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“コロナ禍”の奇跡と2つの命 「ECMO装着のまま出産」から1年の記録 

まだ残暑厳しい9月16日夕方、3人の親子が静かな時間を過ごしていました。部屋の壁にはハッピーバースデーの飾り。ちょうど1歳を迎える娘は静かな寝息をたてていました。父親が見守り、母親は娘の指を愛おしそうにずっと触っていました。

去年の夏、母親と娘は聖マリアンナ医科大学病院の新型コロナウイルス重症者病棟で生死の境をさまよっていました。母親は、ECMO=人工心肺装置を装着した状態で、出産を迎えることになりました。

意識がない中、顔をゆがめ、突然始まった陣痛。ICUに急遽集まった、産婦人科医、新生児対応の看護師、助産師たち。懸命の治療で救われた“2つの命”の記録です。

NHKスペシャル「新型コロナ病棟 いのちを見つめた900日」

10月1日(土) 22:00~22:50 放送 [総合]
※NHKプラスで見逃し配信を10月8日までご覧いただけます

新型コロナ「重症」状態で運ばれた妊婦

母親は元コロナ重症者の坂本なつ子さん(仮名・40代)
坂本さんは第5波まっただ中の去年8月末、コロナ重症者病棟に担ぎ込まれました。妊娠24週の時にデルタ株に感染したのです。当初は高濃度の酸素投与で処置をするという判断でしたが、入院から2日後に母体の容体が悪化。緊急で人工呼吸器管理を行い、そして人工心肺装置・ECMOも取り付けられました。

母体の酸素化(酸素が血液に取り込まれること)がうまくいかない場合、胎児にも脳損傷など多大な影響が出るおそれがあります。胎児の成長に必要な酸素は、母親の血液から送られるからです。そのため坂本さんの大腿部から胎児に酸素を送るための太いチューブを挿入するなど、様々な処置がとられ、母体と胎児の容体を24時間管理することになりました。

究極の選択「母体優先」

病院の倫理会議での議論の末、「胎児を早めに娩出し、母親の命を救う」と決められました。「母体優先」すなわち胎児の命がたたれるかも知れないという究極の選択でした。

治療の陣頭指揮をとる救命救急センター長の藤谷茂樹医師は、患者家族に説明をし、母親の命を救うことにベストを尽くすしかいないと考えていました。

聖マリアンナ医科大学病院 救命救急センター長 藤谷茂樹医師
藤谷医師

「院内の倫理委員会では、胎児の帝王切開での取り上げで、母体の生命を優先して守ることが議論されていました。

ただ、ECMOを導入している時には、血液が固まらないように抗凝固薬が持続投与されているため、帝王切開をしたとしても、今度は大量出血という危険性の高い治療となります。

そのため、我々は妊娠中絶というリスクを負ってでも、つまり胎児よりもまずは母体を守ることも考え始めていました」

あり得ない陣痛が 奇跡の出産

ECMO装着のまま出産を迎えた坂本さん 家族の写真をベッド脇につるしていた

その直後、意識がない坂本さんの眉間にしわが寄ったことに看護師が気づきました。
陣痛が始まり、破水。急遽、ECMOをつけたままでの世界でも稀(まれ)な出産となったのです。たまたま重症者病棟の近くにいた産科医、助産師も駆けつけ、急遽、分娩の準備に取りかかりました。徒手(器具を使わず手を使って)で胎児の娩出を行うことになりました。

「出たー、吸引!吸引!」
「新生児の蘇生!」
コロナ重症者病棟での想定外の出産。野戦病院のように現場は騒然としていました。

933グラムで生まれた赤ちゃんは女の子、低出生体重児で一時、仮死状態。すぐに呼吸をおぎなう蘇生措置がとられ、母子ともに命が救われました。意識がない母親に子どもが無事だと呼びかけた後、赤ちゃんは保育器に入れられ新生児ICUに移されました。

藤谷医師は、「中絶も考えていた時期に、胎児が自分も生きたいという思いを母親に伝えて母親もそれを悟り、出産につながったとしか思えない。タイミングが奇跡的に一致した」と当時を振り返ります。

奇跡の出産を支えたスタッフたち

中本亜也看護師

坂本さんの奇跡的な出産を支えたのが、看護師や医療スタッフたちの連携でした。入院当初から出産まで立ち会った、中本亜也看護師もその1人です。

新型コロナの感染で重症化した患者の治療では多くの薬剤投与も必要となり、胎児に影響を及ぼしかねません。そのため、母親と胎児をどのように管理するのか、集中治療医、看護師、助産師、産婦人科医、NICU(新生児集中治療管理室)看護師ら多くの医療者で議論を重ねました。

