おもわく。
おもわく。

近代哲学の骨格を築いたといわれる18世紀の哲学者イマヌエル・カント(1724 - 1804)。彼が確立した哲学は「ドイツ観念論」「批判哲学」と呼ばれ、今も多くの人々に影響を与え続けています。そんなカントが、人間がもつ理性の限界を確定し、「人間は何を知りうるか」を解き明かしたのが「純粋理性批判」です。哲学史上、最も難解な名著の一つといわれるこの著作をわかりやすく読み解き、現代に通じるメッセージを掘り起こします。

「純粋理性批判」が書かれた18世紀のヨーロッパでは、近代科学の最初の波が勃興。科学を使えば世界の全てを説明することが可能だとする啓蒙の時代を迎えていました。そんな中で、西欧人たちは二つの大きな難問に突き当たりました。それは「科学は本当に客観的な根拠をもっているのか」と「科学で世界の全てが説明できるとすると、人間の価値や自由、道徳などの居場所はあるのか」の二つです。その難問を考え抜いたカントは、理性の能力を精密に分析。「人間が知りうるものの範囲をどう確定するか」や「人間が知りえないものについてどんな態度をもつべきか」といった根本的な問題を明らかにすることで、難問に回答を与えようとしたのが「純粋理性批判」なのです。そこには、「認識が対象に従うのではなく対象が認識に従う」「理性は自らの力を過信して誤謬に陥る」といった、従来の哲学の常識を覆す革命的な視点が盛り込まれています。その強靭な思索は「人間が考えることの意味」をあらためて深く見つめなおすヒントを与えてくれます。

哲学研究者、西研さんは、AIやIT技術の発展で新たな形の「科学万能主義」が席捲し始めている現代にこそ「純粋理性批判」を読み直す価値があるといいます。カントの哲学には、「人間は何を知りうるのか」「人間にとって自由や価値とは何なのか」等、現代人が直面せざるを得ない問題を考える上で、重要なヒントが数多くちりばめられているというのです。

番組では、西研さんを指南役として招き、哲学史上屈指の名著といわれる「純粋理性批判」を分り易く解説。カントの哲学を現代につなげて解釈するとともに、そこにこめられた【知識論】や【人間論】、【道徳論】などを学んでいきます。

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第1回 近代哲学の二大難問

【放送時間】
2020年6月1日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年6月3日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年6月3日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
西研(東京医科大学教授)…著書『哲学は対話する』『読書の学校・ソクラテスの弁明』等で知られる哲学者。
【語り】
小坂由里子

近代科学が勃興し始めた18世紀ヨーロッパ。近代人たちは二つの大きな難問に直面した。「科学は本当に客観的な根拠をもっているのか」、そして「科学で世界の全てが説明できるとすると人間の価値や道徳などの居場所はあるのか」。カントは、その根源的な課題に向き合うために、「認識が対象に従うのではなく対象が認識に従う」という常識を覆す視点を打ち出す。そして、認識主体によって構成される世界を「現象界」と呼び、私達に経験できるのはこの「現象界」だけだとする。その上で、人間が決して経験できない世界そのものを「物自体」と呼んで認識能力が扱える範囲外に位置付け、これまでの哲学の誤りは全てこの「現象界」と「物自体」の混同から生じるとして、難問の解決を試みるのだ。第一回は、「純粋理性批判」の執筆背景やカントの人物像も紹介しながら、カントが近代哲学が直面した難問にどう立ち向かったかを読み解いていく。

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第2回 科学の知は、なぜ共有できるのか

【放送時間】
2020年6月8日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年6月10日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年6月10日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
西研(東京医科大学教授)…著書『哲学は対話する』『読書の学校・ソクラテスの弁明』等で知られる哲学者。
【語り】
小坂由里子

多様な感覚的素材を「時間」と「空間」という形式を通して受容する「感性」。「時間」と「空間」は客観世界にあるのではなく、私たちの認識主観にあらかじめ組み込まれている「形式」だとカントは考える。いわば、私たちは「時間」「空間」という眼鏡をかけて世界を認識しており、その規格が共通だからこそ科学や数学が客観性をもつというのだ。しかし、それだけでは認識は成立しない。もう一つの共通規格である「悟性」が、そうした感覚的素材を量、質、関係、様態といった「カテゴリー」に当てはめて統一することで、初めて万人が共有できる「知」が成り立つという。第二回は、認識能力の限界を見極めるカントの洞察を通して、「人間が何を知りえて、何を知りえないか」を明らかにし、科学的知識がなぜ共有できるのかを掘り下げて考える。

