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“コロナ後遺症” ある17歳の記録 あきらめた夢と新たな目標

「私は後遺症の治療を始めてから今まで、体育や部活動に復帰することを目指して過ごしてきたのですが、3月末をもって転校することになりました。スポーツ以外の道で体調と向き合いながら、今の自分でもできることを探してみようと考えました」

同級生たちに語った最後の言葉。17歳のさやかさん(仮名)は、スポーツ推薦で入学した憧れの高校をわずか1年でやめることになりました。原因は新型コロナの後遺症でした。感染したときは軽症だったものの、けん怠感やめまいなどに1年以上悩まされ、大好きだったスポーツを続けられなくなったのです。

コロナ禍から日常を取り戻そうと社会が動き出す一方で、後遺症に苦しむ人は増え続けています。後遺症によって夢をあきらめ、新たな道を模索し始めた17歳の記録です。

※2022年6月7日クローズアップ現代HPに公開した記事を再掲載します。

NHKスペシャル「新型コロナ病棟 いのちを見つめた900日」

10月1日(土) 22:00~22:50 放送 [総合]
※NHKプラスで見逃し配信を10月8日までご覧いただけます

活発だった女子高校生が心を閉ざした

私がさやかさんと最初に出会ったのは去年9月。川崎市にある聖マリアンナ医科大学病院“後遺症専門外来”で取材をしているときでした。この外来には働き盛りの人を中心に様々な世代の患者が治療を受けにやってきますが10代の若者も少なくありません。当時高校1年生だったさやかさんもその一人でした。

ショートカットと速乾性のスポーツウェア姿が印象的で、「本当にスポーツが好きなんだな」と思ったのを覚えています。

さやかさんが新型コロナウイルスに感染したのは去年4月。所属していた部活動でクラスターが発生しました。さやかさんは発熱したものの37度台で軽症。しかし、陰性が確認された後も、けん怠感やめまいなどの体調不良が続きました。

さやかさんは両親とともに複数の病院をまわって診察を受けましたが、体調不良の原因は分かりませんでした。なかなかベッドから起き上がれず部屋に閉じこもり、家族にも心を閉ざす日々。両親は万が一のことも考え、どちらかが家に残り、彼女を“監視”するように過ごしました。

小学校の頃から学級委員を何度もやり、中学校では部活のキャプテンも務めるなど、明るく人と接するのが大好きだった娘の変わりように、両親は「地獄の日々だった」と語りました。

聖マリアンナ医科大学の“後遺症専門外来”を訪れたのは、感染から3か月間がたったころでした。そこで初めて、コロナ後遺症の一つである「体位性頻脈症候群」と診断されたのです。

「体位性頻脈症候群」は立ち上がると脈が急に上がり、胸が締め付けられる症状です。取材させてもらった日も、医師に促されて診察用のベッドから立ち上がるだけで、「汗が出てきた…」と口にします。脈が30近く上昇し、1分間の脈拍数は100。医師によると50メートルを全力疾走したときと同じくらいの感覚だといいます。

“後遺症”と診断されたことで変化が

“後遺症専門外来”に通い始めるようになったことで、さやかさんは少しずつ変わり始めました。これまで何の診断もつかなかったため「自分の症状が何の病気なのか」不安で仕方なかったと言います。「両親や学校の友人に自分の症状を話しても、どうせ理解されない」と心を閉ざす要因になっていました。

そして、看護師によるカウンセリング。この病院では、初診から緩和ケアを専門とする看護師が同席し、医師による問診の後に、カウンセリングが行われます。そこで、自分のことをわかってもらうためには、自分の症状を周りに理解してもらうことが大事だとアドバイスされました。

脈拍を下げる薬などを飲みながら、去年10月には学校には通えるようになったさやかさん。同級生や部活の仲間に自らの症状を直接伝えることにしました。

「コロナ後遺症に悩んでいること」「思うように体を動かせないこと」「周囲のサポートが自分には必要なこと」など、何日もかけて書き直した原稿をもとに、自ら伝えました。

その後、さやかさんが私に送ってくれたメール。こう綴(つづ)っていました。

学校の先生やクラスメートが徐々に私の体の状態を理解してくれるようになってきて、私自身も安心して学校に通えています。

学校に通うということは当たり前のことだけれど、私にとっては大きな第一歩だなと感じています。しかし、まだ運動が禁止で、脈拍も安定していないので、私は本当に部活動に戻れるのかという不安が一番大きいです。

戻りたいけれど、なかなか戻れないという状況の自分が悔しくてたまりません。
両親や周りの人も「焦らずにゆっくりね」と言ってくれるのですが、早く戻らなければという焦りはいつもあります。早くみんなと同じように部活動がしたいです”

(去年10月のさやかさんのメール)

“やりたいことができない”自己嫌悪と罪悪感

治療を続けながら、学校にも何とか休まず登校できるようになりました。そして病院のアドバイスもあり「見学」という形で部活動にも参加できるようになりました。

「いつかはプレイヤーとして部活に戻る」。

そう強く思いながら、さやかさんは部活の様子を見つめる日々がつづきました。しかし同級生たちがどんどん成長していく中、応援することしかできない自分に次第に焦りを感じ始めました。

さやかさん

「部活するために、この高校に入ったのに、自分は動けない体になってしまった。周りの子が自分より段々と上手くなっていくのを、ずっと横で見学しているだけ。それが一番つらかったです」

そして「体位性頻脈症候群」と診断された症状も思うように改善しませんでした。薬の量もなかなか減らず、部活以外の学校での活動も長時間立つことができませんでした。携帯用の椅子を常に持ち歩くためみんなと同じように行動できず、“自己嫌悪と罪悪感”を抱くようになったと言います。