そして、家族の思いに配慮しながら意思を確認し、出産まで危機的な状況となった場合は、母体優先の治療を行うことになったと振り返ります。

中本看護師

「坂本さんの全身の状態は悪化していましたが、胎児の成長には影響なく妊娠27週を無事に迎えていました。入院18日目、血圧や脈拍が上昇し、顔面が紅潮している坂本さんに気づきました。お腹を見ると固く張っていて破水をしていました。すぐに医師らを集め10分も経過しないうちに出産しました。坂本さんと胎児の命を守るという思いを持ち、日々観察や管理を行った結果、坂本さんの普段とは違う様子に素早く気づけたのではないかと感じています。破水を認めた際、偶然にも集中治療医、産婦人科医、助産師らが隣の病室に集まっていました。これにより迅速に対応ができたことは、今思えば奇跡的なことだと思います」

出産後も続く危篤状態

赤ちゃんの命は救えたものの、出産後、坂本さんは大量出血で意識不明の状態になりました。懸命に治療・ケアに努め、些細な変化を見逃さないよう、中本さんらは看護を続けました。

そしてある日、声をかけながら体を拭いていると、坂本さんがうなずき、目を開く仕草に気づいたといいます。

中本看護師

「声が届いて意識が戻ってきたのでしょうか。しかし、意識がもうろうとした状態が続いていていて、自身が無事に出産できたことには気づいてないだろうと思いました。

そこで、私たちは坂本さんに無事に出産できたことを感じてもらうために、NICUの看護師と話し合い、NICUですくすく育った赤ちゃんの動画や写真を見せることにしました。赤ちゃんの泣き声に耳を傾ける坂本さんの反応をみると、母性の育成・生きる活力の源となっていたのではないかと思います」

坂本さんが入院して1か月半。赤ちゃんは順調に育つ一方、坂本さん自身の容体はなかなか回復しませんでした。左の肺は完全に無気肺(※肺が粘液で潰れている)状況で、まだまだECMOの装着が必要な状況。いつECMOの離脱ができるのかわからないまま、治療は継続されました。

そして入院開始から約2か月。ついに、坂本さんの意識が戻りました。今まで1回の呼吸換気量が100mlも入らない(正常1回換気量350-450ml)状態でしたが、1回の呼吸換気量で160ml入るようになり大きな進展をみせたのです。

次のステップはECMOを外すことに向けた治療。ここで藤谷医師らは大きな決断に踏みきりました。

藤谷医師

「我々は、ECMO離脱で人工呼吸器管理だけで頑張る決断をしました。当然、この決断が生命にかかわることもご家族にも説明しました。
ここでもまた奇跡が起こりました。一回換気量が200mlに満たない状況でも、坂本さんが頑張ってくれたのです。苦しくて諦めそうになる彼女のサポートをするために、新型コロナ病棟から一般病棟に移動をさせ、ご家族や赤ちゃんとの面会など、本人に生きる力を与えるケアの導入が看護部から提案されました」

意識を回復させた坂本さんでしたが、それまで家族への感染を考慮して面会は制限されていました。約3か月もの間、ECMOを装着しており、極限まで達していた精神状態。心の支えとなる夫との面会はとても重要だと考えたチームでは、坂本さんのPCR検査結果をもって感染症患者としての対応を解除し、家族と面会できる環境を作ることを最優先としました。
コロナの感染症対応を解除すると、治療費など金銭面の家族負担は大きくなります。しかし、母親として夫、そして赤ちゃんのもとに帰るためには家族の力が必要だと考えた結果でした。夫はたびたび面会して坂本さんを励ましました。面会をするようになり、劇的に精神状態は安定し、全身の状態も改善に向かいました。坂本さんに常に寄り添ってきた看護師らの提案が、大きな力となったのです。

藤谷医師と坂本さん
藤谷医師

「集中治療は、医師による高度医療のみで成り立つわけではないことを強調したいです。
私たちは患者が治ろうとする治癒力を、できるだけ引き出すことが必要であると考えています。チーム医療は、臨床工学技士、理学療法士、薬剤師、レントゲン技師など多くの仲間に支えられて成り立っています」

合併症にも苦しむ日々 看護師の提案が回復への一歩に

ECMOを外した後、坂本さんはさまざまな合併症にも見舞われます。右肺に緊急性気胸(肺に穴が空き、心臓を圧迫、血圧低下をきたすなど生命の危険に陥る疾患)、さらに左肺にも気胸、そして左胸腔からの大量出血など…。ギリギリの状態が続きます。そのつど、医療従事者らの懸命な治療で、何とか生命の危機を脱しました。

入院から4か月たった昨年末。大きな山は越えたものの、長い入院生活で痩せ細った坂本さんは自分の体重を支える足腰が弱り、立ち上がるだけでも時間を要することがしばしば。懸命にリハビリを行いますが、ここでも看護師らの提案が回復の大きな支えとなりました。

藤谷医師

「年末に看護師からの提案で、『意識もしっかりして、リハビリが少しずつ進んでいるにもかかわらず、まだ一度も赤ちゃんに触れたことがなく、スキンシップが取れていないことで、母親として実感が持てないのではないか』という意見が投げかけられました。

