
“殺してしまうかもしれない” 追い詰められる統合失調症患者の家族
10年以上にわたって、統合失調症の長男に向き合い続けてきた70代の女性。
長男は大声で叫んだり、暴れて物を壊したりすることも。
毎晩眠ることができず、役所に相談しても解決しない。
一番必要だったのは、「病気の知識と家族への支援」だったと振り返りました。
(横浜放送局 記者 尾原 悠介)
“統合失調症”疑いの男性 自宅で監禁され死亡した事件
私はふだん、神奈川県内の事件や事故を取材しています。
去年川崎市内の住宅で、統合失調症の疑いがある37歳の男性が、手足を縛られた状態で死亡しているのが見つかり、両親や妹が監禁の疑いで逮捕されました。

周辺を取材し、病院を受診することも周囲から支援を受けることもなく、孤立していった姿を記事(「自宅で監禁され死亡した男性 “普通の家族”がなぜ…」)で伝えました。
すると、特設の投稿フォームには統合失調症の当事者や、家族の人たちから100件を超える体験談が寄せられました。
統合失調症とは(厚生労働省のホームページなどによる)
脳の働きをまとめることが難しくなり、幻覚や妄想などの症状が出る病気。およそ100人に1人が発症するとされる。原因は正確に分かっていないが、ストレスや人生の転機の緊張が発症のきっかけになると考えられている。薬や治療法の開発が進んでいる。
「自分の家族と同じだと思った。社会に絶望して、助けを求める意欲さえ失ってしまう」
「病気だったきょうだいに、父を傷つけられた」
「自分の体調や気持ちを誰にも相談できなかった。何度も生死の境をさまよった」
切々とつづられた、当事者や家族の思い。中でも多かったのは、医療とつながることの難しさを訴える家族の声でした。
息子が統合失調症だという、70代の母親が寄せてくれたメッセージです。
「今までに一番困った事は 本人に病気だと言う認識がないので暴れたり、大声を出したりしたときに医療に繋げられない事です。我が家の場合は何度も保健所に足を運び相談し、それと並行して精神科に親だけで受診、それでも本人が来ないと診察出来ないと何処でも言われました。本人を連れていけたら問題はないのです。連れていけないから困るのです」
統合失調症は早く治療を始めるほど、回復も早いと言われています。
川崎の事件で逮捕された父親も、警察の調べに対して「連れて行こうとすると暴れて連れて行けなかった」と話していました。
暴力があったとしても、家族でさえも病院に連れて行くことができないのはどうしてなのか。直接お話を伺うことにしました。
"ひとごととは思えなかった"

愛知県内に住む77歳の高木あつ子さん(仮名)です。
夫と、統合失調症の40歳の長男康文さん(仮名)とともに暮らしています。
小柄で柔らかい雰囲気。突然連絡をしてきた私に対し、お土産にと手作りのジャムまで用意してくれていました。
どうしてメッセージを送ってくれたのか。川崎の事件は人ごととは思えなかったと話しました。
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あつ子さん
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「川崎の事件を聞いて、『亡くなった方も私の息子のように病識がなかったのかな。家族も世間体があって、相談先も分からず、どうしようもなかったのかな』と思いました。自分の息子が衰弱していく様子をみていたのはどれだけつらかったのかと思いました」

康文さんは自分の希望や考えをあまり表に出さない、おとなしい性格だったといいます。
絵を描くのが好きで、中学校の時は校内の大会で入賞したこともあります。
高校の三者面談で初めて「美大に行きたい」と話し、18歳の時に美大を受験しましたが不合格に。
その後東京に出て新聞配達をしながら絵の勉強をしていました。
10年後、康文さんが28歳の時でした。
康文さんのブログに「バタフライが飛んだ」など、脈絡のないことが書かれるようになりました。
そんな中、アルバイト先の隣のビルから突然飛び降りて大けがをしました。そのまま山手線に乗ってずっと回っていた康文さん。痛みに耐えかねて病院を受診し、その後統合失調症と診断されました。
離れて暮らしていたしていたあつ子さんは、異変に気づくのが遅れたと振り返ります。
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あつ子さん
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「ブログの内容がおかしくなっていると家族と話していた矢先のことで、それまで全く気づきませんでした」
当初は比較的症状が軽かった康文さん。医師から病名を告げられても、自分が統合失調症だということは認めようとはしませんでした。この頃はまだ、処方された薬を飲みながら働くこともできていました。
統合失調症ではないのでは?
「統合失調症」という病名も知らなかったあつ子さんですが、病気の特徴や治療方法について、患者の家族会にも参加して勉強を始めました。
あつ子さんは、学んだことや思ったことを手帳に残しています。夢中で書き取っていたので、書いたときのことはよく覚えていないということですが、薬の名前や治療法などについて、びっしりと書かれたページが並んでいました。治療が難しく、長く続くことについて「お手上げ」という表現もありました。

