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弟の最期と向き合って “コロナ”遺族 沖縄への旅

「2021年8月10日。弟の死を知ったのは、警察からの一本の電話でした。『新型コロナに感染し、自宅で亡くなっていた』と告げられました。つい2週間前にも連絡をとっていて、沖縄で元気に暮らしていたはずなのに。突然のことで、最初は信じられませんでした。その後、ゆうパックで送られてきた遺骨を弟とは受け入れられずに過ごしてきました。あれからもうすぐ2年。世間の雰囲気を見ていると、みんなコロナを忘れたいんだな、コロナは風化されていくんだな、と期待と悲しみの両方の感情が入り交じります」。

新型コロナウイルスによって弟を失った髙田かおりさん(47歳)。

自宅療養中に一人で亡くなっていった弟は、どのように生き、どのような最期を遂げたのか。生きた証を探し続ける姿を私たちはおよそ1年に渡って取材してきました。

社会がコロナ前の日常を取り戻そうとするなか、弟の死と向き合う姉の記録です。

(取材:政経・国際番組部 ディレクター 有賀 菜央)

1年経っても向き合えない死 

一昨年、かおりさんは弟の善彦さん(当時43歳)を新型コロナによって失いました。

私がかおりさんと初めて会ったのは、去年8月。新型コロナに感染後、自宅で療養していた家族を亡くした人たちがSNS上で遺族会を立ち上げたことを知り、連絡をとったことがきっかけでした。

この頃、コロナの感染状況は第7波のピークを迎えていました。感染の波が何度も押し寄せるなかで、遺族はどのような思いでいるのか。家族の自宅療養中の死をどのように捉え、日々を過ごしてきたのか。遺族会の代表の一人だったかおりさんと3か月ほど電話やメールでやりとりを重ね、直接会って話を聞くことになりました。

(髙田かおりさん)

向かったのは、かおりさんの暮らす大阪。自宅の居間に案内されると、仏壇には善彦さんの優しくほほえむ遺影とともに、遺骨と生前使っていた時計やメガネなどが並べてありました。亡くなった後、善彦さんが暮らしていた沖縄から送り届けられてから1年近く自宅に置いたままだと言います。

取材に向かった去年8月には一周忌を迎え、1年の区切りとして遺骨を墓に納めようとしていましたが、直前になってその決心はつきませんでした。善彦さんが亡くなった第5波から1年が経とうとするなかで、再び感染の状況が続いていることにやるせなさを感じていました。

髙田かおりさん

姿なくこれ(遺骨)で帰ってきたから、これがなくなるのもなんか・・・。病気になっても病院に行けない、保健所と電話が繋がらないっていう状況は、弟が亡くなった5波のときと今の第7波では何も変わっていなくて。何も変わっていないからまだ一区切りつけられないなって。

感染からわずか3日で・・・ ゆうパックで送られてきた遺骨

幼い頃から料理好きだった善彦さんは、大学を卒業後、地元大阪で料理の修業を積み、15年前に沖縄に移住しました。学生の頃から沖縄で短期のアルバイトをするなど、沖縄は憧れの地だったといいます。その後、那覇市内に念願だった自分の店を開き、たまに大阪に帰ってきてはかおりさんのリクエストに応えて料理をふるまってくれる優しい弟でした。

(弟の善彦さん)

そんな善彦さんが亡くなったという知らせは突然のことでした。善彦さんが新型コロナに感染したことさえ知らなかったかおりさんは、すぐに信じることはできず、警察と保健所から電話越しにうけた説明をただ手帳に書き続けることしかできませんでした。

かおりさんの元に連絡が入った一週間前の8月3日、善彦さんは那覇市内の病院でPCR検査を受け、その後、感染が確認されました。糖尿病の基礎疾患はあったものの、症状は軽かったため一人暮らしの自宅で療養生活を送ることになります。感染が確認された翌日から保健所は善彦さんの体調を確認するために何度も電話をかけましたが、連絡がつながらず、8月8日に保健所と警察がアパートを訪ね、ベッドの上で亡くなっている善彦さんが発見されました。感染からわずか3日のことでした。

善彦さんが亡くなった当時、全国各地では緊急事態宣言が発令されていました。新型コロナに感染した善彦さんの遺体とは会うことはできないと言われ、感染状況を考えるとかおりさんは沖縄に向かうことはできませんでした。

亡くなった実感がわかないまま2週間後、沖縄から善彦さんの残したものが送られてきました。

髙田かおりさん

まさか弟の骨がゆうパックで届くとは思えないですよ。あの子の人生なんだったんだろうって。何も悪いことしてないのに生きてきて、一生懸命商売して。誰にも声かけてもらえずに、携帯電話すら出られずに、こんな悲しい人生の終わりってあるのかなってところですよね。受け入れられないというより分からない。感情の整理がつきにくいですね。

知らなかった弟の沖縄での暮らしぶり 

かおりさんにとって3歳年の離れた善彦さんは頼りになるたった一人の家族でした。善彦さんが亡くなる3か月前に母親をがんで失っていたのです。善彦さんと最後に会ったのは母親の四十九日の法要でした。

