてしまうので、あまりに不透明な団体の活動が放置されないよう、国にはその実態をしっかりと把握し、管理してもらいたいです」
帰国後の診療の実態 専門家は
海外で移植手術をおこない日本に帰国した患者の診療を受け入れるかどうかは、明確なルールはなく、それぞれの医療機関の判断に委ねられているのが現状です。
臓器移植をめぐる法制度に詳しい東京大学大学院の米村滋人教授によると、国内の医療機関では、移植目的の渡航の自粛をかかげるイスタンブール宣言や、臓器売買を禁じている日本移植学会の指針などを受け、「医療環境が不透明な海外で移植を受けて帰国した患者については診療すべきでない」という考え方が、現在、主流になっているといいます。
中には、患者と医療機関との間で、訴訟に発展したケースもあります。
2015年には、中国で移植を受けた患者が、帰国後の診療を拒まれたとして静岡県内の大学病院を提訴しましたが、裁判所は、イスタンブール宣言に基づいて、臓器売買の疑いが否定できない患者の診療を断ったことには合理性が認められると判断。大学病院が勝訴しました。

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東京大学大学院 米村滋人教授
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「移植を受けて帰国した患者にとって、国内の医療機関の対応は厳しいと受け止められるかもしれません。一方で、医療機関側としては、患者がどのようなドナーから臓器提供を受け、どのように手術を行ったのか、正確な情報が得られない中で診療することは困難です。また、何か不測の事態が起きたときに誰が責任を負うのか、という問題も立ちはだかります。患者に命の危機が差し迫っているケースにおいては、医療機関として命を救うための対応をとるべきだと思いますが、その明確な基準もありません。
渡航移植への対応は非常に重要だと思うので、翻弄される患者・医療機関を少しでも減らせるように、日本移植学会が患者の受け入れ基準を明示するなどして積極的に関与してほしいです」
なぜ生体移植?偽造されたパスポート

“内閣府認証”。
菊池被告の団体のホームページでこの言葉を見て、信頼できると思ったと話す、50代の女性。これは、NPO法にもとづく認証であり(※現在は東京都に移管)、臓器移植のあっせんに対する認証ではありません。取材に対して女性は、「すごく誤解を招く書き方だと思う」と憤りを語りました。
腎臓を患い、「難病患者支援の会」に1850万円を支払って渡航。おととし、およそ半年間にわたって中央アジアに滞在しましたが、現地で次々とトラブルに見舞われたといいます。命の危機にさらされた上、犯罪行為にも巻き込まれたという、自身の経験を明かしてくれました。
女性が最初に渡航したのはウズベキスタン。具体的にどのような移植手術がおこなわれるのか、最初はわかりませんでしたが、現地で菊池被告が「ドナーを呼ぶ」と話しているのを耳にして、初めて“生体移植”であることを知ったと言います。生体移植は親族間のみで認められている国がほとんどで、ウズベキスタンでも親族間以外の生体移植は禁じられています。
移植を受けずに帰国することが頭をよぎったものの、日本での透析治療のことなどを思うと気が重く、なかなか決断できませんでした。

このとき女性は、NPOのスタッフから「移植手術を受けるため、ウズベキスタン国立病院にパスポートを提出する必要がある」と言われ、パスポートを預けていました。
実は女性の知らないところで、「パスポートの偽造」に利用されていたのです。
偽造されていたのは、女性のドナーになる予定だという、ウクライナ人のパスポート。女性とウクライナ人が親族であると見せかけるために作成され、ウクライナ人のパスポートの国籍は「日本」に、名字も女性の旧姓とされていました。
女性は、あとになってNPOのスタッフから、この事実を知らされました。
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女性
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「これは犯罪だと思いました。こんなことが現実にあるんだと驚くとともに、わたし自身も罪に問われることになるのかと、すごく怖くなりました」
隣国へ移動させられ命の危機に