しかし3年がたったころ、あつ子さんは康文さんと「統合失調症でなく、発達障害だけだから、薬は飲まなくていいかもね」と話すようになったといいます。
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あつ子さん
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「家族会などを通じて出会う周りの患者の人たちが、息子よりかなり重い人ばかりだったので、“統合失調症じゃないかもしれない”と思うようになりました。どこかで“統合失調症じゃないといい”という思いがあったのかもしれません」
もともと病識(病的な状態であることを自分で認識すること)がなかった康文さんは、薬を飲まなくなりました。
しかし、この判断が「最大の失敗だった」とあつ子さんはいいます。
1年ほどたつと康文さんの症状が悪化。暴力を振るうようになりました。
壁に穴をあけたり、パソコンを投げつけたり、家の中はボロボロになっていったといいます。
あつ子さんと夫は毎晩、眠れないようになりました。
康文さんはどうしても病院に行こうとしませんでした。高齢の両親では、嫌がるのを無理に連れて行くことはできませんでした。
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あつ子さん
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「病院に連れて行こうとしても、『自分は違う』と暴れて連れて行けませんでした。保健所に電話しても、病院を紹介してくれるだけで、連れて行くのを手伝ってくれるわけではありません。
病院に連絡すると『本人を連れてこないと、診察できない』と言われました」
"このままでは殺してしまうかもしれない"

どうすることもできないまま、康文さんの症状は悪化し続けました。
「年末年始も大声で叫んでいる」という記述が残っていました。
そのころには、自宅の前を叫びながら往復していて警察に通報されたほか、家を出て行ったかと思ったら夜中に突然「東京にいるんだけどお金がない」と電話をかけてくることもありました。迎えに行ったりすることもあったといいます。
あつ子さんと夫は一睡もできない日々が続き、徐々に追い込まれていきました。
そんなある日、夫の一言を聞くことになります。
「このままでは殺してしまうかもしれん」

「このままではだめだ」
それから毎日、あつ子さんは夫とともに保健所に通いました。
「病院で診察を」
「本人が嫌がっていて、家族だけでは連れて行けない」
なんどもやりとりを繰り返しました。
数週間がたってようやく、保健所は警察に情報を伝えてくれました。
自宅を訪れた警察官と一緒に康文さんを説得し、病院に入院することになったといいます。
康文さんは2年半にわたる入院生活の中で投薬治療などを受け、暴れたりすることはなくなりました。
幻聴や妄想の症状は残っていて、現在は薬を飲みながら定期的に通院しています。

手帳にはあつ子さんの、少しでも康文さんの状況が良くなってほしいという思いが綴(つづ)られています。
通っている病院では、医師やスタッフに仕事をしたいと話すようになり、
オンラインミーティングのための機材も用意しました。
福祉サービスの就労支援は受けず、統合失調症のことを明かさずに就職を探そうとしている康文さん。
あつ子さんは、病気のことを今も受け入れられていないのではないかと、感じています。

あつ子さんは見守りながらも、自分たちがいなくなったあとどうすればいいのか、不安を抱えています。
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あつ子さん
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「誰だって自分が死んだ後のことを心配します。だけど私たちには息子が自立するためにできることの手立てがありません。お金を残していったとしても自分で適切な使い方ができないと生活していけません。今後、障害者年金や生活保護を受け取ったり、自分で稼ぐ方法を考えたりするためにも、グループホームなど頼れる場所につながって自立した生活をしてほしいんです」
誰もが話せる社会に
あつ子さんは康文さんが発症してからの10年について、病気に対する知識と、周囲の支援が何より必要だったと振り返りました。
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あつ子さん
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「今の状況だと家族がかなり頑張らないと病院につながれなかったり、福祉サービスにつながれなかったり、負担が大きすぎるという問題があると思います。家族だけで本人を説得するのは難しく治療を受けることもできません。医者など専門的な人が本人に病気について十分説明し、強制ではなく本人が納得して治療を受けられる環境を整えてほしいです」
統合失調症は100人に1人がかかるといわれる身近な病気です。
一方で、偏見などもあり病気への理解が広まっているとはいえません。
あつ子さんも、康文さんが統合失調症になるまで病気の知識が全くなく、偏見もあったそうです。
事件の記事を見て投稿を寄せたのは「医療につながるための支援が充実するために、もっと病気への理解が広がってほしい」と思ったからだといいます。
「誰もが普通に統合失調症のことについて話せる社会になってほしい」あつ子さんは願っています。