名著、げすとこらむ。ゲスト講師:西研
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第3回 宇宙は無限か、有限か

【放送時間】
2020年6月15日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年6月17日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年6月17日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
西研(東京医科大学教授)…著書『哲学は対話する』『読書の学校・ソクラテスの弁明』等で知られる哲学者。
【語り】
小坂由里子

理性が本来の限界を超えて推論を続けると必ず陥ってしまう誤謬。中でも「世界全体についての認識」を例にそうした誤謬の検証を行うカント。例えば「宇宙は無限か、有限か」。宇宙に時間的な始まりがあるとすると、その前には時間が存在しないことになり、いかなる出来事も生じず宇宙は誕生しないことになる。逆に宇宙に時間的な始まりがないとすると、現在までに無限の時間が経過したことになるが、無限の時間とは経過し終えないもののはずだから現在という時間は決して訪れないことなる。このように、対立するどちらの論も成り立たない矛盾をアンチノミー(二律背反)と呼び、この検証を通じてカントは理性の限界を鮮やかに浮かび上がらせる。第三回は、理性が自ら陥ってしまう誤謬の解明を通して理性や科学的思考への過信に警告を鳴らす。

安部みちこのみちこ's EYE
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第4回 自由と道徳を基礎づける

【放送時間】
2020年6月22日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
【再放送】
2020年6月24日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年6月24日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
2020年6月29日(月)午後10時25分~10時50分/Eテレ
2020年7月1日(水)午前5時30分~5時55分/Eテレ
2020年7月1日(水)午後0時00分~0時25分/Eテレ
※放送時間は変更される場合があります
【指南役】
西研(東京医科大学教授)…著書『哲学は対話する』『読書の学校・ソクラテスの弁明』等で知られる哲学者。
【語り】
小坂由里子

理性の能力の限界を厳しく吟味すると「神の存在」や「魂の不死」は証明できないことが明らかになる。ではなぜ古来人間は、神や魂について考え続けてきたのか? その動機の裏には「かくありたい」「かく生きたい」という「実践的な関心」があった。「神の存在」「魂の不死」を前提としなければ道徳や倫理は全く無価値なものになると考えたカントは、それらを「認識の対象」ではなく、実践的な主体に対して「要請された観念」だと位置づける。この立場からカントは、科学によって居場所を失いつつあった価値や自由といった人間的な領域を基礎づけようとする。第四回は、科学が主導権を握りつつあった世界にあって新しい道徳の復権を目指したカントの思索を通して、知識や科学だけでは解決できない「人間的価値や自由の世界」を深く見つめ直す。

アニメ職人たちの凄技アニメ職人たちの凄技
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○NHKテレビテキスト「100分 de 名著」
『純粋理性批判』 2020年6月
2020年5月25日発売
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こぼれ話。

そそり立つ巨大な壁、カント

正直に告白しておかなければならないことがあります。私は大学の学部生時代と大学院時代を合わせると合計6年間、哲学を研究してきましたが、ついにその期間中にカントの「純粋理性批判」を読み通すことができませんでした。もう少し正確にいうと、冒頭の感性の仕組みを解き明かしたくだりと、4つのアンチノミーを論じるくだりだけはなんとか読み通すことができました(それでも決して理解できていたとはいえませんが)。

全くもってお恥ずかしい限りなのですが、哲学を専攻していた人間が何度アタックしても途中で挫折してしまう…それほどまでに難解なのが、カント「純粋理性批判」なのです。この経験がトラウマとなって「100分de名著」で取り上げるのをずっと躊躇し続けていました。ところが、この2年ほど、AIやIT技術の発展で新たな形の「科学万能主義」が席捲し始めていることを受けて、「私たちは本当に自由な選択を行っているのだろうか。むしろビックデータやAIによるデータ解析に操られているだけではないのか」という問いにあらためて直面させられていました。その時にあらためて思い起こされたのがカントによる「自由」についての議論だったのです。