女性はウズベキスタンの国立病院に入院して手術を待っていましたが、突然、隣国のキルギスへと移動させられます。
案内されたのは、古びたクリニック。医療機材が運び込まれ、即席で病室が作り上げられている真っただ中でした。こんな医療環境で大丈夫なのか、不安で押しつぶされそうになりながらも、移植手術の日を迎えることになったのです。
手術は失敗 菊池被告は“自分たちに責任はない”
手術の結果はひどいものでした。内臓を突き刺されているかのような激痛で、痛み止めも効きません。腎臓を移植したにも関わらず、尿は出ませんでした。
女性が手術を受けたころ、同じクリニックで他にも2人の外国人患者が移植を受け、相次いで亡くなっていました。警察が来ることを恐れたのか、女性は重篤な状態にもかかわらずホテルに移され、不衛生な環境での療養を余儀なくされました。
女性は、日本に戻っていた菊池被告との電話で「なぜ不衛生なホテルで療養しなければならないのか。こんな目に遭って納得できない」と問いましたが、菊池被告は「わたしの責任ではなく、現地の病院の医師のミス。外国なので、こういうこともある」などとはぐらかすばかりだったといいます。

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女性
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「憎しみしかないですよね。無責任で、人の心を持っていない。患者のことをなんとも思っていないのでしょう。患者が生きても死んでも、お金さえとれればいい。ただそれだけなんだろうなと感じました」
女性はその後、再びウズベキスタンに移動しましたが、現地の病院で専門的な治療を受けることも叶わず、容体は日に日に悪化していき、意識がほとんど無い状態で日本に帰ることになったのです。
成田空港に着陸したあと、そのまま病院に搬送され、女性は一命を取り留めました。医師からは「あと1時間フライトが遅れていたら、死んでいたでしょう。移植した腎臓は適合しておらず、体内で溶けていた」と伝えられ、摘出を余儀なくされました。
女性は帰国から1年半がたとうとしている今も容体が不安定で、入退院を繰り返す生活を送っています。
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女性
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「つらい経験をしましたが、なかなか人に話せることではなく、ずっと抱え込んできました。渡航移植の道に進んだことを、すごく後悔しています。
でも、もし菊池被告の団体がまだ運営されていたら、海外に行きたいと願う患者はいっぱいいるのではないかと思うんです。わたしのように苦しむ人が出ないように、国内で移植を受けられる環境を整えてもらいたいと思います」

国の調査で判明 渡航移植患者543人
厚生労働省の研究班は今回の事件を受けて、渡航移植患者の実態調査に乗り出し、全国203の医療機関から回答を得ました。
その結果、海外に渡航して臓器移植を受けたあと、経過観察などのため国内の医療機関に通院している患者は、ことし3月末時点で少なくとも543人いたということです。そのほとんどが国内と海外の医療機関どうしの紹介によるものとみられる一方、 少なくとも25人は“仲介団体”を通じて海外に渡っていたことが明らかになりました。
仲介団体としては4つの団体の名前があがったといいますが、厚生労働省は団体名を公表しておらず、それぞれの活動が「あっせん」にあたるかどうかについては調査を行っていないとしています。
また、渡航移植患者のうち、過去5年間に38人が死亡し、移植した臓器が機能不全になったのは25人でした。
今回の調査の対象は日本移植学会などに所属している移植実施施設で、それ以外の医療機関は対象外のため、そこに通院している患者については把握されていません。
また、渡航後に国内の医療機関で診療を受けている患者について尋ねており、渡航先の現地で亡くなった患者の実態もわかっていません。
4つの仲介団体を通じて海外で移植を受けたものの、調査結果には計上されていない患者もいるとみられ、実際にはさらに多くの渡航移植に仲介団体が関与した可能性があります。
取材後記
「臓器移植以外に助かる手立てはない」。自分や家族がそう告げられたとき、あなたならどう行動しますか。
わが身に置き換えて考えたとき、“命の期限”に直面した当事者のことばが、痛切に胸に刺さりました。
途上国などの貧しい人たちの搾取につながる臓器売買を根絶し、また現地の人の移植機会を奪わないためにも、移植は自国内でまかなうべきだという考えが国際的に叫ばれるようになって久しいですが、圧倒的なドナー不足が続く日本では、今なお現実が追いついていません。患者たちは「自分の命」と「理念」を、てんびんにかけなければならない、非常に苦しい立場に置かれています。海外に行けば命が助かる道がある―。その選択肢を示されれば、見なかったことにはできないでしょう。
移植を望む人が国内で安全に手術を受けられるよう、移植体制の充足をはかりながら、今まさに差し迫った状況にある患者たちをどう守っていけばよいのか。生きたいと願う患者の思いが利用され、命が危険にさらされることのないよう、今回の事件を教訓にした体制整備が急がれています。