さやかさん

「やりたいことができない、やらなきゃいけないことができないと自信を失います。何のためにこの学校に入ったのだろうかと。もともとの目的を見失うから、この先どうやって復帰に向けた段階を重ねていけばいいのか、分からないと思い始めました。

先生たちはできることだけやればいいよ、と気を遣って声をかけてくれましたけど、色々な意味で、先輩にも同学年にも気を遣わせてしまっているなと…」

17歳の春 「転校」という決断

新型コロナに感染する前、さやかさんは「学生時代はスポーツで活躍し、スポーツ関連の仕事につく」という未来を描いていました。しかし体調不良が続き、思い描いていた将来とはほど遠いところに自分がいると感じる中、これからの進路を考えるようになりました。

ことし1月、悩むさやかさんに母親が勧めたのは、スポーツ推薦で入学した高校を辞めて、通信制の高校に転校するということでした。そして2月、中学時代の部活の仲間からの言葉が大きな転機となります。

さやかさん

「正直に言うと、転校なんか絶対したくない、って変なプライドがありました。
でも中学時代の部活の仲間に久々に会って、悩みを号泣しながら話した時、
“さやかはもったいないよ”
“環境を変えれば昔のさやかに戻れるんじゃない?”

と言われて。中学の時に切磋琢磨して頑張った部活の仲間の言葉がすごく刺さって…。やっとの思いで転校を決めたのが3月17日でした」

さやかさんは両親に「転校したい」と伝え、その翌日には担任や顧問の先生にも話しました。先生が自分の気持ちを尊重してくれ、「転校してからもいつでも相談に乗る」と言ってくれたことに安心したといいます。

しかし、クラスや部活の仲間にはなかなか切り出すことができませんでした。自分の復帰を信じて、ずっと励まし続けてくれた仲間たち。全国大会を目指して、毎日練習を頑張る彼女たちの、集中を切らすような話題を伝えたくなかったのです。

ようやく伝えることができたのは、年度末の最終登校日でした。さやかさんは自らの気持ちを文章にして、同級生に別れの言葉を告げました。

クラスのみんなへ。
今日はみんなにお話したいことがあり、この時間をいただきました。
私は後遺症の治療を始めてから今まで体育や部活動に復帰することを目指して過ごしてきたのですが、3月末をもって転校することになりました。

倦怠感や頭痛などといった症状が出るということを何度も繰り返すうちに、スポーツ科や部活動へ在籍していることへの罪悪感を感じて、スポーツ科での目標を見つけられなくなってしまいました。

いろいろ悩んで途中でやめてしまうことは本意ではありませんが、スポーツ以外の道で、体調と向き合いながら今の自分でもできることを探してみようと考えました。

みんなと同じ時間を過ごしてたくさんの経験をさせていただき、いろいろな場面で助けてもらったり、声を掛けてくれて、ありがとう。
これからもみんなのことを応援しています。1年間ありがとうございました

スポーツでのつながりが自分の支え

通信制の学校に転校して2か月。いまさやかさんは週3回の登校に加えて、自宅でオンライン授業を受けています。最初は勉強をどこからどのように始めればいいのか全く分からなかったそうですが、今は英語の資格試験と大学受験に向けて勉強の日々です。

そして、好きだったスポーツも無理のない範囲で始めています。小学生のときにお世話になったジュニアチームの監督から、「リハビリがてら指導補助として来てくれないか」と誘われ、体調の良い日は活動に参加するようになったのです。

さやかさん

「私にとって、少しずつでも体を動かせるようになってきているのはとても大きなことで、チームの方にとても感謝しています。スポーツでの人とのつながりが、自分を支えてくれているんだな、と改めて思いました」

「人の支えになりたい」という新たな夢

今回の取材の最後、さやかさんに、これからの目標・夢について聞きました。

さやかさん

「まずは薬を飲まなくても過ごせるように、後遺症を治したいです。病気を治して、自分が思うように動ける身体に戻して、前の自分のような自信を取り戻したいと思っています」

将来は、大学に進学し心理学を学びたいと話すさやかさん。後遺症専門外来でカウンセリングを受けた経験から、「人の支えになりたい」と思うようになったと言います。

さやかさん

「小学校から続けてきたスポーツの目標はなくなってしまいましたが、この経験をしたことで興味をもったこともあります。私自身が後遺症で落ち込んだ時期があったように、さまざまな理由でつらい思いをしている人の支えになりたいなと。メンタルサポートや緩和ケア、看護師さん…。そういった職業に興味があります。運命と言ったら大げさかもしれませんが、後遺症になったという経験は、たぶん貴重なことだと思うので」

【取材後記】

先日、さやかさんの自宅に伺い、近況を伺ってきました。もともと活発で明るい性格の彼女は、看護師から勧められたというヨガにはまっているといいます。体を動かすことが元来、大好きなさやかさん。「ダイエットにもなるんです」と笑いながら、いろんなポージングを見せてくれました。

近所の友達とよく散歩するという、自宅近くの田んぼの周りを私も一緒に歩きながら、「悩みや苦しみを、受け止めて支えられる人になりたい」という夢についても聞くことができました。

そして散歩の最後、さやかさんは笑いながら、つぶやきました。

「健康に生きていれば、それだけでいいです」

NHKスペシャル「新型コロナ病棟 いのちを見つめた900日」

10月1日(土) 22:00~22:50 放送 [総合]
※NHKプラスで見逃し配信を10月8日までご覧いただけます

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担当 松井ディレクターの
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この記事の執筆者

報道局 社会番組部 チーフディレクター
松井 大倫

1993年入局。2020年4月から聖マリアンナ医科大学病院コロナ重症者病棟の取材を続けている。

みんなのコメント(1件)

感想
ゴンタ
60代 男性
2023年1月2日
ワクチン接種のことが分からないのでアウト