こういう時代だからこそ、あらためてカント「純粋理性批判」を読み返す意味があるのではないか。しかし、独力でこの本を読み通す自信は全くない。そこで、まずはとっかかりとして、今まで何冊か哲学の本を読み解いてくださった西研さんの研究室の扉をたたくことにしました。西さんは、「カントを読み解くには、まず彼の問題意識をきちんとおさえるところから始めたほうがよい」というとても貴重なアドバイスをくださいました。

西さんによれば、「純粋理性批判」が書かれた18世紀のヨーロッパでは、近代科学の最初の波が勃興。科学を使えば世界の全てを説明することが可能だとする啓蒙の時代を迎えていたといいます。そんな中で、西欧人たちは二つの大きな難問に突き当たりました。それは「科学は本当に客観的な根拠をもっているのか」と「科学で世界の全てが説明できるとすると、人間の価値や自由、道徳などの居場所はあるのか」の二つです。その難問を考え抜いたカントは、理性の能力を精密に分析。「人間が知りうるものの範囲をどう確定するか」や「人間が知りえないものについてどんな態度をもつべきか」といった根本的な問題を明らかにすることで、難問に回答を与えようとしたのが「純粋理性批判」だというのです。科学万能主義が席捲していた18世紀ヨーロッパと、AI至上主義が唱えられる現代はとても似ているのではないかと、西さんの解説をお聞きしながらあらためて痛感し、「人間にとっての自由」や「人間が考えることの意味」をあらためて深く考えなおしてみるためにも、「純粋理性批判」を読み直すべきではないかとこの時直観したのでした。

それからおよそ3か月ほどの時間をかけて、実に30年ぶりに「純粋理性批判」を完読することができました。もちろんすべてを理解できたわけではありませんが、西さんからいただいた「著者の問題意識」という羅針盤が大いに助けになったことはいうまでもありません。初読のときには、全くとりつくしまがなかった論点についても「ああ、おそらくこんな複雑な議論をすすめているのは、カントが直面していた近代の二つの難問をなんとか解決しようとした形跡なのだな」と考えると、ディティールはわからないまでもなんとか議論についていくことができました。読み終えたときには、これまで未踏だった険しい山に登頂し、素晴らしい風景を見通せたような感慨をもちました。ガイドしてくれた西さんに心から感謝したいと思います。

「純粋理性批判」の詳しい内容ついてには、番組やテキストを通じてすでにご覧いただいていると思いますが、その議論を短くつづめていうと以下のように要約できるかと思います。

カントは、認識主体によって構成される世界を「現象界」と呼び、私達に経験できるのはこの「現象界」だけだとします。その上で、人間が決して経験できない世界そのものを「物自体」と呼んで認識能力が扱える範囲外に位置付け、これまでの哲学の誤りは全てこの「現象界」と「物自体」の混同から生じるとして、これまで哲学がぶつかってきた難問の解決を試みていきます。いわば、私たちは「感性」と「悟性」という共通のメガネをかけていて、このメガネの性能を詳しく分析していけば、共通理解の土台を確保できるというわけです。また、この共通のメガネでとらえられない問いは、人間の理性では決して答えの出ない問題だとすることで、それまでの哲学が追究してきた「神の存在」「魂の不死」「宇宙の全体」といった問題を一気に始末してしまうわけです。

これらの議論の後、カントは一転して、この共通のメガネでは決してとらえられない「物自体」の世界に「人間の自由の根拠」を求めていくわけですが、この議論は、現代人の目からみるとややアクロバティックにみえるかもしれません。ですが、「人間の尊厳」をあくまで理性の力で救い出そうとするカントの強靭な思考には心から敬意を表したいと思います。このあたりの「人間の自由や価値」に関する議論の更なる発展については、現象学者のエドムント・フッサールが一つの方向性を示していると西さんにお聞きしているので、機会があったら、ぜひ西さんとともにフッサールの著作を読み解いていけたらと思っています。最後に、私自身、大好きなカントの文章をひいて、この「こぼれ話」を締めくくりたいと思います。

「頻繁に、そして長く熟考すればするほどに、ますます新たな驚きと畏敬の念をもって心を満たす二つのものがある。それは、我が頭上の星を散りばめた天空と、我が内なる道徳法則である」(カント「実践理性批判」より)

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