どうしたらより母親として実感をもってもらい、より治療へ積極的に取り組んでもらえるか、医師を含めて協議をしました。

そこですでに出産後3か月以上経過して、子どもが退院するまでに1度、スキンシップを取らせようということに。NICUの看護師とICUの看護師とで相談して、保育器の中にいる子どもをビニール1枚隔てて触らせることを実現させたいと思ったのです」

産まれてから初めての母子の対面。坂本さんは人工呼吸器をつけた状態で、看護師の呼びかけに、ゆっくりと手を伸ばし、保育器の中で泣き叫ぶ赤ちゃんに何とか触れようとします。ビニールの上から初めて触れるわが子の小さな頭。

坂本さんは安堵した表情で優しくわが子をなでていました。そして看護師が保育器の位置を変え、足やお腹の部分にも触れます。それまで泣き叫んでいた赤ちゃんが、母親になでられた直後、不思議と泣き止んだのが印象的でした。

車いすの上で初めて抱くわが子

ことし1月、坂本さんはまだ人工呼吸器の管理が続いていました。そのなかで歩行の訓練も始まりました。藤谷医師は坂本さんが母子一緒に退院できるようにと考えていましたが、人工呼吸器の離脱までにはまだ時間がかかるため、赤ちゃんだけが先に退院することになりました。

そして、その退院の日に、坂本さんは初めて直接わが子を抱くことができると決まりました。この日まで、車椅子から何度も立ち上がり、屈伸運動と歩行訓練のリハビリに明け暮れた坂本さん。看護師に支えられながらも、数メートルを歩けるようになっていました。

そして迎えた退院の日。人工呼吸器を装着しているため、まだ言葉を発せない坂本さん。いまの気持ちを伺うと、スマホで一文字ずつ打ちながら、答えてくれました。

坂本さん

「抱けるかな?すごく重そうだから…」

そして、いよいよ直接の対面。車いすに乗った坂本さんの膝の上に、わが子が横たわり、初めてその重みを感じます。
その頬を指で愛おしそうに、何度もさすっていたのが、印象的でした。

【取材後記】

「患者一人一人に愛する家族がいて、そこには医療従事者の懸命な支えがある」

これは、坂本さんの治療を担当した藤谷医師の言葉です。

坂本さんは、赤ちゃんと別れた後も肺に穴があく気胸や、心臓近くに血の塊・血栓ができるなどの合併症に苦しみました。病院では坂本さんの回復力を信じて様々な治療を施し、ようやく、ことし6月に聖マリアンナ医科大学病院を退院、リハビリ専門の世田谷記念病院に転院することになりました。そこでは1日4時間、歩行訓練や肺の機能を高める訓練が続きました。ご主人から届く娘の動画を励みに、家族の元に帰りたいと懸命にリハビリに明け暮れた坂本さんは8月に退院し、自宅で親子3人での暮らしを始めています。

「娘が小学校にあがるころには元の身体になって普通に穏やかに過ごしたいね」と話す、ご主人。か細い声で「戻りたい」と話した坂本さん。コロナの全数把握をやめ、経済活動の促進に大きく舵を切ろうとする社会。

坂本さん親子や医療従事者らの様子を目の当たりにして、改めて取材者としての大切なことを教えられました。そして引き続き、新型コロナウイルスの取材を続けてきたいと思っています。

NHKスペシャル「新型コロナ病棟 いのちを見つめた900日」

10月1日(土) 22:00~22:50 放送 [総合]
※NHKプラスで見逃し配信を10月8日までご覧いただけます

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担当 松井ディレクターの
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この記事の執筆者

報道局 社会番組部 チーフディレクター
松井 大倫

1993年入局。2020年4月から聖マリアンナ医科大学病院コロナ重症者病棟の取材を続けている。

みんなのコメント(3件)

感想
ひろこ
40代 女性
2022年10月2日
昨日たまたま番組を拝見しました。
妊婦の坂本さんがどうか無事に回復してほしいと祈るように見ていました。
コロナ、度重なる自然災害などを日々目の当たりにし、どこか希望を持てない信じるものが持てない心持ちで毎日を過ごしていました。坂本さんが幾つもの奇跡を起こして回復した時は涙が止まりませんでした。極限の状況の中で、奇跡が起こることを教えて頂き、病院の皆さんが、命の力を信じ力を尽くす姿にも涙が止まらず、信じることを思い出させてくれました。たくさんの方にみてほしいです。ありがとうございました。
感想
明日香
2022年10月2日
とても良い番組で、ディレクターの方にこういう報道のお礼を言いたくなりました。

患者さんのご家族も大変な日々だったと思います。
医療者の方々やご尽力に感謝します。
(非医療者)
感想
まろん
30代 女性
2022年10月1日
坂本さんのその後、どうなったのだろうとずっと気になっていたので偶然番組を見ることができてこれもまた奇跡かもしれない、と思いました
奇しくもほぼ同時期に娘を産み、一歳を迎えた所だったので大泣きしてしまいました。
ご家族の安寧をお祈りしつつ、丁寧な取材に感謝です。