父親をすでに亡くし、独身どうしの姉弟だった2人。法要の場で善彦さんは、「これからは2人頑張っていこう」と落ち込むかおりさんを思いやる言葉をかけてくれました。

善彦さんとは姉弟仲は良かったものの、大人になるにつれて離れて暮らす時間が長くなり、ときどき連絡を取り合うことはあっても短い文章のそっけないものばかりでした。沖縄に遊びに行ったのも一度だけ。いつでも会いに行けると思っていました。

髙田かおりさん

助けてあげられなくてごめんねって思いますね。感染したとき、私は母のことでいっぱいいっぱいだったから、心配かけまいと思って自分でなんとかしようって頑張ったんだろうなって。最期は誰にも声をかけられず、誰にも声を届けられなかったのかは本人から聞かないと分からないし、想像することしかできない。

善彦さんが亡くなって1年が経ったこの日、かおりさんの元に善彦さんの携帯電話が届けられました。亡くなった当時のことを少しでも知りたいと専門の業者に依頼して、1年がかりで暗証番号を解除していました。中から見つかったのは、何十件にも渡る不在着信の履歴。死の前日から誰とも連絡がとれていなかった痕跡でした。

さらに、沖縄で暮らす善彦さんの写真が多く残されていました。

「明日ですいか(善彦さんの店)は8年目です。沖縄の先輩や友達にいっぱい助けて頂きました」
「コロナが落ち着いたら一回大阪に帰ろう!って考えたら頑張れる気がしてきた」

SNSにあげたコメントとともに友人たちと笑い合う善彦さんの姿。かおりさんは沖縄での善彦さんの暮らしをほとんど知らなかったことに気付かされました。

髙田かおりさん

すごく行くのが怖かった沖縄。でも行かないといけないって。コロナにかかって数日の足跡ってそこ(沖縄)しかないのでどんな状態かっていうのをやっぱり知っておきたい。聞きたい。知りたい。それは私自身が家族として知っておくべきことかなって。

最期は孤独ではなかった 

去年11月、かおりさんは善彦さんが亡くなって初めて沖縄に向かいました。善彦さんの死を認めることができず、躊躇(ちゅうちょ)していた沖縄行きを1年以上かけて決意しました。

(比嘉篤志さん)

善彦さんの沖縄での暮らしぶりを知らないなかで、かおりさんが唯一の手がかりとして訪ねたのは、亡くなった当時、遺品を整理し送ってくれた人です。那覇市内に暮らす比嘉篤志さん。善彦さんが移住してきた頃に出会った15年来の知人だと言います。

亡くなった直後、警察の依頼を受け、比嘉さんは善彦さんの身元確認をしてくれました。かおりさんは、当時の様子を改めて聞きたいと考えていました。

比嘉篤志さん

アパートのベッドのすぐ横にコンビニエンスストアの袋があって、弁当がそのまま残っていたんですよ。たぶん口にもできないぐらいきつかったんだなって。残念ではあったけれども、本人は亡くなるときまで一生懸命生きていたと思います。

比嘉さんが教えてくれたのは、善彦さんの懸命に生きた最期でした。

比嘉さんから、善彦さんがよく通っていた居酒屋があると聞き、訪ねました。善彦さんは人なつっこい笑顔と温和な性格で多くの友人に囲まれ、地元の寄り合いにもよく参加していたと言います。かおりさんが沖縄に来ていることを知り、友人たちが居酒屋に駆けつけてくれていました。

ここで、かおりさんは思いがけないことを聞かされます。警察がアパートを訪れる前、連絡が取れないことを心配して友人たちが善彦さんに何度も連絡をしてくれていたというのです。病院で診察を受けた日に善彦さんと連絡を取っていた友人にも話を聞くことができました。

(善彦さんの友人たち)
善彦さんの友人 

「ちょうどPCR検査を受けたってときに連絡を取っていて。『お弁当持って行こうか?』って言ったら、『もしコロナだったら迷惑かけるからいいよ』って」

髙田かおりさん

「検査を受けに行ったその日に話してもらったんですか?」

善彦さんの友人

「やっぱりおかしいから(検査を)受けに行くって」

髙田かおりさん

「そうですか。孤独じゃなかった。孤独じゃなかったんですね」

たった一人、孤独に亡くなっていったと思っていたかおりさんが初めて知る事実でした。

さらに、善彦さんの友人の一人であるこの店の店主は、善彦さんの店で使われていたイスを大切に置いてくれていました。仲間たちが形見分けをして店のお皿や机なども残してくれていると言います。

髙田かおりさん

想像の中でどれだけ苦しかったんだろう、弟の命って人生って何だったんだろうっていう悲しみが足跡聞かせていただいたときに、生きてたんだなって思うだけで気持ち的に救われます。

あのとき、保健所や病院は 

かおりさんはこの旅で、確認したことがありました。保健所や病院は十分な対応をしていたのかということです。

善彦さんが亡くなった当時、第5波の最中で、沖縄では一日の感染者数が600人を超え、過去最多の感染者数を更新し続けていました。保健所の担当者からは、善彦さんとは一度も連絡がとれず、現場が混乱するなかでアパートを訪問するのが一日遅れ、普段ならばできる支援が追いつかなかったと伝えられました。

次にかおりさんが向かったのは、感染を確認した病院です。

善彦さんの診察にあたった医師の玉井修さん。玉井さんは、善彦さんの体格や座っていた場所、話した内容まで鮮明に覚えていました。当時、40代の若さで自宅で亡くなるケースは珍しく、善彦さんのことは記憶に残っていると言います。

この病院では、一般外来と発熱外来を医師1人で診察し、当時は毎日30人以上のコロナ患者を診ていました。自宅で待機させざるを得ない人も多く、PCR検査の結果を電話で伝えたときにはすでに亡くなっていたというケースも少なくない特殊な状況だったと言います。

そんななか、患者の一人として病院を訪れた善彦さん。かおりさんはどうしても聞きたいことがありました。

髙田かおりさん

「『大丈夫?』『どう?』って聞かれずに亡くなっていったのではというところが苦しかったんですよね。そういう言葉もかけてもらえずだったのかなって」

玉井医師

「最後の電話のときは、本当に普通の声で『大丈夫?』『熱はあります、だけど息苦しくないです』と。そうやっておっしゃってましたよ」

髙田かおりさん

「今いろんな状況が分かってきて、先生としたら救えたかもしれない命でしたか?」

玉井医師

「もしデルタ株がこういうのもだと分かっていて情報が事前にあれば救えたかもしれません。僕も彼を救えなかったのはとても残念だし悔しいですけど、ただ一つ信じてほしいのは精一杯やりました」

かおりさんは、善彦さんの思い出がつまった場所にも訪れました。善彦さんの沖縄料理店と暮らしていたアパートです。店があった場所には新しいテナントが入り、アパートはすでに新しい入居者が暮らしていました。

髙田かおりさん

景色は何も変わってないけど、でも、ここにはもういないっていう現実ですよね。

お友達や先生と会って、弟がどういうふうに生きて、どういうふうに何を思ってどんな形の最期だったのかというのが鮮明な足跡になって聞かせてもらったんですけど、でも帰ってこないから。このもやもやした気持ちって答えはまだ見つからないのかもしれない。

“いま改めてコロナを考えてほしい” 遺族の思い

善彦さんが亡くなって以降、かおりさんは続けてきたことがあります。新型コロナによって自宅で療養していた家族を亡くした人たちと当時の経験や思いを共有し合うことです。

オンラインを中心に活動するこの会では、遺族から今なお消えない喪失感が語られていました。

母親を亡くした男性

「(亡くなってから)ずいぶん昔のことではあるんですけど、悪夢に追われて毎日きちんと眠れない」

息子を亡くした女性

「道を歩いていても、いないんだっていう。突然悲しみがやってきて最近のほうが悲しくなる」

何度も押し寄せる感染の波とコロナ前の日常に戻ろうとする社会。家族と同じような死が後を絶たないことに憤りを感じ、コロナとともに家族の死自体も忘れ去られていくのではないかとやるせない思いを抱えています。

かおりさんは、いま改めて新型コロナについて考えてもらいたいと言います。

髙田かおりさん

何で死なないといけなかったんだろう、何で他界しないといけなかったんだろうって思い続けるのはしんどい。だったらその命を誰かに生かしてもらいたい。弟はこういう死があったことをもっと知ってほしいと思っていると思うので、私ができることは(亡くなった)命を無駄にしないでって伝えることかなと思います。弟のような死を二度と起こさないためにもコロナとは何だったのかをそれぞれに考えてほしいです。

取材を通して 

去年11月に沖縄に行ってから、かおりさんはたびたび沖縄に向かうようになりました。その理由を訊ねると、かおりさんはこう話してくれました。

「沖縄の人たちが弟と一緒に生きてるからね、忘れないよって言ってくれたんです。忘れないことで弟は心の中で生きていると思えます」。

沖縄の善彦さんの友人と語り合う時間が癒しのひとときになっていると感じました。

しかし、かおりさんにとって善彦さんの死との向き合いは終わっていません。今も自宅に善彦さんの遺骨は置かれたままです。

かおりさんたち遺族が立ち上げた会は、コロナによって失われた命を忘れないでほしいという思いから「自宅放置死遺族会」と名付けられました。会は、国に医療体制の整備を求める署名活動も行うなど、社会が元の日常に戻ろうとしているなかで、今も声を上げ続けています。

厚生労働省の調査によると、新型コロナに感染し、自宅で亡くなった人は第5波から第7波までで少なくとも1533人いると言われています。かおりさんのように今も家族の死の意味を考え続ける人たちがいます。

5類への引き下げが決まり、再び第9波の感染の波が押し寄せていると叫ばれる今、コロナとは何だったのか、思い返すことが必要とされているのではないでしょうか。

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